~ 私の目は 私を 見られない ~  

 自分の顔を見るには鏡が必要であるように、また、そこに光が必要であるように、自分の目だけでは自分の顔を見ることはできない。光と鏡は、装った顔、自然の顔、どちらも正直に映し出してくれる。
 姿、形のことはともかく、人は自分のことは自分が一番よく知っていると思いたいものである。ややもすると、自分が思い描いた自分こそ、本当の自分だと決めつけ、自分のイメージに合った「自分らしさ」なるものを求めることもある。しかし、自分の思いに縛られる限り、ありのままの我が身の事実に頷くことはできない。そこに、人生の無明の闇がある。
 如来の本願は光となって、その人生の闇を破り、教法という鏡で、ありのままの私の姿を映し出して下さり、確かな人生の方向を示して下さるのである。

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Last modified : 2014/12/12 11:32 by 第12組・澤田見(ホームページ部)