教行信証化身土巻講義・第四講/平野 修

方便化身の浄土

1、現前・見仏・往生

 自釈が終わりまして、次に願文があげられています。先回、少し急いで申しましたので、少し繰り返しになりますが、『悲華経』からもう少し考えてみます。

『大経』の願文の後に『悲華経』の文が出されています。『大経』の願文ということであるなら、唐訳の『如来会』でもいいわけですし、『平等覚経』をお引きになられて、その願文に相当するところを引用されてもかまわないにも拘わらず、なぜ『悲華経』をお引きになられたのか。

『悲華経』というのは、必ずしも阿弥陀仏に関しての経典ではないわけです。その『悲華経』の中に、『大無量寿経』に出てきます本願文が、五〇の数をもって、ほとんどよく似たものとして出てきます。そして、『大経』の十九願にあたるところのものが、『悲華経』の四六番目の願でそこを引かれます。

『教行信証』においては『悲華経』は二回引かれています。「行巻」に『悲華経』の四五番目の願が引かれています。そういうことによって、阿弥陀の浄土に往生するということは、浄土教の経典だから出てくるということではなく、仏道を求めるといった場合に、阿弥陀の浄土の往生ということは避けられないことである。仏道を求めていくにおいて、どうしても阿弥陀の浄土の往生ということに突きあたらざるをえない。そういうことが仏道の中にある。そういう意味で、この『悲華経』をお引きになられて、浄土の往生ということが、仏道にとって必然的なことであるということを表さんがためであると考えら れます。

 そしてもう一つは、その内容によるかと思われます。この『大経』と『悲華経』の願文とでは、どこが違うかと言いますと、『悲華経』のところに出てまいります、見仏という問題です。『悲華経』に、

その人の前に現ずべし。その人我を見て、すなわち我が前にして心に歓喜を得ん。(聖典p327

とあります。これは、別の言葉でいえば、仏を見奉る、見仏ということにあたるかと思います。

 普通、我われがよく見ます魏訳の『大経』の十九願のところでは、見仏ということは、明らかな言葉をもっては出てきません。その人の前に現われる、現前ということだけです。『悲華経』の方は、現前ということと、見仏ということと、「来生せしめん」ということが最後に出てきまして、往生ということが出てまいります。これによって、臨終の時に仏がその人の前に現われるということは、仏を見奉るという釈尊以降の仏教の歴史が目標としていたことが得られるのである。そして、仏を見奉るということは、そのままで仏の国に生まれるということを意味するのである、ということで、現前、見仏、往生ということが一連のこととして示されてきます。

『大経』の十九の願で十分に言い表されていなかった事柄が、『悲華経』において展開されている。『大経』の十九の願が意味するものは、見仏、往生ということを内に含んでいるということを表さんがための『悲華経』の引用であったかと思います。こういう二つの理由が、この二文の関係において考えられるかと思います。そしてこれは、覚りを求めるものが、仏の方に近づくということは始めからある、というところの考え方です。しかし、仏の方から衆生の前に現われ出てくるということは、従来からあった考え方ではありません。これは仏陀観が違うわけです。衆生が仏の方に近づこうとする場合、その仏は理としての仏になります。しかし、仏の方が衆生の前に現われ出ようとする場合には、その仏は報仏、あるいは化仏になります。仏陀の在り方が違います。

 さらに、この『悲華経』にありますように、仏を見奉るということは阿含以来、「仏を見るものは法を見る」のであり、「法を見るものは仏を見る」ということです。仏を見るということは仏陀を覚ったということを意味しますから、それが仏教者の目標となります。そういう、仏を見奉るという事柄が自らのカにおいて可能でないもののうえに仏の方から衆生の前に現われ出ることによって、見仏ということを可能にする。そういう意味では、教理史的には、この『悲華経』は、『八千頌般若経』『般舟三昧経』『観経』という流れのうえからいきますと、『般舟三昧経』と『観経』との間に位置するような意味をもつ経典と考えられます。

