教行信証化身土巻講義・第二講/平野 修

題号と標挙

1、三聚

 先回から「化身土巻」標挙の文のところを問題にしておりました。標挙に邪定聚の機・不定聚の機という言葉がついております。
 ご存知のように「信巻」のところには、正定聚の機という言葉が標挙につけられております。
 そもそも、この正定聚とか邪定聚とか不定聚ということは、何を意味しているかと申しますと、これは、仏教の論書の中にすでにこれに触れたものがございます。
 例えば、『倶舎論』です。その中においては、三悪趣にあるものは、邪定聚のものである。その意味は、仏陀の教えに遇うことのできないもの。そういうところから、「三塗八難」という言棄も出てきておるかと思うんです。三悪趣の地獄・餓鬼・畜生にあるために仏陀に遇うことのできないものが、邪定のものです。
 不定聚というのは、これは特に人間を指します。仏陀の教えが聞かれている時には、人間を超えていく道も開かれるけれども、仏陀の教えが聞かれなくなると、三悪趣へ落ちる可能性ももってきます。そういう意味で、一定しないということから、不定といわれます。
 正定聚は聖者をさします。聖の者というのが、この正定聚の者であると、こういうふうに『倶舎論』では、この三つの聚が語られております。
 しかし、親鸞は何故、ここにこういう邪定、不定という字をもっていらっしゃったのか。もちろん、『大無量寿経』下巻のいわゆる「成就文」のところに、三聚がでてまいりますから、それに注意されたのでしょうが、それだけでは、その三聚が「化身土巻」標挙に用いられる理由にはなりません。
 むしろ大乗の仏教というものがその本質において、邪定・不定・正定ということを問題にしなければならないものをもっていると見られたことにその引用の理由があろうかと考えられます。
 我われがよく知っております『十住毘婆沙論』を見ますと、そこにおいて課題になっている事柄は、自分は発心して仏陀の覚りを求めているけれども、この道がはたして仏の覚りに至るかどうかということについては、何の保証もない、もしかして、自分は大乗の覚りを求めているつもりであるけれども、いつの間にか、声聞独覚の二乗の覚りを求めていく方向をたどっているのではないか、という求道そのものに関する、そういう危機的なことといえます。
 つまり、仏道に関わる危機的なことといえます。つまり、仏道に関する危機的なことも発心した人の上に問題になるのであって、発心以外に仏道というものがあるわけではありません。その意味では、我われが発心するという、そのことの上に仏道の全体が成立するわけですから、もし、その発心したことが途中で消えるならば、仏道そのものも消えていき、そしてまた、発心したその方向が、もし間違った方向へ行くなら、仏道と似ても似つかないものになってしまう、ということになります。それほど、発心ということは、重大な意義をもっています。
 ですから、『十住毘婆沙論』ではさかんに二乗へ転落することへの恐れや、あるいは途中で発心した心がなえてしまい、つまり嫌気がさしてきて、仏道そのものを放棄することへの恐れが問題にされます。
 そんなことにならないという保証はどこにもない。道を踏みはずすだけでなしに、道そのものまで失ってしまうような問題を、我われの発心というものが抱えこんでいることを『十住毘婆沙論』は指摘します。
 そういう危機を持ちながら、どうすれば正定聚不退転というところに至ることができるのか。『十住毘婆沙論』では、阿毘跋致という言葉で正定聚不退転ということが目標として立てられております。この道は間違いなく如来の覚りに至るのであるという確信をどこで得ることができるのか。そういう問題のところに、正定・邪定・不定という問題が出てまいります。
 ですから『倶舎論』がやったように、単に人間のあり方を三つに分類したんではなしに、仏道を求めるという、その求める心それ自身の問題を展開したところに、三つの聚の問題が出てきているかと考えられます。
 背景としては、言いました『十住毘婆沙論』が考えられますが、この論を主体的に読み切った人が曇鸞であり、『浄土論註』が親鸞の三聚の捉え方に大きな影響を与えたことは予想されることです。
 そして、その後にこの「機」という言葉があると同時に、双樹林下の往生・難思往生という字がついています。往生は「証」を表す概念です。何故そういえるかと言うと、「証巻」の標挙がそうなっているからです。

