今月のことば/教化センターリーフレット2012/8

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わがくににうまれずは 仏にならじと ちかいたまえる本願なり

『唯信鈔文意』(聖典558頁)

今月のことば

『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩という菩薩が師である世自在王仏の前で、自らが仏と成るために、一切衆生が救われ、そして一切衆生が仏と成ることができる国土を建立したいと四十八の誓いの願をたてられたと示されています。そしてその誓願が成就して法蔵菩薩はついに阿弥陀仏と成られたと説かれています。

この四十八の誓願を阿弥陀仏のご本願と言いますが、その第十八願に「心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ」(真宗聖典18頁)とあります。
『唯信鈔文意』には「この文のこころは、乃至十念のみな(御名)をとなえんもの、もしわがくににうまれずは仏にならじとちかいたまえる本願なり。」(聖典558頁)とあります。

一切衆生(生きとし生けるもの全て)が、念仏申す身となって、我が国(阿弥陀仏の浄土)に往き生まれることを願ってほしい、そしてもし、念仏者が必ず浄土に生まれることがないならば私(法蔵菩薩)は仏とはならないと誓われたのがご本願なのです。

宗祖親鸞聖人は、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」(『歎異抄』聖典626頁)と教えて下さり、また、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」(同)と示して下さっています。

煩悩具足の私たちにとっては、ご本願の世界、言いかえれば一切衆生との共なる世界に目覚め、頷いて念仏申すことが真実の仏道なのであります。

(所出・教化センターリーフレットNo304 2012/8発行)