 つまり、『般若経』から『観経』までの流れの中に見仏ということが課題になっていて、それが仏の方が衆生の方に現前する。衆生の前に現前するということを正面から取りあげた経典が『般舟三昧経』です。それをもっと具体的に展開したのが『観経』の来迎という思想です。そういう教理史的な流れを考えていきますと、だれもが見仏ということを課題にするけれども、その課題が、命終わるということにぶつかって、課題を果たさないままに終わってしまう。仏道を求めた以上、仏を見奉るということが達成されなければならないのに、途中で終わってしまうとするなら、今まで仏道を求めてきた意味を失ってしまう。まったく無意味なことに時間を費やしたということになってしまいます。そのことに応えようとして説かれたのが、仏が衆生の前に現われ、現前することによって衆生が仏を見奉るということが起こる、ということです。

 そういう、仏から衆生へということをテーマにした浄土教系の経典を中心としたものの中に、今までになかった一つの方向というものが示されてまいります。もちろん、そのことが本当にそうであるのかどうかという問題は残ります。たとえ経典の中に仏の方が衆生の前に現われるんだとあっても、果たしてその通りであるのかどうかということは、当然問題を残しています。問題は残していますが、求道者達の現実に応えようとした意味だけは確かにもっておったかと思われます。道半ばで終わってしまうとするなら、空過したことと同じことになる。少なくとも、そういう空過に応えようという意味があったということでは、求道者の現実に応えようとした面があったということがいえます。

2、仮令

 親鸞は、『大経』の十九の願のところで、「仮令」、「たとい」と読みますが、

寿終の時に臨んで仮令大衆と囲遶して、(聖典p327)

という、「仮令」という字に注目します。

 仮令の誓願、良に由あるかな。(聖典p343)という言い方がされています。つまり、大きな意味からいけば、十九の願が建てられた理由というものが、よくよく分ったという意味になりますけれども、それが、十九の願という言い方ではなく、この願文の中にある「仮令」という字を使って「仮令の誓願」という言い方をされます。ここに、考えてみなければならない一つの問題があるかと思います。親鸞は、二十願についても同じような言い方をしています。

 果遂の誓い、良に由あるかな。(聖典p356)と、同じ言い方です。これも広い意味でいえば、二十願が建てられておったという意味がよく分った、ということです。しかし、その場合にしても、「果遂」という、二十願の文の中にある言葉で何かを言おうとされています。

「仮令」というのは「もし」とも読むことができます。その場合は、命終わる時に臨んで、もし菩薩大衆に取りまかれて、その人の前に現われるということがなかったならば、正覚を取らないということになります。これを「たとい」と読みますと、この文章は、「たとい」という今日的な使い方からいきますとうまく読めません。

 ですから、「たとい」というこの意味は、「かりに」ということでしょう。ただ、この十九願は文章の全体が「設我得仏」という仮定法で構成されていて、しかもその文中に別の文が入っているという独特の願文です。二重の仮定によって「必ず」という意味を表すのでしょう。必ず行者の前に現われるという誓いの強さを意味します。しかし、親鸞の「仮令の誓願」と言った時には少しニュアンスが違ってくるようです。つまり、「仮令」というのは「かりに」と読もうと、「たとい」と読もうと、「もし」と読もうと、すべて未来に関することに違いありません。未来のことだから分らないのが本当なのですが、親鸞は「本願に帰す」ということで仏と遇うた。遇うてみたら、第十九願の誓いはうそではなかった。しかし、文字通りの在り様で現前するのでもなかった、という意味からいえば、真実といえない。そこに「仮令」を「たとい」と読まれた理由があったと考えられます。ですから、親鸞の読みは漢字の読みにしたがうというよりは、本願の意から読まれたということになります。このようなことが「仮令」から考えられるかと思います。

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Last modified : 2014/10/30 23:18 by 第12組・澤田見