必至滅度の願
難思議往生   (聖典p279

という言葉が「証巻」の標挙にありますから、往生ということは、これは証を表します。真宗がはっきりしないのは、この証ということがはっきりしないからです。
 往生は、我らにとって、それは証である。覚りである。真宗は他の宗教と違って現世利益的な明らかに欲望を満たすために立てられている宗教とは違う、といわれますし、私共もそう受けとっております。
 ただ、そういう明らかに人間の欲の達成のための宗教ではないのだ、といった時に、では、積極的に浄土真宗というものによって、何が明らかに なるのか、といえば、この証が当然問題になります。
 浄土真宗は仏教ですから、仏教である限り、覚りということをいわなければなりません。今は、その「証」について触れませんが、ただ、少くとも、邪定聚・正定聚・不定聚を問題にすることで、仏教に関係しながら、「証」が明確にならないことの現実と、その理由を明らかにせんがためかと考えられます。

2、双樹林下往生

 そのような視点から、はじめに双樹杯下往生から考えてみようと思います。双樹林下往生は、これは釈尊の入滅に関係してでてきます。
 クシナガラで釈尊が亡くなられた場所に二本の木があったという故事から、この双樹林下といえば、釈尊の入滅を表します。
 釈尊の入滅ということは、仏道の完成・円満ということを表します。やり残した仕事があるとか、老衰で亡くなったというような意味でなく、作すべきところのものは全て作した。教化すべきところのものは、全て教化した。仏道ということにおいて完成し、円満しているということを表すのが釈尊の入滅かと思うのです。
 そうしますと、少なくとも仏道ということに志を向けたものは、釈尊の入滅の意味するところが目標になります。道なかばで、わからないまま、疑いの中で終わってしまうということであれば、これは仏の道を求めた甲斐がありません。
 したがって、我われが仏の覚りを求めるという場合の目標は、釈尊の、この双樹林下の入滅が目標になってまいります。そういったことが、釈尊は生きていらっしゃる間に完成をみることができた。
 しかし、我われにおいては、そういう完成を現世においてみることができない。そうすると当然、未来に期待するという問題がでてまいります。仏道の完成のために未来に期待する。そして、仏道の完成を未来に期待する者のために浄土が説かれているんだという捉え方がでてきたといえます。
 浄土は釈尊の如くに、仏道を円満・完成するために建立されているのであると、そして、その浄土はあくまでも我われにとって未来である、と。そういう、我われの未来への期待に応えるものとして浄土が建立されているという仏教の理解が現実にでてきたと考えられます。
 といいますのは、もともとこの双樹林下往生とか難思議往生とか、あるいは、難思往生というこの三つの言葉は善導の『法事讃』のなかにでてきた言葉であり、善導はこの三つの往生でその当時の仏教の現実を伝えたと考えられるからです。
 別に善導はこの三つを、双樹林下往生がつまらなくて、難思議往生がすばらしいのだと、そんなふうにお使いになられたのではありません。
 しかし、三往生に三機をあてはめ、仏教の歴史を原理的に解明し、批判する言葉として捉えたのは親鸞です。
 善導の言い方からすれば、双樹林下往生もほめたたえているわけです。難思往生もほめたたえています。
 しかし、なぜ善導にこういう、双樹林下往生という言葉がでてきたかという問題が残ります。それについて一つ考えられますことは、善導の時代の仏道を求めるものといえば、ほとんどが出家者です。明らかに在家の生活を捨てて出家し、一つの道を選びとったのです。
 ですから、出家者には、その道が完成することを願うより他にどういう道もありません。ですから、出家したということに誠実であろうとすればするほど、釈尊の仏道の完成・円満を目標とせざるをえない。
 しかし、どうしても現世において可能でないと思えば、未来においてその完成を期待する。そして、そのためにこそ浄土が説かれているんだという受けとめは、極めて自然であったかと思うのです。
 このような仏教理解・浄土理解に根拠を与えたものが『観無量寿経』であったと考えられます。『観無量寿経』は中国におきましても、随分読まれた経典かと思うのです。それは、諸師方といわれますけれども、慧遠であるとか、嘉祥寺吉蔵であるとか、あるいは智ギであるとか、中国の各宗の祖師方といわれる人達が『観経』の註釈書を作っておられます。それは、よくよく『観経』が注目されていたことを表しています。
 どういう意味で注目されたかというと、やはり双樹林下ということに関係してくるかと思うのです。世間を捨てて仏道を選んだ以上、それが完成しなければ意味をもたない。人生のあり方を、世間的なあり方を捨て、出世間のあり方を取ったのですから、そこが実を結ばなければ、人生それ自身が意味を失うことになります。
 ですから誠実な求道者達にとっては『観経』というものは、仏道を歩もうとする場合の依り拠になったであろうということは想像できます。そういう出家者集団の中に善導はやはりおったものですから、そういう事情はよくご存知であったろうし、また理解もできたかと思うのです。そういう背景があって「双樹林下往生」という言葉が生まれてきているかと考えられます。

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Last modified : 2014/10/30 22:40 by 第12組・澤田見