9、難信之法

 大変個人的なことなんですけど、たぶん蓬茨祖運という方をご存知かとも思うのですけれども、かつて教学研究所の所長もしていらっしゃった方です。その先生に仲間で『観無量寿経』の善導の註釈書『観経疏』を読んでいただこうということがありまして、月に一度ずつ集まっていたことがありました。
『観経』に「如鷹隼飛」という言葉があります。人間が鷹の如くに飛んで行くとか、耆闍崛山を没して王宮に現れたとか、どう考えても変なところがありますが、ちょうど、そのくだりのところの講義の時に、蓬茨先生に「こんなことは変ではありませんか。どう考えても妙なことですよ」と言いましたところが、間髪を入れずに言われた言葉があります。「それはあんたの頭に入らんだけです」と言われました。
 それを聞いた時に、こっちも負けていませんから、何じゃこのじいさんと思いました。そんなものはでたらめではないかと。合理的理解を与えてもそれはみんな屁理屈ではないかと。結局経典に書かれていることを無条件に信用するという、批判精神のないところでやっているんではないかと。まあ、いろいろ生意気なことを思っておりました。
 その後、そのことがずっと気になっておりました。「頭に入らんだけだ」、馬鹿にされているような話ですから、決して愉快でありませんでした。それで悶悶としながら、その時はまだ金沢の方におりましたから、お参りに行きながら『阿弥陀経』を読誦しておりました。
 その内に『阿弥陀経』を見ておりまして、最後の方に「難信之法」という言葉が二回出ていることに気がつきました。そこでは五濁悪世の衆生のために如来は難信の法を説かれるとあります。これは流通のところに出てきます。そこのところがどうしても妙な感じを受けたのです。五濁悪世の衆生のためならやさしい法を説けばいいではないか。なぜわざわざ信じがたいものを説くのか。だから、お経など信用できないのだ、そんな馬鹿な話がどこにあるか、理屈に合わないではないかということで、疑問にもちながら、おりました。
 その後「難信之法」という字のサンスクリットを調べてみました。どういう原語が「難信之法」という言葉になっているのかと言いますと「我われの性に合わない」という言葉が「難信」と翻訳されていたのです。この言葉の意義を考えることから、人間の思惟の枠は、有を言えば必ずそこに無が前提されており、悪いということを言えば必ずそこに善ということが前提されている、この思惟の枠で物を捉え、この枠の上で、真実であるとか、あるいは真理であるとか、正当であるとかということを打ち立てようとしている、そういう思惟の枠そのものが問われているということがありまして、「頭に入らないだけだ」といわれましたことに納得がいく経験がございました。
 こういう思惟の枠ということを仏教の思想史の中では、唯識という教学が非常に深いところまで問題にしてきたことかと思うのです。『唯識三十論』の安慧の釈では「分別されたものはどこまでも分別されたもので分別された通りにあるのではない」という言い方がされます。
 下は地獄から上は如来にいたるまで、分別されたものである限り、真実ではないといわれております。ようするに、我われが仏のことを思おうと、我われが思うた通りに仏があるわけではない。我われがそう思うているだけで、浄土にしましても、仏にしましても、我われが思うたようにあるわけではないのです。しかし、この我われが考えた通りにあるのではないということは、なかなか知り難いのです。
 経典を読む、論を読む、誰かの書かれたものを読む。「ああ、浄土とはこういうものだ」というふうに考えていきます。しかしそれは、そう思われ、考えられたのであって、考えられた通りにあるわけではない。ですから我われの考えていること全て、親鸞とは、仏教とは、信心とは、本願とは、もう一切合切、それは我われの考え、考えられたことであって、考えられた通りにあるわけではない。
 そんなことをいったら、何も言えませんから、考えられたところを正しいこととして大体推論していくのです。

