ちょっと聞いてこ「僧伽について」【しゃらりん32号記事】

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お釈迦さまが悟りを開かれ、布教をはじめたころ、お釈迦さまを慕った修行者や在家信者がお説教を聞き、生活を共にするため、各地に小さな集団を作りました。その集まりを「サンガ」と呼びます。「サンガ」とはインドの古い言葉で「集団」「群れ」を意味します。後に出家修行者を中心とした仏教教団を指す言葉となりました。その集団の性質は時代によって変遷していきますが、仏の教えを学び聞く者の集まりというところは変わりません。やがて、仏教が中国に伝わり経典が漢訳されると、「サンガ」は「僧伽(そうぎゃ)」と音写されました。ちなみに、お坊さんのことを「僧」と呼びますが、この「僧伽」に由来するそうです。日本には飛鳥時代に仏教が伝わり、仏教を篤く敬われた聖徳太子(厩戸皇子)は、自身の作られた十七条憲法の中に「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」と記されています。また、真宗門徒が法話をいただくとき、「自ら僧に帰依したてまつる」と三帰依文を唱和します。ここに出てくる僧とは「僧伽」を意味します。釈迦牟尼仏、仏法そして僧伽(サンガ)が三宝として敬われ、大切にされてきたのです。

さて、サンガに集う人はどんな人なのでしょうか。仏教を学ぶ者の集まりと聞くと、何か大そうに感じますが、特別な人の集まりではありません。誰の心の奥底にもある、生まれた意義を明らかにしたいという願いに突き動かされ、真実の教えを求めようとする人たちの集まりです。そして、その教えを求めるのは一人ではありません。共に歩む仲間がおり、また、私たちに先だって歩まれた人がいるのです。それこそお釈迦さまの時代から現代までどれだけの人が歩まれてきたことか。数えきれない人によって仏法の尊さが証(あかし)されてきたのです。

私たちの生活は「今より楽をしたい」「他の人より得をしたい」というような、自己中心的な思いに縛られています。他人と比べ喜んでみたり落ち込んでみたり、その時の状況に振り回されてばかりです。だからこそ、今、ここにある私をそのままに喜べる道を、よき友と共に仏法に訪ねることが、私たちに願われているのではないでしょうか。

(教化センター主幹・三浦 央)

→『しゃらりん32号』PDFはこちらからご覧になれます。