4 人生列車

 今回のテーマですが、「つながりを生きる」という前に、「わかったことにしていませんか? 私のこと」とこういう言葉が掲げられてございます。私ども、人に向かってはちっとも自分のことをわかってくれないと、人には文句を言っております。けれども自分自身からですね、お前は自分のことがわかっているのかと問いつめられますと、これは普段はそういう体験を持たないわけでございますけれども、改めてこういう言葉の前に立たされてみますと、自分というものが、どういう人間であったのか。何を求めてどこへ行こうとしているのか。そのことがハッキリしないままに、日を過ごしてきている。そういうことを改めて感じるわけでございます。

 私は、吉川英治という方の言葉をよくご紹介させていただくのですが、『人生列車』という短かな文章を書いておられます。吉川英治さんの時代ですから、今から50年、もっと前になりますか、東京から名古屋まで特急で6、7時間かかった時代ですね。出発点である東京を出る時は、何も覚えがない。横浜を通り過ぎる時も気づかなかった。それで、丹那トンネルを過ぎる頃、ようやく薄目を開ける。そして静岡あたりで急に「汽車に乗っているんだなあ」と気がつく。そして6時間ほど走って、名古屋に到着する。それで名古屋駅での5分間停車。当時名古屋で汽車が5分間停車したかどうかはわかりませんけれども、吉川さんはそのように書いておられます。5分間停車をするようになってから急に、ずっと東京から乗って来ていた乗客の一人が、「この汽車はいったいどこへ行くのだ」と慌てだす。もし、そういう乗客と一緒に乗り合わせたら、おそらくみんな笑うだろう。6時間も汽車に乗っていて、行き先も考えなかったのかと。今頃になってこの汽車はどこに行くのかと騒ぎだす。「何とまあ」と、笑いだすだろうと。だけど人生列車の乗客はみんなそうなのだ。こういうことを吉川さんが書いておられるのです。

 人生列車ということで、あえて言えば、東京を出る時というのは誕生の時でございましょう。横浜はまだおさな子でありましょうね。丹那トンネルを過ぎる頃、薄目をあけるというのは、これは幼児でしょう。初めて外界というものを意識しだす。そして静岡あたりで急に、「ああ汽車に乗っているんだなあ」と気がつく。これは青年から壮年の間でしょうね。いわゆる人生ということをフッと感ずる。自分の一生、自分のこの人生、どう生きればいいのか。どういうものなのか。何か心にかかってくる。そして名古屋の5分間停車、これはもう老年でございましょうね。一気に駆け抜けることが出来ないのでございましょう。名古屋で5分間停車をする。つまり、老年になって、はじめて私の人生どこへ行くのだと思って急に騒ぎだす。それは本当に汽車の中でそういう人に出会えば、大笑いするでしょうけれども、吉川さんがおっしゃいますように、人生列車の乗客は、みんなそうだと。確かに自分自身を振り返ってみても、その日その日を追われながら生活をしている。どこへ行くのか。何をしようとしているのか。静かに自分自身に尋ねるなんて、そういう余裕もないままに、それこそ息せき切って暮らしているわけですが、しかしフッと私の人生、何なのかと。いったい私という存在はどういう存在なのかと。どうすればこの私が本当に生きたと言えるのか。そういう問いが心を占めるということがございます。

 そういうことから思いますと、私も73年間、この私と付き合ってきたわけですけれども、73年付き合ってもわからないわけですね。いったいどうしようとしているのか。今、尽くしていかなければならない仕事が、いろいろ与えられている。そのころで頭がいっぱいですね。毎日毎日がただ、そのことで過ぎて行く。結局、お前は何者だという、そういう問いは、なかなか私どもの日常の中では問いになってこない。こういう言葉で、改めてこの問いが投げつけられますと、そこで立ちすくむということがあるわけでございます。

 そういう場合に、私たちは自己ということを、やはり自分の思いのところで捉えているわけでございます。自分を大切に生きる。自分の人生を大切に生きる。そういうことを自分の思いを歪めずに、自分の思いを尽くして生きるということにしてしまう。そして自分に納得できないことはしない。自分に本当に納得できることだけを尽くしていく。何かそういうことが自分を、あるいは自分の人生を大事に生きることというように思ってしまいます。

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Last modified : 2014/01/27 23:01 by 第12組・澤田見