10、仏の証明

 そうしますと、我われは仏陀ということを作ることになります。先ほど『観経』のところに、最初に韋提は阿弥陀の国を仏の力によって見ることができ、また仏の力によって空中に立つところの阿弥陀仏に遇うことができた、という文があることに触れましたが、そういう表現が『観経』の中にあるというのは、非常に大きな意味があります。
 といいますのは、まず仏に遇うことがあることで、ではどうすれば他の衆生が仏及び仏の国土に遇うことができるのかということで、観法がたちます。観法がたつことで、その内容通りに把握されることが目的でなく、我われの思惟のあり方そのものが転換することが意図されているからです。すぐさま到ることのできるものではありませんから、先ず観法をたてるのです。
 我われの仏教への関わり方というものは、どこまでも我われが考えたところ、考えられたところを元にして、仏教ということを考え、仏の世界ということを考えていきますから、その限りにおいては疑城胎宮です。
 仏は仏自身が証明することです。我われの手だすけはいらないはずです。我われは、いろいろ手の込んだことを考えたりして、仏の存在を証明していこうとします。
 そうすると、仏に証明能力がないから我われがしてやるんだということになれば、仏というのはまことに頼りないものです。そういう意味で、ここに疑城胎宮とか懈慢界といわれているものは、実に我われ自身の宗教心のあり方、あるいは我われ自身の認識思惟のあり方、つまり、壁の存在を我われ自身に知らしめるのです。
 そのこと自身が根本から問われてまいります。もしそういうことがないなら、人間の考える宗教というものは、人間の傲慢の所産というより他はありません。
 親鸞は、人間がいろいろと作り、たてているもの、それを単に否定し、批判したのではなくて、そこには化身、化身土という意味があるのだということを表して、もう一度、我われの考えているところが教化されなければならないのだと見たのです。
 我われ自身が再度教化されなければならないという意味で、化身・化土というものがたてられているんだと考えたのです。そういう転換の契機をもっているものが『無量寿経』であると判釈したのです。

11、九十五種の邪道

 次に、非常に強烈な問題提起をなさいます。それは、九十五種の邪道を出て、少なくとも半満権実、広くいえば仏教というものに入ったわけです。外道・邪道というものを離れて仏道というものに触れる。仏道に帰した。とすれば、当然真なるもの、実なるものが多いはずであるのに、邪道にいた以上に虚偽になるというのは、いったいどういうことなのか。
 この文章は非常に曲折した、複雑な現実というものをよく捉えている言葉かと思います。普通、我われは迷信にいつまで首を突っこんでいるのか、真宗の教えを聞きなさいというような言い方をついします。しかし、ここを読めば、そうならない。邪道を出て仏法に帰して、しかも、邪道にいた時以上に虚偽になるとあります。これは親鸞の仏教及び仏教者の現実認識に外なりません。
 九十五種の邪道といわれるものは、六師外道、つまり、釈尊当時の仏教以外の思想家達のことを指す言葉です。六師については「信巻」の阿闍世の物語のところにその名前を知ることができます。釈尊の当時は、経済活動が非常に活発になった時代であり、そして各都市の間で自由に行き来がされた時代であったといわれております。
 ですから、保守的な生活形態が破れてきたために、様々な視点から思想を表現するものたちが出てきた。その代表者が普通六師といわれます。その六師の考え方はいくつかありますけれど、代表的には唯物論的な思想、あるいは因果を撥無する思想、あるいは逆に、全ては既に決まっているのだという宿命論的な思想があります。
 ようするに、人間と物との関わり方、あるいは人間と人間を超えているもの、つまり、自然や、不透明なものとの関わりを捉えようとしてでてきた思想です。
 その捉え方の中に、人間と自然との関係を捉えていった時に、人間が外側にされるような捉え方も出てきます。人間とものとの関係で唯物的な捉え方をすれば、例えば、葉っぱは散ったけど、別に痛いとも何ともいわない、散るということは全く、必然である。
 だから、人間の場合でも、殺したから死んだのではない、もともと死ぬべき存在であって、死んだだけである。阿闍世の物語に出てきますけれど、父親の殺害についてあなたは、わざわざご苦労にも手伝いしてあげたのだと、本当は感謝されなければならない。なぜなら、ほっといても死ぬものを、あなたはわざわざ手伝いして、殺してあげたのだから、本来なら、むこうから感謝されなきゃ ならない、だから悩む必要はないという捉え方です。
 ようするに、九十五種の思想は人間とは何であるかを人間と他のものとの関係の中で、いろんな視野から、視点から捉えていった。その捉え方がいつのまにか人間が疎外されるような捉え方がなされたという意味で、邪道というような意味がついたかと思うのです。
 この六師にお弟子さんがそれぞれ十五人いて、それで九十人になる。それに先生が六人入るから九十六人。六だと一人多いことになります。それは似たようなものが二人いるから一引いて九十五種だといわれております。これは、何か後からつけたような解釈みたいですが、いおうとすることは、ものと人間との関係から、人間とは何かを問うていった様々な思想であったということです。
 そういう思想によっていくならば人間が十分に解放されない。いたずらに人間を小さくしてみたり、あるいは、人間をもの化して考えてみることになる。このように人間とは何かと問うていったが、しかし、問うたことがどうも不本意に終わっていく。そういう様々な思想を総称して、九十五種の邪道といわれてきているかと考えられます。

