信ずるとは
遇うことである
我に遇い、仏に遇う

~ 金子大栄 ~

しんずるとは あうことである われにあい ほとけにあう

 会・逢・合・遭・遇など、「あう」と発音する文字は多い。それぞれ異なった意味を持っているが、「遇」は、両方から出会う意を表し、「偶」に通じて、「たまたま、思いがけなく出会う」という意味がある。よく考えてみると、我々は、夫婦・子・親兄弟はじめ、我が身も含め、日頃接しているすべてのものと、どのように出会っているのだろうか。
 もし、眼で見え、耳で聞こえる声だけの世界、自分の物差しで感じただけの世界を出会いというならば、その出会いの先には、疑惑と絶望と閉塞と排除が待っているかもしれない。そして、姿形を通し、その深奥にはたらく、計らいを超えた世界からの語りかけに気づくことができるなら、その出遇いは、人間に信(まこと)の人生を開いてくれる。

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Last modified : 2014/12/12 9:26 by 第12組・澤田見(ホームページ部)