罪と恥

少し横道にそれますが、安倍晋三首相が、二〇一五年八月十四日に安倍談話という形で戦後七十年談話を表明されました。その文章の中身は、またそれぞれ皆さまにてご確認いただければと思いますが、私がとても気になったのは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という言葉です。これは「この談話でもって、これから後の世代の人がもうこれ以上あやまり続けなくてもいいように」と読めるように思えます。

どうも、私たち日本人は「恥」ということと「罪」というこの区別がつきにくいのではないでしょうか。恥というのは人が見ていない時は、かきすてるものですよね。面子ということと関係していると思います。一方、罪というものは、仏教では人が見ていようと見ていまいと自らがおかした罪は、万劫消えないのを罪というと教えられています。
その罪をしっかり背負って生きて行く。罪をしっかり自分が担っていくことによって、その罪の主人公になって自立していくのだと聞いています。罪は無くならない。けれどしっかりとそれを担っていく主体になることによって一人となるのです。

「日本は韓国や中国にいつ正式に謝ったのか」という話は少し置いときまして、「いつまで謝り続けるのだ、あやまり続けなければならないのか」という声があります。しかし、お詫びと謝罪は意味が違います。お詫びは、時には時効の請求になります。「もういいだろう、もう何十年経つのだから」となるのです。それに対して、謝罪とは「罪を謝る」と書きます。私はどういう罪を犯したのか、どういう罪を犯す存在であるのか、謝罪というものは、人にするものというより、自分自身に向かうものです。

もう二度とそういうことをしない者になるために、謝罪をするわけです。もう二度と同じ罪を犯さないために謝罪をするわけで、お詫びとは向かう方向が違うと思います。

「いつまで謝罪しなければならないのか」と言う人は、また同じ罪を繰り返すのでないかと思います。他でもない自分自身のことを省みてそう思います。

ですから真宗大谷派は、この一九八七年に、侵略戦争を聖戦と呼んだ、そしてそのことを親鸞聖人の名前で、もしくは親鸞聖人の教えでもって正当化した。仰せになきことを仰せとした、教えにないことを教えとして語ってしまった。という二つの罪があるということを表明したわけです。

宗務総長個人から宗門の共鳴へ

ただし、この時の「謝罪」は宗派としてではなく、一宗務総長としてです。古賀制二という時の宗務総長がこういう言葉を表明して、たくさんのご遺族の方々や宗門内外の方々に理解を求めたということで、「宗門全体として」にはならなかったのです。挨拶の最後の方にこのような言葉が書かれています。(42 頁「資料」参照)「今、申しあげました私の言葉が幸いにもここにお集まりくださった皆さまの胸に共鳴を呼び起こし、共感の輪をひろげて、やがて真宗大谷派が全宗門の名において「非戦の誓い」を内外に向かって宣言できる日の一日も速く来たらんことを念願することであります。最後に、宗祖親鸞聖人の教誡を、あらためてしっかりと各自の胸深く信受するために、聖人の御言葉を拝読させていただきます。」ということで、『涅槃経』の「仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」という言葉が書かれてあるわけです。これが当時の宗派の姿勢です。

宗務総長の「全宗門の名において」という願いが一つ形になったのが、それから七年後です。宗門の近代史の検証をして、新しい『宗憲』にもとづいて儀式の見直しをした。そして全戦没者追弔法要という法要に名称を変え、その中で戦争中の宗門の歩みを振り返って謝罪をし、さらに「全宗門の名で表明できることが一日も速くきたらんことを願います」と表明してから、七年かかりました。かかりましたけれど、願いは継続され取り組みは続いていたわけです。

それが、一九九五年、宗議会と参議会の両会全会一致で表明された「不戦決議」です。一緒に一読いたします。

不戦決議
私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。
この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに 「不戦の誓い」を表明するものであります。
さらに私たちは、かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさえ見捨てられた人々に対し、心からなる許しを乞うとともに、今日世界各地において不戦平和への願いに促されて、その実現に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。
私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。
右、決議いたします。

一九九五年六月十三日 真宗大谷派 宗議会議員一同
一九九五年六月十五日 真宗大谷派 参議会議員一同

この「不戦決議」の言葉は、旗のようにしてお寺でもどこでも掛けられる形にされていたり、二〇一四年には奥羽教区の奥羽教研の人たちがポスターにして全寺院に発送されました。また、久留米教務所はこの「不戦決議」を木に刻んで講堂の横にかけています。ご本尊の横側です。講堂に行けばこの「不戦決議」に出遇うという形です。木に刻むというのはすごいなと思ってそれ見せていただきました。

