第12組・長谷 正利

「善光寺」研修旅行 二日目

研修旅行二日目の朝 5 時過ぎ。
「お数珠頂戴」に参加するため、日の出とともにホテル出発♫

貫主が入堂された後にお朝事が始まります。もちろん 365 日毎日欠かさず勤まります。
外陣・内陣・内々陣と続くのが他の寺院と違ったところ。内陣までは内陣券を購入すると入ることができます。
※堂内写真撮影禁止

御本尊は正面でなく向かって左側にあるのが特徴的。普段は御厨子の中に安置されています。
7 年に一度の秘仏御開帳はよくテレビなどでも取り上げられるのでみなさんもご覧になったことがあるかもしれませんね。

戦国期に御本尊「阿弥陀如来立像」は武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康へと渡り、全国へ善光寺信仰を広めるきっかけとなっていきます。
また善光寺には「お数珠頂戴」以外にも「お戒壇巡り」と呼ばれる変わった参拝がございます。
この参拝形式では絶対秘仏の御本尊ですが、実は誰でもご縁を結ぶことができる一種の修行法で、真っ暗な内々陣の地下を歩き、本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れることができれば、本尊と結縁し、極楽往生が約束されるというのです。
普通なら一笑に付してしまうのですが、真っ暗闇の中、また決して平坦でもない床の上を歩いて錠前に触れるというのは暗中模索している我々凡夫そのものを体現しているようにも思われました。1400 年以上経っても善光寺が親しまれるのはこういった「わかりやすさ」があるからかもしれませんね。

一度ホテルに戻って、新潟県・妙高市へ移動。
ほとんど長野県との境に位置する「浄善寺」さんへ。
山門を抜けて先ず目に入ってくるのが墓石の数々。後で住職に聞いたのですが、このあたりの墓石は耐雪・耐震・寒冷地仕様で厳重にビス止めされているのだとか。というのも降る雪にはめっぽう強いらしいのですが、溶ける際に日当たりがいい方に墓石がずれていくそうです。
また、この地域では雪を心配して早めに報恩講をお勤めになられるようです。浄善寺さんの報恩講も 9 月に勤まるそうです。
ご住職案内のもと「親鸞聖人・袈裟掛けの松」へ車移動。
親鸞聖人は越後流罪赦免の後に関所があったこの地を通って戸隠や善光寺に向かわれたそうです。その際に松の木に袈裟を掛けて休まれたと伝えられます。現在の「袈裟掛けの松の木」は三代目。初代の松は 1200 年頃なのだそうですが、昭和 13 年になってあまりにも老木、これ以上は倒れて危ないので伐採することに。そして二代目の松を植える際に御門主が来てくださってお手植えされたそうです。

その後は昭和 39 年に道路拡幅工事に伴い再び植え替える事になり今の三代目に至ります。
初代の松伐採の際に、せっかくなのでと、先々代の住職が上越市から彫刻家を呼び寄せて親鸞聖人の坐像を彫ってもらった一つがココに納められています(合計 4 体の内の一つ。2 つは浄善寺に。もう一つは東本願寺に、との文献有り)
その他にも住職には親鸞聖人にまつわる「越後七不思議」のお話もしてくださりました。その一つは「焼き鮒」で、親鸞聖人に供された焼き鮒を池に放したら鮒が生き返った、という言い伝えが残るそうです。(他の 6 つは植物にまつわる不思議)
こういった逸話が残るのは、親鸞聖人が訪ねられた地を、門徒の私達も訪ねることで得るものがあるからだと熱してくださいました。

再び長野県に入り、蓮如上人・ご旧跡「榎御坊」へ。
コチラは住職不在の為、少し立ち寄った程度でしたが、先ず榎がどれなのかわからない(笑)

