南無阿弥陀仏で本当に救われる?/澤田秀丸

大阪教区第21組第4回「推進員の集い」講話録より
2017年12月4日 難波別院堺支院にて
お話:澤田秀丸先生(第12組清澤寺)

→冊子を銀杏通信に公開するにあたって(第21組組長・山雄竜麿)

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はじめに

このたび、この研修会のご案内を丁寧にいただきました。それでこの「南無阿弥陀仏で本当に救われる?」というテーマを拝見したとき、私の頭にぱっと「疑問」という言葉が浮かびました。「疑」は疑う「問」は尋ねるです。初めは、このテーマは「疑い」じゃないのかと受け取りました。しかしこのテーマで、疑問の「問」の上に立ちますと「本当に救われる南無阿弥陀仏は何なのか」ということを尋ねる入口に立っていることになります。「疑」に立つのか「問」に立つのかで大きな違いが生まれるのです。このたびは、皆さんと一緒に、当然「問」の上に立ってこのテーマを考えてみたいと、こう思ってお伺いをしました。

「南無阿弥陀仏で本当に救われるのですか」と尋ねられたら、答えは一つなのです。私たちは南無阿弥陀仏でしか救われないのです。これが答えです。問いが出て答えが出たのですから今日のお話はこれで終わりになるのです。しかし、いただいた時間にまだちょっと余裕ありそうですので、じゃあなぜ「南無阿弥陀仏でしか救われないのか」ということを推進員の皆様と一緒に考えてみようかと思っています。

念仏というのは

私は三年前まで、北海道にある東本願寺の旭川別院という所に勤めておりました。旭川別院は七十年の歴史を持つ幼稚園を経営しています。別院の輪番はその幼稚園の理事長と園長を兼ねております。ある年、新年会に出席いたしました。型通りの会議を終えると、ホテルで丸いテーブルに十人ずつぐらい理事長・園長が座った新年会が始まりました。

隣の人とお話をしながら、心地よくお料理をよばれ、ほろよくお酒もいただいた時です。私の真正面に座ってらっしゃる男性の理事長さんから、「輪番先生」と大きな声を掛けられました。「輪番に先生はいらないのにな」と思いながら顔を向けますと、その方が「実は私も先生と同じ浄土真宗の門徒です。ですから毎朝お内仏の前に座ってお正信偈のお勤めをしています。そしてお寺からお勤めのご案内があったら、必ずと言っていいぐらいお参りをさせていただいています。ご法話も聞いています。しかし、この年になるまでどうもわからないことがあるのです」とおっしゃるのです。

「何ですか」と尋ねましたら「念仏というのは一体何なのですか」という質問でした。「毎日念仏を称えているけれど、念仏が何なのかわからない」ということです。そうしましたら横に座られた先生が「そら先生、念仏って言うのは南無阿弥陀仏のことですよ」とこう答えられました。すると別の方がですね「いや私は御宗旨は違うけれども、前から南無阿弥陀仏はどんな意味を持っているのかを聞いてみたかった」とおっしゃるのです。

私は、まるで推進員の座談会のようだと思って聞いていました。しかし、場所が場所ですから黒板を持ってきてお話をするわけにはまいりません。そこで、まず初めの答えとして「南無阿弥陀仏は仏様のお名前です」とこう答えたのです。

そうしましたら私の正面で初めに質問された方が「いや私たちの仏さまのお名前は阿弥陀如来とお聞きしています。でも南無阿弥陀仏がお名前でしたら、あの仏様に二つのお名前があるのですか」とこう尋ねられたのです。

それで私は「いえ、あの蓮の上にお立ちになって、こう右手を上げて左手を下げられたあの仏様のお名前は、あくまで『阿弥陀如来』お一つです。二つはありません。けれどもその仏様の名前は私たちに届いて、私たちを動かしてくださるのです。その私たちを動かしてくださる『阿弥陀如来』のはたらきを『南無阿弥陀仏』とこう言うのです」と答えました。

ところがこのタイミングで、司会者の方から「ただいま市長さんがお見えになりました、今からご挨拶をいただきます」と、ご案内がありました。隣の方は私にささやくように「市長の挨拶よりもこっちの方が大事だったのに」とこうおっしゃってくださったのですが、それっきりその話は終わってしまったのです。

