第二組 聞法会を開催しました

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2024年10月22日(火)午後2時から、天王寺区の佛足寺 で、今年最後の第2組聞法会が、組内の住職や坊守、門徒や推進員28名が参加して開催されました。

墨林浩組長(光照寺住職)の開会挨拶、真宗宗歌を斉唱、そして佛足寺清水住職の調声で唱和をしました

前回に続き講師は、廣瀬俊先生(17組法觀寺住職)で、『正信偈』の「一切善悪凡夫人」~「難中之難無過斯」をお話いただきました。

冒頭に、先生は担当する箇所の傍訳を全員で唱和し、そして今回で終了する、『依経段』をまとめて、「総讃」、「弥陀章」、「釈迦章」、「結誡」と分けて、要約されながらご説明をいただきました。

その後、先生は小道具を駆使されながら、凡夫について、信心深い妙好人の浅原才市さんの「凡夫が仏になることは 佛が凡夫になって凡夫を仏にすること 南無阿弥陀仏」を引きながら話された。また、アニメの「ドラえもん」の、ドラえもん(仏)とのび太(凡夫)を見立てられ、また、映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌「ひまわりの約束」の詩を紹介され、また、作者の藤子・F・不二雄さんの「ドラえもんはどこにでもいるんです」の言葉を紹介し、何処にでもいるのに、気付けていないのが私たちだと、話していただきました。

休憩後は、「邪見驕慢悪衆生」について、邪見や憍慢について、私一人のことを指しており、金子大榮先生の「真宗の信心は、受容の信心(手で受け、腹に入れる)である」と言う言葉を紹介された。

また信心と願いについて、親鸞聖人の『高僧和讃』にある「仏号むねと修すれども/現世をいのる行者をば/これも雑修となずけてぞ/千中無一ときらわるる」で、「私の願い」だけを祈るものであれば、千に一つもかなわないと。また、曽我量深先生の言葉「信に死し、願に生きよ」を紹介されて、真城義麿先生の「真宗の信心をいただいたなら、「私が」と言う自分の都合を中心に生きる私が崩れ、願に生きると言うことは、本願に生きると言うことです」という解釈を紹介され、仏さまの願いに気付くことは、それは今の自分の姿に気付く、つまり自分中心に生きてきた自分の姿が見えてくるんだと話されました。

終わりに、佛足寺ゆかりの恩徳讃1を唱和して、閉会しました。(レポート・写真:本持喜康〈即應寺〉)