大谷派における非戦・平和の取り組み/山内小夜子

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「戦後70年の今 非戦を確かめる」集い(2015/9/15)講演録より

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はじめに

最初に三帰依文を唱和いたしますが、その後に皆さまと一緒に拝読したい文章がございます。レジュメの一番最後に「真言を採り集めて」から始まる文章を載せました。これをご一緒に唱和して、この会を始めたいと思います。

『安楽集』に云わく、真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。 (三帰依文唱和の後、全員で唱和)

あらためまして、皆さんこんばんは、私は山内小夜子と申します。どうぞよろしくお願いします。東本願寺の解放運動推進本部の本部委員です。

先ほど、議長からご報告ありましたように、今年は戦後七十年という大きな節目を迎えております。と同時に、今、どのテレビのチャンネルも、私たちの国がどちらの方向に向かって進んで行くのかと不安になるような報道が続いています。私もおそらく皆さまも心のどこかがザワザワするような毎日を暮しておられるかと思います。

今、皆さまと一緒に拝読した文章、これは『安楽集』というお聖教の言葉でございます。
親鸞聖人は、その生涯をかけて本当に大切な『教行信証』という書物を残してくださっています。『教行信証』は全部で六巻ありますが、その最後に、いわゆる後序、後書きの部分があります。
大抵の書物には前書きがあって、本文があって後書きがあります。前書きにはその本の筆者が言いたいエッセンス、「この本はこういうことをテーマに、こういう内容をお伝えしたいと思います」ということが書かれています。本文にはその展開が描かれ、後書きには筆者がその書物を書いた動機が書かれます。そして最後には、この本を発行するにあたっては、出版社の誰それにお世話になりましたとか、感謝の言葉があってその本が終わる、という構成になっています。

親鸞聖人の『教行信証』も、いわゆる前書き、「総序」といわれる序文、そして「教・行・信・証・真仏土・化身土」という本文があって、そしていわゆる「後序」といわれる後書きの部分があって、そこに「私はなぜこの『教行信証』を書いたのか」という動機が書かれます。大抵はそこで終わりです。

ところが親鸞聖人は、後書きの後に二つのお聖教の言葉を置かれています。『真宗聖典』をお持ちの方は四〇一ページをお開きください。『安楽集』と『華厳経』が置かれています。
先ほどは、そのうちの『安楽集』の言葉を一緒に拝読いたしました。次のように現代語に意訳できるのではないかと思います。

「縁があって、仏法に出遇うことができたものは、その喜びを後に生まれてきたものに伝え、後から遅れて生まれてきた人は先輩を訪ねて教えを請い、仏教の伝達が連続して絶えることがないようにしたい。なぜならば、人間の限りない生死の苦悩はこのような連続無窮の伝法によってしか解決できないからである。」

「前(さき)を訪(とびら)え、後(のち)を導け」とあります。私も職歴がいい感じに長くなってきました。若い頃は先輩の後ろ姿を見て追いつけ追いつけと思ったのですが、ふと気がつけば先輩が少なくなってきました。そうすると、今度は、私が先輩方からいただいたものをどうやって次の人に手渡していこうかと、考えたりすることがございます。

いわゆる後序に記された、親鸞聖人が『教行信証』を書かれた動機は、一つが承元の法難であり、もう一つが法然上人という良き人に出遇えたということです。この出遇いが人生にとってどんなに大切であったか、ということを喜びと共に丁寧に記されています。

普通の後書きはそこで終わるのですが、その後にわざわざ『安楽集』が置かれているということはどういうことかと考えますと、「願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。」という言葉の大切さが感じられます。大概私たちは、なにをしても、休むか、止めてしまいます。
つまり、ここに、「願わくば休んだり止まったりしませんように」という言葉をわざわざ置かれているということは「私たちは、休んだり止まったりするものだけれども、人間の、衆生の、限りない苦悩というものは、仏法の伝法、法義相続ということでしか解決しないのですよ」と。これは親鸞聖人が、おそらくご自身よりも後の世代、つまり私たちに対して、「願わくば」と「どうか頼みますよ」という言葉として、置かれているのではないかと私はいただいています。

今日は「願わくは休止せざらしめんと欲す。」という言葉を大切にしながら、お話をさせていただきます。

時を歴史に刻む

少し前、私たちのご宗門は親鸞聖人の七五〇回という御遠忌をお迎えしました。また、それぞれの教区で御遠忌をお勤めされたり、今、準備をしている教区もあるかもしれません。