12、半満権実

 そういう人間を外側にする、人間をもの化していくものを離れて、仏の教えというものに帰した。半満というのは、これは半字教、満字教という教相判釈です。大乗の教えに対して、小乗の教えは半字教です。
 つまり、子供にものをいう場合に、委細を極めてくわしくいったのでは子供にわかりませんから、かいつまんで、大事なところだけ、わかりやすくいう。全部をいわないわけです。全部いうてもわからんから、わかるところだけをいうという意味から半字。それに対して大乗は全てを説かれたものであるから、半教に対して満教。半字教に対して満字教というふうにいわれるものです。
 権と実は、これは大乗の教えの中に権教というものと実教というものがある。権は仮と読みますから、それを通して真実に入らしめんがために仮に説かれたものである。そういう意味で「権」です。
 半満権実で仏教を総称するわけです。仏教の門に入ったと。邪道を離れて仏教の門に入ったんですから、真実になっていいはずなのに「偽なるものはなはだもって多く、虚なるものはなはだもってしげし」これが釈尊以降の仏教の現実、仏教と関わった衆生の現実であると親鸞は見ます。
 そういう現実を押さえてという意味が、この「ここをもって」という接続詞です。
『教行信証』をお読みになっていかれる場合に注意しなけれはならないのは接続詞です。今の接続詞、「ここをもって」というのは、そういう仏教の現実、つまり、邪道を離れて仏教の門に帰するあり方で歴史となってきた、その仏教の歴史的現実が偽になり虚になっていることを認めたということを意味します。
 この仏教の現実を課題として、問題として『観経』というものが説かれてきた。またその背景に『大経』の十九の願もある。単に、経典というものがあるのではありません。衆生の現実に応えようとして、経典は生まれてきます。今ここでは虚偽になっていく、現実を乗り超えようとして、浄土ということが『観経』において説かれてきたという歴史的課題をもつものとして経典が捉えられています。
 ともかく、「ここをもって」という接続詞は、真実とならず虚偽となっている現実を認めたということです。そういう現実だと。しかしなぜそんな現実になるのか。邪道を出て仏道に帰して、虚偽になるのはなぜであるか。理由は直接ここには、何も触れていらっしゃらない。
 しかし、『観経』、十九願がもちだされてくることが、その理由を語っているのです。ですから、『観経』、十九願の意義を問うことでその理由がはっきりしてきます。そして、その理由が明らかになることが、我われにとって目覚めになるわけです。
 我われには理由がわからないままに、仏教に関係しながら虚偽になっている。ですから、その理由が明らかになってくることが我われの目覚めになります。
 ですから、この後「化身土巻」で展開するのは、その理由が問われるということです。『大本』の三心、『観経』の三心、『小経』の一心という問答が行われてきますけど、そういう問答を通して、その理由が明らかになっていく構造になっています。邪道を出て、仏道に帰したものが虚偽になる。その理由は何によるのか。そういう理由が衆生それ自身に自覚されるようにということで『観経』が説かれたと。
 そういう意味で『観経』に説かれている世界は、化身・化土という意味をもちます。我ら衆生を教化せんがためである。邪道を離れ、仏道に帰しながら虚偽になるという、その理由を我われ自身に明らかにし、自覚せしめんがため、という意味になってくるかと思うのです。

(1987年11月30日)

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Last modified : 2014/10/30 22:40 by 第12組・澤田見