生きるとは……阿弥陀さまからの提案/沖野頼信

大阪教区第21組第2回「推進員の集い」講話録より
2015年12月10日 難波別院堺支院にて
お話:沖野頼信先生(第7組本照寺)

→冊子を銀杏通信に公開するにあたって(第21組組長・山雄竜麿)

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こんにちは、ようお参りです。最初に三帰依文を読みましょうか。
三帰依文 唱和

偶然生まれてきたのです

「人身受け難し、今すでに受く」と書いてありますね、これ、人間に生まれてくることはとても難しいことですよ、と言ってるわけです。「仏法聞き難し、今すでに聞く」っていうのは、仏法を聞くこともとても難しいことですよ、と言ってるのです。

なぜかというと、人間に生まれてきたのも仏法を聞くのもみな偶然だからです。だから難しいのです。偶然です。この世は偶然と偶然が重なって、いろいろなことが起こるわけです。これを仏教の言葉では「縁起」って言うのですよ。

縁によって起きる。誰かがやっているのではないということですね。神様でもなければ、仏様でもなく、偶然と偶然が重なってあらゆることが起きるということを縁起というのです。

縁というのは関係という意味です。ですから、色々の関係が重なって、私たちは偶然生まれてきているのです。たとえば卵子がありまして、そこへ精子が何万と群がるのです。数多くの中から一個の精子がピュッと卵子に入ったのが皆さんです。その時、もし、違う精子がピュッと入っていたら兄弟が生まれていたのです。皆さんはその時、生まれることができなかった。次のチャンスはいつですか?と聞かれても、いつか分からないわけです。

偶然と偶然ですからね。私たちは偶然生まれてきたのです。誰かの力ではないということです。この世にある全てのものは縁によって、関係によって起きる。これを別の言い方では「因縁果」と言います。

「因」と「縁」。それから「果」。原因があって結果がある。その途中に関係が入っているわけです。原因と原因がいっぱい重なることを「縁」といいます。そして結果が出てくる。誰かが「こうしてやろう」とやっているのとは違うのです。

これが仏教の考え方なのです。

自由に生きる

今日のテーマは「生きるとは」ということですが、三帰依文の最初には「私たちは偶然生まれてきたのですよ」と、こう言っているわけです。

ですから私たちは、何の使命も持っていないのです。何かするためにこの世に生まれてきたのと違うのです。これは仏教だけの考え方みたいですね。

たとえば、ミッションスクールって知っていますか。ミッションというのは使命という意味です。人は神様によって生まれさせていただいたから何か理由があるはずだということです。この理由が使命だというわけです。

でも仏教的な考え方からいうと、私たちはみんな何の理由もなしに生まれてきているのですよ。だから何の使命も持っていないのです。これを自由というのです。したいことしたらよろしいということです。

だから、「私は何のために生まれてきたのか?」と自分探しをして、それで悩んで悩んで、他人に聞いても分からないと苦しんでいる人がいますが、それは分からないはずです。

何のためにって、その「何のために」が初めから無いわけですからね。

煩悩を遊び道具にするんです

使命を持って生まれてきた人のことを使徒と言います。皆さんエヴァンゲリオンというアニメを見たことがありますか。その中に悪役で使徒が出てくるのです。使命をもった人が悪役になっているわけです。使徒は、自分ではやりたくないのに、いろいろと悪い事をしなければならないのです。そういう使命をもって生まれてきたわけですから。

ところが私たちは何の使命も持っていない。どう生きて行ったらいいかというと、好きなように生きていったらいいのです。

だから「正信偈」に、「遊煩悩林現神通」って書いてあるでしょう。煩悩の林に遊んで神通を現ずるって、楽しむということです。煩悩の林ですから、煩悩を無くすのではなくそのままにしておく。煩悩をそのままにしておいて煩悩を遊び道具にするということです。どう言ったらいいですかね、「私は煩悩だらけのどうしようもない奴です。もうアホですわ」って、煩悩を遊び道具にするのです。これが大事です。

私たちは、煩悩をなくすために修行とかを思い描きますが、実はこれ、何のために生まれてきたかを誤解しているわけです。確かに、煩悩を無くしたかったら無くしたらいいのです。でも、そのままが良かったらそのままでよろしい。それぞれの人の自由ですね。本来はそういう生き方です。

苦しいことが好き?

ところが、皆さんそれが気に入らないのでしょう。何か使命が欲しい。生まれてきた以上は「これをしないといけない、あれをしないといけない」というふうに思ってしまうのですね。

これが自分を苦しめているのかも知れません。つまり苦しいことが好きで、使命があると思うと、いつもじっとしていられないのです。何かしないとだめなのです。

ところが、それをしなくてもいいと言われるから「どうしたら良いだろうか」と戸惑ってしまうわけです。私たちは自由と言われるのが一番困るのです。「あんたはこれをするために生まれてきたのだ」と言われたら、大喜びしませんか。それが、どんな悪いことであってもね。さっきのエヴァンゲリオンの使徒のような使命であっても、あったら大喜びするわけです。

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Last modified : 2020/05/07 16:55 by 第12組・澤田見(組通信員)