しかし今日は、司会者の人が「ただいまから懇親会に移ります」とはおっしゃいませんので、しばらくはこの後のお話を続けて行こうかと思っています。

名のはたらき

旭川市に江丹別(えたんべつ)という場所があります。ここは日本一寒いところなのです。私が旭川におります間に、一度江丹別が氷点下三十一度になりました。それがテレビのニュースでは旭川が氷点下三十一度と報道されたのです。金沢におりました私の友人がそのニュースを見まして「これはえらいことや、澤田さん凍ってしまう」と、金沢のお酒を送ってくれたのです。澤田秀丸は旭川を一歩も動いてないのです。じっとしているのです。それなのに私の名前が金沢まで届いていって、そして届くだけじゃなくて酒屋さんへ行ってお酒を送るという動きを、名前がしているのです。名前はこうして、もう留まるところなしに、はたらいて届くだけじゃなくて、その人を動かしていくのです。

念仏は南無阿弥陀仏と称えた「今」、私の「心」に南無阿弥陀仏が届いてくださいましたという「今心」=「念」仏と書くのです。ですから念仏は阿弥陀如来様の中でじっとしているのではなくて、阿弥陀如来様のはたらきが必ず私たちの所に届いて、そしてはたらいてくださるのです。そのはたらいてくださる阿弥陀如来様のおはたらきを南無阿弥陀仏の念仏とこう言われたのです。

三つのはたらき

私にも、皆さんにもお名前はあります。お名前ということでは仏様も我々も同じです。我々についている名前は常に三つのはたらきをしているのです。

一つは昔から名は体を表すと言いますように、例えば澤田秀丸という名前は「どこに住んでる人でこういう人だ」と体を表すのです。ある時、奈良県のお寺のご法話に行きました。駅を降りてからそこのお寺までしばらく歩いて行きますと、私の前に二、三人女性の方がお数珠を持って歩いておられました。「これはお寺にお参りされる方やな」と思いながら、追い越そうかこのまま後ろついて行こうかと考えていたのです。そしたらその中の一人が大きな声で「今日のお説教は澤田秀丸さんやな」と言ったのです。そしたら隣の人が「あの人はな、寝たら怒る怖い人や」と言うのです。そしたらまた一人の人が「でも、私はあの人好きやで、なんでか言うたら大きな声で話をしてくれるからよう聞こえるんや」と言うのです。澤田秀丸という名前には、いっぱい引っ付いてくるのです。「名は体を表す」まずこれが一つです。

二つ目は、名は私と他人を結んでいくのです。皆さんも手紙が来た時に、一番に手紙の後ろやハガキの前を見て、名前を確かめるでしょ。今、この時期は「喪中で年賀状を御遠慮いたします」というハガキが来ますね。私の所にも、もう三十枚ぐらい来ているでしょうか。中にはね一月に父が亡くなりましたというハガキが来るのです。「一月に亡くなられたというのなら、もっと早く出してくれたらいいのに、もう年賀状を書いてしまったでないか」と思うような時もあるんですがね。でも、お名前を見て亡くなられたかと思うと寂しくなります。名は私と人を結び付けていくのです。

もう一つ、三つ目はですね、名は環境も背負っているのです。単なる名だけとは違うんです。その人の名は、まわりの物を背負っているのです。

可哀そうにね、私の息子はどこへ行きましても「あんた、あの澤田秀丸の息子か」と言われます。どこへ行きましても私の息子には私という背後霊がついているのです。名は環境を背負うということです。もっとも最近は、逆さまになっています。長いこと大阪を留守にしておりましたので、久しぶりにご法話に行きますと「あなたの息子さんには大変お世話になっているのですよ」と、息子がこの頃私の背後霊になっているのです。

下の孫がよく言いました。学校へ行って嫌なことは、先生から「君がシュウトの弟か」と言われることだと。「僕は僕」とものすごく怒っていましたね。

しかし、どうしても名は環境を背負うのです。誰の弟か誰の息子かという環境を背負うのですね。澤田秀丸という場合には日本人という環境も背負っているのです。

全ての名は、たくさんのはたらきを背負って私たちに届いています。南無阿弥陀仏というお念仏も、阿弥陀如来様の一切のはたらきを込めて私たちの所に届いて来てくださっているのです。

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Last modified : 2020/04/28 17:56 by 第12組・澤田見(組通信員)