第2組聞法会 開催
- 2025年10月20日(月)8:24

10月16日(木)午後2時から、阿倍野区の西教寺(松本隆信住職)で、門徒と推進員等、そして組内の住職や坊守などの27名が参加して今年最後の第2組聞法会が開催されました。
最初に、墨林浩組長から開会挨拶。そして、松本住職による調声で「正信偈」「念仏・和讃」「回向」を全員で勤めました。
講師は先月に続き、廣瀬俊先生(17組 法觀寺住職)が、「本師源空明仏教~唯可信斯高僧説」までを話していただきました。
まず、先生はお経の意訳を説明されたあと、何故、源空(法然)上人が仏教をあきらかにされたのかについて、金子大榮師は①「機を知る」~誰を救うのか、善悪凡夫人、つまりあらゆる人々をであると。②「所を得る」~何処で救うのか、興片州、お念仏の教えをここ日本に伝えた。③「時に相応している」~どんな時代に救うのか、弘悪世、煩悩に満ちた時代にと、機と所と時このことに相応していなかったら、仏教を明らかにしたとはいえない。今ここで私が救われていくと言うことが成立しないと仏教の教えが素晴らしい教えとはいいがたい。だから法然上人は、いま、この日本で選択本願と言う教えを、この時代に説いてくださったと言うのは、仏教を顕かにされたと言えると話されました。
ここで大切だと思うのは、「善悪凡夫人」と言えるのではと。ええ人悪い人は私の都合で決めている。法然上人は、この私も誰かにとっては善人かも知れないけれど、誰かにとったら悪人かも知れない。つまり、善悪凡夫人は、すべての人々と言う意味なのだと。
そして、「生死」について、私たちはあらゆる物事をええこととあかんことの二つに分けて考えることを、仏教では生死と言うと。いつだって物事を善し悪しの二つに分けて考える。その中心は、いつも自分の思いであると。我々が苦しいと思っている根本は、物事を二つに分けることなのです。その二つに分けて比べる「迷いの世界から出ませんか」と言うのが、この部分なのです。
そのことをここでは本願を疑っているからと言われますと、話されました。
「正信偈」最後の結びの4句、「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」は、お経を広められた七高僧はあらゆる人々を救う。その七高僧の教えを聞きなさい。で依釈段の結びが終わります。七高僧は何を説いているかと言うと、お経を説かれている。つまり、お経に戻りなさいと言われていると。つまり、もう一度頭に戻ってお経を聞きなさいと。お経の教えに照らされなさと、言うことを形作っておられるのではないかと思うと話されました。
(休憩後)
休憩後のお話で、先生は法然上人のことを話すにあたっては、親鸞聖人のご生涯を一度見ていくことが大切だと。どうして親鸞聖人は法然上人のもとへ行かれたのか。法然上人の何にと言うことを考えてみたいと始められました。
それは3年B組金八先生と言うテレビで、金八先生が、茨木のり子さんの詩「ぎらりと光るダイヤの日」を紹介されたのを見て、「本当に生きると言うこと」に注目されたと。
そして、親鸞聖人が比叡山での修行で、「本当に生きると言うことは」と、求めても見えてこない。本当の仏教を求めて、19歳の時に磯長の聖徳太子廟で、29歳で六角堂に参籠されて夢告を受けられ、吉水で法然上人に出会われて、「善き人にも悪しきにも、同じように生死出べきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いし」(「恵信尼消息」)。しあわせになるために、生死出べき道を誰もが生まれて来たのだと。念仏者で作家の高史明さんのご長男の遺作詩集や、さだまさしさんの歌詞「いのちの理由」(法然上人800年大遠忌、法然共生イメージソング)、そして障害を持ちながら画家の星野富弘さんの「愛、深き淵より」等を紹介されながら、親鸞聖人が法然上人に出会って、「善悪凡夫人」「生死の世界を出る」ということを『正信偈』に納められたのではと思うと締めくくられました。
閉会は恩徳讃斉唱し、今年の聞法会を終わりました。(レポート・写真:本持喜康〈即應寺〉)






第2組聞法会
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第2組聞法会「共に学ぶ『正信偈』」
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