蜂屋 賢喜代
つよくなりたいと つねにねがうのは よわいしょうこである        はちや よしきよ 

~ 強くなりたいと 常に願うのは 弱い証拠である ~ 蜂屋 賢喜代

 人生をスポーツに譬える人がいる。分かり易い話ではあるが、いつの間にか人の値打ちを勝ち負けで計り、勝ち組、負け組なる言葉を生み出した。蜂屋師は「勝つのみが強きにあらず。時には、負けることが強いのである。強いて勝たんとする心、それは弱きがためである」とも教えている。何事にも真面目に対応することは大切であるが、強弱と勝敗と優劣に善悪を割り振り、優越感と劣等感の狭間で一喜一憂し、比較の心の物差しで、他人の値打ちや我が身の値打ちをはかることは悲しいことである。
 如来はそんな人間の比較の心を破って、「汝はこれ凡夫なり」と名のり出て下さるのである。その呼び声に頭が下がる時、上でもなければ下でもない、唯凡夫の身に目覚め真の強さを賜るのである。

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Last modified : 2014/12/11 6:52 by 第12組・澤田見(ホームページ部)