「念仏を申すとは 人生の日々に 始まりを賜ることである」

 「もういくつ寝るとお正月…」と、何故かお正月はピカピカ気分にさせた。子どもの頃の思い出だ。物が豊かな時代、そんな気持ちもセピア色になった人も多い。もしかしたら、日々に感動と希望を持てず今を見失っている人が多くなったのかもしれない。
 意に添う今であろうが意に添わない今であろうが、生きているのは「今」である。その今現在の我が身は、悠久のいのちの歴史と、限りない関り合いを内包している。まさに宿業の身を生きる身の「今」の事実である。その事実に目覚める時、傲慢でもない卑屈でもない、慙愧と謝恩を内容とした、新たな「今」を常に賜るのである。念仏生活は往き生まれる人間の方向だ。曽我量深師は「往生とは希望をもって生きることだ」との言葉を残されている。

Pocket

Last modified : 2014/12/12 9:57 by 第12組・澤田見(ホームページ部)