信心の智慧に いりてこそ 仏恩報ずる 身とはなれ ~『正像末和讃』~ 

 日進月歩、科学技術の進歩により、様々な物が生み出され、世の中(生活)が便利になった。ところがここに来て、生活の中の様々なところでほころびが大きくなってきている。之まで将来の展望に目を向ける事に躍起になってきた分、足元の事実を見失ってきた感がある。
 その事実に眼が開かれてくることが、弥陀の「信心の智慧にいる」ということであろう。如来の本願のはたらきは、常に私の足元(存在)を照らし出してくる。「救われるというのは場所をたまわること」という言葉がある。そのような立脚地に目覚めれば、そこで立ち上がっていけるのだ。これほどの恩恵はない。この恩恵に頭が下がることを「仏恩報謝」という言葉で表現されているのであろう。

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Last modified : 2014/12/13 11:15 by 第12組・澤田見(ホームページ部)