教行信証化身土巻講義・第三講/平野 修

権実・真仮の分判

1、半満権実

 先回は、自釈のところを触れておりました。そこで問題になっていましたのは、なぜ邪道を出たにも拘わらず、仏教に帰しながら真実となることがはなはだ少なくて、虚偽となることが多いのか、ということです。

 最初にこういう問題が提起されておりますから、この問題が一貫して「化身土巻」を貫いている問題であると言っていいかと思います。

 なぜ仏教に関わりながら虚偽となるのか。そこに「半満権実」という字がございますが、この字自身は、聖道門の教相を表しているものです。「半」というのは半字教という教相です。

 半字、満字という意味で表されるものは、物事の半分だけを説いている場合と、すべてを説く場合です。例えば、子供から何かを問われても、その問われたことの全体の意味を言っていたのではかえって混乱するから、概略だけを、それも子供に分る部分だけを言うというようなことをします。そうしますと、この半字というのは「方便」という意味になってくるわけです。全部を言うわけではなくて、一部だけを取り出して教えるわけです。子供に分るように、子供に近づいて表現するんですから、方便というわけです。

「方便」という字はupaya(ウパーヤ)という字にあたります。upaという字は、何々の近くに近づくとか、近くという意味です。ayaという字は、そこへ赴く、そこへ行くという意味です。ですから方便という意味は、決して「嘘も方便」というような意味ではありません。

 その人のそばまで近づいていって、その人と通ずる。そういうことが方便という意味です。

 ですからこの半字というのは、方便という意味を持ち、小乗教がこれにあたるというのが天台の教判です。そしてその半字を通して、今度は「満」、全体を知る。これは小乗に対して大乗を意味します。

 そうしますと、この「半」と「満」ということの間には時間ということが考えられます。つまり、そこに歩み、歴史が考えられてきます。長らく全体の半分をもって全体だと考えていた時期があった。時間を経て、その全体を知るにおよんだ。ここに時と機と教の苦闘の歩みが考えられます。そうすると、「半満」という言葉は、単に教理を語るだけではなく、そのままで仏教の歴史ということを表す字になります。

 一つの仏教理解がどのような意味と位置をもつかが課題化され、批判されるところに教判ということがあります。としますと、ある仏教理解が阿含小乗といわれるには別の視点が開かれなければなりません。その視点も時代情況と時間経過だけで開かれるのではなく、仏教を求める人たちの歩みが従来の仏教の在り方を小乗と見る視点を形成してきたのでしょう。つまり、仏教者の歩みが、仏教の意味や位置を小乗・大乗という教相をもって表してきたといえます。それと同じ意味において、この「半満」という言葉に、仏教者の歩み、仏教の歴史の歩みということが考えられてくるかと思うんです。

 そして「権実」という言葉は、この字の下に教えという字がはいりまして、「権教」「実教」といいます。権という字は仮という意味です。やはり方便という意味で使われるものです。仮の教えです。そして真実の教えということで「実教」。これらは天台の教相を表す言葉ですけれど、これらの言葉によって仏教の歴史ということが考えられてさます。

 そういう歴史の視点からこの文を考えますと、九十五種の邪道を出でて、(聖典p326)ということは、我われが迷信から出たというような話ではなく、これは、釈尊が自ら仏陀と名告られたということが示されていると見なければなりません。仏陀が誕生されたというところに「九十五種の邪道を出」るということが起こった。そして、その後の仏教の歩みが「半満権実」という言葉で表されているかと思います。

2、仏教の歴史

 そうしますと、釈尊以降の仏教の歴史は現在どうなっているのか。釈尊の出世の意味は「九十五種の邪道を出」るということであったにも拘わらず、そしてその通りに仏陀の道を求めたにも拘わらず、現実は虚偽となっている。そういう意味では、大変手短かな言葉ですが、

 九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといえども、真なる者は、はなはだもって難く、実なる者は、はなはだもって希なり。偽なる者は、はなはだもって多く、虚なる者は、はなはだもって滋し。(聖典p326

ということで仏教の歴史、しかも仏教の歴史の現実が明らかにされていると考えられます。そして、痛ましいことに僧伽の終焉が告知されています。しかし親鸞は、釈尊の存在が「九十五種の邪道を出」るということで、仏教が衆生の上に輝いたにも拘わらず、その後虚偽になっていったのはなぜか、ということについて、直接ここでは答えていないわけです。

