今月のことば/教化センターリーフレット2012/6
- 2016年01月20日(水)1:41
『唯信鈔文意』(聖典552頁)
何か悪いことをしたり、罪を犯したりすると、反省を促されます。それは、「改心」と呼ばれます。「改心」したとか、「改心」すると言っています。
この「改心」は、自分の思いを根拠として、自分で自分の心を改めるということです。悪いことをしたと反省し、次はしないでおこうと考えることでしょう。
しかし、本当に自分で自分の心が改められるでしょうか。
親鸞聖人は、
自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり(『一念多念文意』)
と、丁寧にいなかの人々にしるされます。
そうすると、自分の思いを根拠として、自分の心を改めるということは、自力の範疇であり、自分の思いで全てのことが、コントロールできるはずがないのでしょう。
ここで言う「回心」とは、我われのように、自分のことを自分の思い通りにできる、という自力の心をひるがえされることです。自分の力で何とかなると、自分の思いを根拠とし頼りにしていることに気付かされることなのでしょう。
また、その気付きも、私の努力で気付けることではなく、仏のはたらきによって気付かされるのです。ひるがえすとは、気がつけば元の心が転じていたということなのでしょう。
そして、転じるとは、自分の見ている方向が、ひっくりかえることなのではないでしょうか。
親鸞聖人は、捨てるということについても、標記のことばの後に、
みずからがみをよしとおもうこころをすて、みをたのまず、あしきこころをかえりみず
《自分自身を「善し」と思う心を捨てて、わが身をたよりとせず、小賢しく自分の悪い心を省みたりしないこと》(田代俊孝氏訳)としるされています。
(所出・教化センターリーフレットNo301 2012/6発行)