さて、改めて申すまでもなく、この「不戦決議」の本当に一番大事なところは「これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意」という言葉だと思います。これは過去のことではなく、今を生きる私たちの仕事です。過去の宗門の歴史がどうであったのか、何を謝罪し、何を反省しなければならないのか、そして、今、生きている私たちが何をしなければならないのかということを、考え行動していければと思ってます。

「これらの惨事を未然に防止する」とは、今ならば何をすることかと、あらためて思うわけです。一九九五年、このようなことを決意したのが「不戦決議」です。

「戦争の罪責とは、もともと平和の罪責である」

少し違う話になるのですけれども、教学研究所で『資料集・真宗と国家』を発行していたと申しましたけれども、私も編纂作業に関わらせていただいていました。

私は大正時代から一九四一年(昭和十六年)までの資料集発行に関わってきました。その間の資料を丹念に見ることができました。その時に、強く「僭越なことをしてはいけないな」と思ったのです。私と一緒に編集作業を担当している者も、戦後生まれの者でした。あの厳しい時代を知らない者が、あの過酷の時代を生きた人たちが残した足跡、それを集めて資料集にして、それに批判を加えるということはすごく僭越なことです。

今だから言えることです。平和な時代だから「こんなひどいことしていたのだ」と言えると思うのです。「どのように資料をみていけばいいのか」としばらく悩んだ時期がありました。

それで、私たちが戦争を知らないならば、戦争を生きたお坊さんがたくさんいらっしゃるわけですから、戦争が終わったあとに、あの戦争を信仰の課題としてどう考えているかということを学びたいと思って、そのような人たちが何か言葉をのこされていないかと本を探しました。

残念ながら、日本の仏教者で戦争中の自分自身の言説に対して責任を持って、そのことを振り返り信仰や信心の課題にされている人はあまり多くなかったです。その中でも市川白弦さんという方がいらっしゃいます。この方は臨済宗妙心寺派の僧侶で、華厳経の専門家とお聞きしています。花園大学で教鞭をとられた方で、後に還俗されました。その方が、一九七〇年代に『仏教者の戦争責任』というタイトルの本を出されています。これは、今は誰でも読めるようになっています。法蔵館から『市川白弦全集』という全集が発行されています。全三巻で第一巻が『仏教者の戦争責任』だったと思います。「仏教者の戦争責任」という章はページ数にすれば五、六ページなので誰でも読める分量です。そこにこういうふうに書かれていました。

戦争体験は単なる戦争体験として捉えてはならず、それはどこまでも天皇制体験と戦争体験との統合としての聖戦体験として捉えられ反省されなければならない。我々の戦争責任の反省が天皇制に対する批判と我々の内なる天皇制的エイトスに対する自己批判を欠くならば、それは不徹底という他ないであろう。

資料編集作業の中で悩んでいる時に、こういう言葉に出あったわけです。

確かに私たちは戦争を知らない、戦場の実相というものも経験していない。けれども、戦争が残した様々な戦争の傷跡ですね、それは、体に残った傷や、心の傷だけではなくて、戦後社会の中に残っている制度。もしくは天皇制というのもその一つかもしれませんけれども、そういうものへの批判、これは戦争を経験していない、後のものでも課題としうるものでないのかなと思いました。

もう一つ出遇った言葉は「戦争の罪責」という言葉です。罪責の罪は戦争の罪。責というのはそのことに対する責任ということです。

戦争の罪責は、もともと平和の罪責である。戦争の罪責は、戦争の勃発と同時に生起したものではない。

という言葉です。

明日から急に戦争ですよと戦争になるわけではないですよね。平和だと思っているその平和の中で、平和を損なうようなことに目を閉じて見過ごし、時には自己保身して、目先の無事を願って日々を生きている。そういう平和の中で、平和に対する罪を犯し続けているこの日常の先に、戦争が始まり、戦争の罪責が勃発するのだと、こういうことを市川白弦先生の言葉から学びました。

まさに、今、私たちが生きている時代社会です。今、具体的な戦争というものは私たちの身の回りにはありません。けれども、この社会の中で、平和を損なう可能性がある事柄、そのことに関して無関心、もしくは無視、もしくは自分の家族や職場内での利害、「ちょっと言わないでおこう」とか、「言うとややこしい」とか、そういうことで目先の無事を願っているうちに、平和の罪を犯してしまっているということがあるのだと、この言葉から学んだわけであります。

大谷派の「不戦決議」の中に「宗門が犯した罪責を検証するということを通して、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意」するとあります。これは今、私たちにも、どういうことが何か一つでもできるのかということにつながっていくのかなと思うわけです。

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Last modified : 2020/04/28 17:56 by 第12組・澤田見(組通信員)