 しかしこの命題は、ずっと後まで関わってきます。そして、この命題の根拠と真理性は「真に知りぬ」(聖典・355頁)という言葉から始まって、更に「信に知りぬ」(聖典357頁)という言葉に続く自釈に至って明らかにされています。仏教者の行方を、これは「真知」し、仏教の僧伽の終焉と再生との根本的な理由を「信知」したことを表す自釈でしょう。ところが今は命題だけが示されて、「信知」に至るまでの問で展開していく方法になっています。おそらくこのような方法がとられるのは、なぜ仏教に関係しながら虚偽となるのかという問題は、どこまでも求道において出てきた事柄であって、この解釈もまた求道によって答えられなければならない性質の問題だからでしょう。

 このように、時代と機と教とを求道の課題として自らに課し、展開して、ついに「信知」されるに至らなければ応えたことにならない問題が最初に提起されております。

 続いて親鸞は、「ここをもって」という接続詞を用います。「ここをもって」という接続詞は、仏教の現実が終末的な情況になっていることを認めたうえで、その後このような情況だからこそ『観経』が求道上の必然として現われ、さらに、その『観経』の意義がやがて『大経』との関係によって全容が開明されることを予告するために「十九願」につながっていきます。このように、「ここをもって」ということで、『観経』という経典は、単に経典の一つとして説かれておったものだということでなく、そこに説かれるべき理由というものがあったという意味になってきます。

3、仏陀の三徳

 先に『観経』『大経』と申しましたが、この自釈のところでは「ここをもって」以下のところに「釈迦牟尼仏」と「阿弥陀如来」とになっています。この意味するところは、仏陀なくして仏教が成立せぬことを表すのと同時に、仏教の歴史的現実がいかに濁世にまみれていようとも、それを超えて仏教が再生するにしても、仏陀を見出し、仏陀によることであることを示しているものです。
 そして、

 釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説し群生海を誘引し、(聖典p326

と続きます。ここに「福徳蔵」という言葉が使われます。そしてこれと同じ形式で書かれている文章が「二十願」のところの自釈の部分にあります。そこに、

 しかればすなわち釈迦牟尼仏は、功徳蔵を開演して、十方濁世を勧化したまう。阿弥陀如来は、もと果遂の誓いを発して、諸有の群生海を悲引したまえり。すでにして悲願います。(聖典p347

とあります。この文章は、前のところと同じ表現形式です。ここからどうして同一の表現形式がとられるのか、また、それは何を意味するのかという疑問が生じますが、それを考えていく手がかりとして「福徳蔵」「功徳蔵」をとりあげようと思います。

 仏陀の徳(guna)を表す場合、仏陀に三つの徳があるといわれます。それはまず、智恵の徳があるということで、「智徳」です。そして、煩悩障とか、諸智障とか言われる言葉がありますが、煩悩が障害になる。また、知らない、無知ということが障害になる。こういう二つの障害を断ち切っているということで、「断徳」です。そしてもう一つが、我われがよく使います「如来大悲の恩徳」という「恩徳」です。

 これは、衆生が仏陀に感謝せざるをえない。そういうものを衆生に示し、衆生の方が仏陀に対して恩を感ぜざるをえないような徳を持つところから「恩徳」といわれます。このように、仏陀に三つの徳があります。

 この三徳でもって、仏陀とは何かということを表そうとするのでしょう。そうしますと、ここの「福徳蔵」、あとの「功徳蔵」は、三徳のことでいえば「恩徳」に属すると考えられます。

 しかし、なぜここで、ことさらに「福徳蔵」「功徳蔵」が持ち出されてくるかと言いますと、そこに仏陀を智徳蔵として強調して捉えてきた仏教の歴史が方向を転じてきたことを表すのでしょう。つまり、これまでの仏教の主流は、仏陀を智徳蔵と捉えてさた歴史です。真如・法性・空性等の言葉がそれをよく表しています。仏陀とは一切智者であり、煩悩・所知の二障を智恵をもって超えたものであり、分別を超えた不可思議として捉えられてきたのです。

4、智徳蔵

 そうしますと当然、仏教を求めるとは智徳蔵としての仏陀を求めることになります。そして、そこでは極度に抽象化が行われ、多くの人々には無縁となります。また一方では、仏陀の智徳蔵のごとくに自らもなろうとして求めたものが、その通りにはなれないということも起こってきます。いろんな障害が出てきて、道半ばで困り果てることも起こります。

 そして、その結果が仏道に関わりながら、虚偽となるという現実となってきたのでしょう。しかし、仏陀は智徳蔵ということだけで表されるものではない。としますと、ここに仏陀観の変化が生じてきます。それも仏教の現実情況から生じてきます。そういう意味がこの「福徳蔵」の言葉に見ることができます。

 もう少し、「智徳蔵」に触れますと、俗な言い方になりますが、智恵というのは、智恵が手に入った時には、その智恵によって恵みを受けるということがあります。しかし智恵、智の恵みは、本当に知るということが恵みになるのであって、途中しか知らないものにとっては、大変めんどうなものです。智恵半ばのものというのは、どんな恵みも受けないのです。苦労してるだけです。

