お寺の未来~それぞれの取り組み【しゃらりん32号記事】

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お寺葬~第3組恩樂寺

当恩楽寺では、3年前からお寺を会場に葬儀を執行する「お寺葬」の取り組みを始めた。「葬儀会館と比べ、遺族との距離がとても近くなり、法話も聞いてもらいやすく安価である」のが当寺のお寺葬である。始めたきっかけは、法話好きな私には葬儀会館での教化・法話がやりにくく物足りないのが理由だ。

お寺葬では、臨終時に「必ず一番最初にお寺へ連絡」してもらうことから、お寺へご遺体を搬送してから枕勤め、打合せ、湯灌、納棺、出棺、火葬まで全てのプロセスに関わり、おもに寄り添い傾聴し、時には機に応じて仏法を話すこともある。本堂での通夜法要後は座敷にお斎会場を設置し食事を共にしたり、布団を用意することもある。

本堂を会場に、既存の施設と野卓などを使用し、「寺族」も様々な手伝いをするため、遺族にとっては葬儀費用が比較的安価になるのがメリットであるが、葬儀社の協力も大切であり、利益が出るよう配慮して良好な関係を築くことも必要である。

また他にも、遺影の準備や食事、移動手段の手配など、喪主以外の親族に任せ何かの役割を与えることをも重要。喪主の負担軽減だけでなく、儀式に対する参加意識の向上も期待できる。すると儀式や法話への共感が高まり、仏教やお寺に関心を持ってもらえ、お寺葬の後、行事に参加する人が増えた。

これまで自坊の門徒と地域対象に何度かお寺葬説明会を開いたが、他にもフェイスブックで呼びかけた僧侶を対象に開催し、その様子は『中外日報』などにも報じられた。また第2組青年会、第20組仏教講座にて「寺族」向けの講習をする機会もいただいた。

実は最初は自坊だけの活動にして、他寺院にはナイショにしようと思っていた。しかし、閉塞しつつある寺院の運営状況は仏教界全体の問題である。自坊だけが盛り上がっていくことは不可能で、ご門徒や他寺院、宗門全体が元気にならないと共倒れになる。共に学ぶ仲間が最も大切だと信じて精進する日々である。当寺にはこれまで培ったお寺葬の経験と資料などを提供、説明する用意があるので、ご検討される方は気軽にご連絡ください。(連絡先メールアドレス:onrakuji7676@gmail.com)

当寺での取り組み方を全てマネしていただきたいわけではなく、条件的にできない場合もあり、寺院内の人間関係や地域のシキタリ、強い葬儀社など、様々に反発して歪みや混乱を生じさせてまで取り組むべき方策ではない。熱心に取り組んでもマイナスになる可能性は十分にある。特に地元の強い葬儀社とは慎重に歩み合わせるべきである。私はそれらの問題と真っ向勝負し、寺院内人間関係、古い地元葬儀社との関係を悪化させた。そこまでしてやるべきだったのかと言われると、もっと摩擦少なく要領よく取り組めただろうと反省はあるが、それ以上に門徒が篤くなってくれた点において、そうだと言いたい。

(第3組恩樂寺・乙部大信さん)

寺フェス~第2組稱念寺

11月3日文化の日、自坊稱念寺で「寺フェス」というイベントを開催した。普段はライブハウスで演奏している若い演者さんたちが出演する音楽イベントである。尼崎にあるライブハウスの全面的な協力により、お寺はお祭りのような賑わいに包まれた。

それまでの稱念寺は地域に開かれていない寺院であった。何とかして地域に開かれたお寺にしたいと住職を継いだこの1年間、色々なことを考えて来たのだが、自分一人の力では計画は遅々として進まなかった。同時に住職として、また人間として成長をするために沢山の人に出遇う事も必要だった。

ふと思い出して訪れたのが尼崎にあるそのライブハウスだった。仕事を終えた若い人たちが自分の技を披露し、ファンと交流を持つ。そこには苦しいこと悲しいことを歌にして歌う人がいて、その歌で救われる人たちがいた。彼らは互いに寄り添い、認め合っていた。そのような文化はお寺にもあったはず。楽しくお寺を訪れて、寄り添い、認め合い、日常に帰っていける場が。このような2つの文化が混ざり合った時、どうなるかとても知りたくなった。

お寺でライブをする協力を求めたとき、嫌な顔をする人は居なかった。お寺という文化に対する興味は若い人たちにも強くあったのだった。そういう人たちに勇気を貰う形で、今回のイベントは最高の形で開催することが出来た。素晴らしい音楽が本堂に流れ、多くの笑顔で満たされた。そして何よりも、仏様の話を聞いてくれた暖かくて真剣な表情を僕は生涯忘れることはないだろう。

(第2組稱念寺・岸野龍之さん)

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