公開講座「真宗の仏事と法事を考える講座」を開催しました

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3月13日(火)午後6時30分より、難波別院同朋会館講堂において、3回目の公開講座を開催しました。

今年度の最終回となる今回は、ご門徒方と一緒に葬儀の意義、大切さについて考える講座として、

講師に髙間重光師(第19組了信寺前住職)を迎え、「葬儀の大切さ」というテーマで講義をいただきました。

約30名が聴講しました。

髙間先生

【講義の要旨】

▼「臨床宗教師」医療現場に宗教家が関わる。病気とたたかう人は、大きな不安・おそれを抱える。死を目前にして、無宗教であった人も、大きなものに包まれて自分が生かされていると感じ、不安とおそれがやわらいでいく。

▼哲学者・西谷啓治師の話。宗教は何か。信仰を持たないと言う人は、食事のように三食摂らねばならないようなものではないと考える。しかし、滅びの生で終わるか、永遠の生で終わるかという、大事な事がある。

▼葬儀は、その人の人生の最後の、大切な宗教的儀式である。どこへ還っていくのか。死んだらお終いか?亡き人の一生をどう受け止め、どのようにお別れしようとするのか。亡くなったことで、亡き人と出遇い直していくこともある。

▼お通夜は、ご遺体と過ごす一日、親族との語り合いの時間。生涯を偲び、どんなご恩を頂戴していたのかを考える。

▼形見は、形あるものを通して、亡き人のお心・願いに出遇っていくことに意味がある。

▼葬儀は、亡くなられた人にとって、人生にとって最も大切な儀式だから七条袈裟を着ける。会葬に来られた皆が各々に「死」というものに出遇っている。亡き人は諸仏である。

▼以前は、葬儀は自宅であったのが、地域の会館になり、セレモニーホールでと変化してきた。僧侶も3人であったのが、導師一人で、となってきた。セレモニーホールでのお葬式に、宗教性があるのだろうか?商売になっている。その一方で、宗教家が説くべき「葬儀の大切さ」をCMに盛り込んでいるものもある。

▼葬儀の事、亡くなった事を、故人のお知り合いにしっかり伝えること。最近は「たぶん亡くなっているようだ、だけど聞かされていないし、聞くに聞けないし・・・」という事が起こる。

▼門徒から「あのお寺さんに来て欲しい」と生前に言ってもらえるような信頼関係があるのか、考えて下さい。