重要なことは、「どうして五十年ごとに御遠忌を勤めるのですか」ということです。みなさんはどう考えておられますか。それは五十年ごとに勤めると決まっているからだと。あるいは親鸞聖人はとってもご立派な偉い方だから、という人もあるかもしれません。

しかしどうでしょう。私たちの宗門は親鸞聖人の御遠忌を五十年ごとに大切にお勤めしてきました。今回も、七〇〇回の御遠忌から五十年を経て七五〇回の御遠忌をお勤めしました。

御遠忌をお勤めするのは、この五十年の間に私たち宗門が経験してきたことを、七五〇回の御遠忌に遇うことができたその時を生きている者が、一度この五十年の歴史を引き受けて、次の世代に手渡していく節目の時ということではないでしょうか。手渡していくときには、自分が一回きちっと受け止めないと次に手渡していけません。

この五十年間に真宗大谷派という教団は何を経験したのか、そして私たちは、未来の人、これからの人たちに何をどういう形で手渡していくのか、そのことを親鸞聖人の御遠忌という時を生きるものが、一回立ち止まって考えてみよう。この時を共にするというのが、御遠忌をお勤めするということではないのかと思うわけです。
まさしく「願わくは休止せざらしめんと欲す」ということでないのかなと思うわけです。

言うまでもなく、時間は、一刻一刻、一秒一秒と過ぎ去って流れていきます。けれども、だからこそ、この流れていく時というものを刻んでいく必要があるのです。歴史にしっかり刻んで行くのです。これがないと、文字どおり「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』)となってしまうのですね。

時を、歴史として刻んで行く、そのためには先輩たちが何をしてこられたのか、ということを一旦振り返ってみる。訪ねてみる。「前を訪う」。何を経験した宗門なのか、もしくは大阪教区なのか。もしくはそれぞれのご寺院で、この五十年間一体どういうことを経験してこられたのか。そのことを一旦、御遠忌を共にするものが、自分で一度歴史を受け止めて、次の世代の人に手渡していくということが、大事なのかなと思っています。

宗門の近代史の検証

真宗大谷派では一九八一年に新しい『真宗大谷派宗憲』が出来たあと、それまでの自分たちの宗門の歴史を一度きちんと検証してみようという取り組みが始まります。宗門の近代史の検証ということで、具体的には明治期以降の宗派が発行した機関誌の復刻、もしくはそれぞれの儀式が『真宗大谷派宗憲』に見合っているかなど、儀式機構の点検がなされました。

この宗門の近代史の検証にあたり、機関誌の復刻を担当された柏原祐泉先生が「我々は近代の宗門から、ただ負の歴史のみをあげつらうことを慎むべきである。」という言葉を残されています。「こんなに悪い事をしていたということをあげつらうことは慎むべきである」と言われるのです。そして「しかし、負と正の事実そのものさえ不明確なのが現状ではあるまいか」と続きます。「私たちの現状は、いったい何があったのか、どういう歴史なのかということすら分からないままではないのか」と言われるわけです。結びは「我々は謙虚に着実にそして具体的に、そして恒常的に近代の我が宗門の歩みを自制する事を忘れてはならないと思う。」という言葉で締めくくられます。

大谷派教団が明治期以降どういう歴史かを示す基本的文献は、宗派の機関誌になります。宗派の機関誌である『真宗』は、皆さまのお寺に毎月届いていますね、あれは明治の初めから発行されているものです。もともとは『配紙』という名前でした。それぞれのお寺には届いてなくて、当時の組長のお寺に届いて、それをそれぞれのお寺にお伝えするということだったのです。その『配紙』が、『宗報』、『本山事務報告』、そして大正が終わった時に『真宗』という名前になって、今まで発行され続けているのです。

そして宗門の近代史の検証の動きの中で、一九八七年四月に、それまで勤めていた「戦没者追弔会」という法要が、「全戦没者追弔法会」と改称されたということがあります。

それでは、このような宗門の近代史の検証の歩みの中で少し明らかになってきた宗門の歴史の一部を、スライドで共有したいと思います。

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Last modified : 2020/04/28 17:56 by 第12組・澤田見(組通信員)