立派なイチョウはあるのですが。
ありました♫西本願寺の御門主が巡教の際、記念に建てられた灯籠に被っていて見えませんでした(笑)
コチラは親鸞聖人が流罪を許され、関東に行く途中に逗留したとの伝承を残しています。さらに真宗中興の祖・蓮如上人が親鸞聖人のご旧跡を辿ってこの地に来られた際に一本の榎を植えたのが良く繁ったので「榎の御坊」(別名「藤の木のご旧跡」)と呼ばれるようになったそうです。
江戸時代から大正末期まで毎年四月に近隣の信徒が大勢参詣し、門前市を催すほどの宗教上の拠点にまでなっていたそうです。

 

長野市に戻る道中で小布施に立寄り、昼食と散策♫
小布施といえば、やはり栗♫栗を使ったおこわや和菓子・洋菓子が楽しめます。また、葛飾北斎の作品を展示する「北斎館」があり、美術愛好者には必見の街です。最近では地酒なども人気で食文化も充実した観光地です。

とはいえインバウンド観光客が全く居なかったのが意外でした。
その代わり修学旅行の生徒を街のいたるところで見かけました。
今後の研修旅行はオーバーツーリズムに配慮したコースづくりが必要になるのかもしれませんね。

最後に訪れたのが日本人よりも海外観光客に大人気の「地獄谷野猿公苑」♨
若干疲れの見え始めた伝研の会メンバー。入口の看板を見るなりややげんなりとした様子。
「歩ききった先には素晴らしい光景が待っていますよ」と添乗員にノセられて、往復 3.2 ㌔(登坂あり)のハイキング♫

非常に内容の濃い二日目でしたが、最後のお猿さんたちに癒やされました♫
疲れの出ないことを願って、明日の最終日に備えるとしましょう♫

 

 

「善光寺」研修旅行 一日目

先日、伝研の会では長野・善光寺をはじめとした親鸞聖人・蓮如上人のご旧跡巡りに行ってまいりました。
新大阪で集合。名古屋で特急しなのに乗り換え、長野駅についたのは 13 時過ぎ。
「遠くとも 一度は詣れ 善光寺」で有名な極楽往生が叶う寺として 1400 年以上の歴史のあるお寺です。
御本尊は絶対秘仏と言われますが、7年に一度だけ「御開帳」があることでも有名ですね。
そして無宗派のお寺としても非常に有名です。 ※現在は浄土宗の御上人様と天台宗の御貫主様が住職を務めておられます。
まずは親鸞聖人が 100 日間逗留された宿坊「堂照寺」さんへ。
ご案内していただいた鈴木さんのお話によると、親鸞聖人が越後から常陸の国に向かう途中、善光寺に立ち寄られた際、100 日間この堂照坊という宿坊に逗留されたという記録が残っているそうです。
親鸞聖人がこちらに宿泊された理由は 39 軒の宿坊の中でも堂照坊が代々善光寺の御灯明を引き継いできたというのが大きな理由だったと伝えられます。
こういう逸話も残っております。
親鸞聖人が留まられたのは 11 月から 2 月までの約 3 ヶ月間の冬の時期です。堂照坊の源阿房をお供に戸隠山へ行った際、手元にあった熊笹の葉を
使って六字の名号の形を作られたと言われています。これは、松や笹が冬になっても枯れることなく青々としている様子にたとえ、南無阿弥陀仏の
お念仏もどんなに時代が変わろうとも決して枯れることなく続くという意味を込めたものです。
また、堂照坊では、逗留の間に抜け落ちた親鸞聖人の歯が安置されています。

まずは仁王門。両側にはもちろん仁王像。コチラは彫刻家・高村光雲(高村光太郎の父)作のもの。

仲見世通りでは気づくのはいろいろな灯籠が奉納されていて、左右対称ではなくあちこちに立っています。全国からの寄進によるのもがほとんどで、一対になっているものはほとんど無いそうです。
正面に見える「善光寺」の金文字のなかには鳩のシルエットが5つ描かれているのをご存知でしょうか?
「善」の上に2羽、「光」の上に2羽、最後は「寺」の点に一羽。
最初はいがみ合っていた鳩も次第に仲睦まじく向かい合い、最後は左(西)を向いて飛び立っていった、とされ、これは西方極楽浄土を意味するとされているそうです。