 道を求めて、道半ばにある者も恵まれませんけれども、もし仏陀ということが智徳蔵ということだけで考えられるなら、そういう智恵を求めようとしないものは、始めから恵まれない者になります。そういう、恵まれないという問題に関係するのが、この福徳蔵という言葉かと思います。

5、福徳蔵

 仏陀は、智徳蔵という意味をもつものだけではありません。福徳蔵という意味も持っています。恵まれない者に恵みを与える。そういう福を与える。智恵がないために、また、智恵を求めるということがないことで、仏教に縁がないと考えられている者にも、もしその人が自らできる行をすることがあれば、そのことに応えて恵みを与えよう。そういう意味を、仏陀というのは持っている。それでここに福徳蔵という言葉がつけられているかと思います。

 なぜ仏教は「九十五種の邪道を出」るということから始まったにも拘わらず、虚偽になったのか。それは、仏陀を智徳蔵とのみ捉えたために、高度に観念化し、その仏陀の智徳はまことに高いものとなって、我われのはとんどの者は道半ばに置かれるということになります。全部を知れば知ったということになるんですが、半分しか知らないものは、結局知らないということと同じです。

 例えば、外国人と話をしなければならないという時に、その言われている言葉の中の単語が一つか二つ分ったぐらいで、意地があるものですから、三分の一ぐらい分った、という言い方をします。しかし、三分の一しか分らないということは、本当は分らないということと同じです。誤解なのです。三分の一ぐらいだったら誤解になります。

 それと同じように仏陀というものを智恵そのものとして捉えていった場合、我われが少し分ったというのは、誤解にもなりうるのです。ここに虚偽となるという意味があるかと思うのです。仏陀を智徳蔵とのみ捉えておったということが、我われが知りえたもの、それが三分の一や四分の一であれば、その知ったことが真実にはならない。仏陀の智恵は無尽、無量であるというなかで、少々修行して知ったことなどは、仏陀を知ったことにはなりません。それを我われは、知ったことのようにしてしまう。そうすれば、知っているところだけは知っていますが、全体の中にあてはめていくと、それは誤解もはなはだしいものにならざるをえない。そういうことが虚偽に結びつくといえます。

 そうすると、釈尊以降の仏教の歴史というのは、主流は仏陀を智徳蔵と捉えてきた、ということが明らかになってくるかと思います。これに対して、仏陀とは智徳蔵だけではない、という仏陀観から「福徳蔵を顕説する」ということがあり、具体的には、『観経』が説かれたという親鸞の仏教史観が示されます。そうしますと、『観経』というものが一つの歴史的使命をもって説かれているものだということを表すことになります。そしてここには、仏陀を智徳蔵としてのみ捉えてきた仏教の歴史が、多くの人に恵みを与えないという現実を、さらに虚偽になるという現実を引さ起こしてきたことに対する反省があります。そこではおそらく次のようなことが考えられます。

 まず、求道者自身にとって、此土において、この現身においてとうてい無量の智恵を覚ることができないとするなら、今までの歩みはどういう意味を持つのであろうか。何の恵みも受けないままに終わってしまうではないか、という問題が出てきます。ここに、死の問題と環境の問題があり、のちに浄土往生へと展開します。そして、それを真近に見ている者であれば、そんな仏教であるなら、求めても始まらないじやないか、むしろ、名利心を満足させた方がよいのではないかと、仏教について否定的にならざるをえません。さらに、求めても虚偽になるようなものなら、始めから求めるつもりもない、ということで、他の教えに向かうことも出てきます。

 そうしますと、そもそも仏教というのは何であるのか。人々を落胆させたり、人々に背を向けさせるために、仏陀は仏陀と名告ったのか。この現実をどうして超えるのか。もしこの現実を乗り超えることができなければ、仏教の存在理由はどこにもないではないか。そういうことに対して『観経』が説かれた、と見るのが親鸞の仏教史観と考えられます。その『観経』のもつ歴史的な意義を親鸞は、「福徳蔵」という言葉で表現したといえます。

 仏陀とは恵みを与えるものである。たとえその智恵についていけなくても、智恵の行をなさなくとも、その衆生のなすところに応じて福を開く。恵みを与えるのである。そういう意味を持つものが仏陀という意味である。そういうことで、智徳蔵のみとして捉えられていた仏陀が、福徳蔵というかたちで捉えられた。そういう意味になってくるかと思います。先に親鸞の仏教史観と言いましたが、この親鸞の『観経』理解はほとんど善導の仏教史観によっているといえます。

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Last modified : 2014/10/30 23:00 by 第12組・澤田見