コラム法話 #生老病死 中陰のお勤めとグリーフケア【しゃらりん36号】

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この度コロナウイルスの広まりによって、私が属している男女平等参画を考える実行委員会も女性住職の会が中止になりました。近年注目されているグリーフワークの学びの一環として『尊厳ある最期を迎えるために』というテーマで講師を迎える予定でした。
このグリーフワークとは、死別したご遺族の悲嘆からの立ち直りのプロセスのことであり、それに関わることはグリーフケアと呼ばれていると学びました。
私は、仏教では古くから優れたグリーフケアのシステムがあると思います。枕経に始まり、お通夜、ご葬儀、中陰、その後に続く沢山の法要のことです。私は生老病死の中で、なぜ死だけこんなに多くの法要があるのだろうと思っていました。

数年前に、母の姉が亡くなりました。クールでユーモアのある大好きな素敵な伯母でした。
その葬儀の時、私は自分だけ時間が止まっているよう感じていました。その感覚は、ゆらゆらと頼りなく、亡くなった現実感がなく、まるで映画を見ているようでした。
その後、普通の生活に戻り、満中陰の案内を受けました。私は「ああ。伯母は亡くなったのだった」と思い出しました。伯母が亡くなったことを忘れていたのです。まだ伯母の懐かしい顔も声もはっきり思い出せました。
満中陰の法要中、「ああ、伯母は亡くなったのだな」と、その死に少し現実感が伴ってきました。
その後も法要の度に伯母の死を思いました。3回忌も終わった頃ようやく伯母の死を受け入れることができたような気がします。
この体験から、私は枕経に始まる沢山の法要は、死の受容に向けての優れたグリーフケアとしてもはたらいているのだなと思い始めました。

昔の先達はこのことをよくわかっておられたのでしょう。近親者であればあるほど失った衝撃と悲しみは深く、死を受け入れるまでの期間は人それぞれです。
その為に沢山の法要があり、ご遺族はその度に死と向きあうことができ、自分のペースで、少しずつ本願のお話を聞きながら死を受容されていくのだと思います。
大谷派の勤行集に記されている中陰中の和讃が、ご遺族の悲嘆の変化に沿って選ばれていることに初めて気づきました。和讃を通して、悲嘆に向き合い、親鸞の示した広やかな本願の世界に気づき、死を少しずつ受容できるように考えられているのだなと感じました。

最近、住職の代わりに坊守の私もこれらの法要に行き、ご遺族とお話する機会が増えました。大切なグリーフケアでもあることを心に留めながら、ご遺族であるご門徒さんと共に本願のもとで生きてゆくということを考えてゆきたいと思います。

(大橋知子/第18組遠慶寺・男女の平等参画を考える実行委員会)

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