第二組 聞法会を開催しました

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今年度3回目となる2組聞法会が去る6月16日(金)午後2時より、天王寺区の宗恩寺(池田英二郎住職)において、ご講師に宮部渡先生(第15組西稱寺住職)をお迎えし、組内の住職、寺族、坊守、門徒、推進員等23名が参加して開催されました。

先生は、はじめに『歎異抄』後序より、「…まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。聖人のおおせには、〔善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします〕とこそおおせはそうらいしか」(聖典640頁)

と読み上げられました。

先生は若いころ、はじめて拝読したときは、善悪がわからないって、何故だろうかと不審であったと。しかし、学びを深めていく中で、善悪といっても自分の都合で言っていたり、正義を振り回してみても、それは真実とは言えないのではないかと気づかされると。

先生はご自分が作成された「鬼の3部作」を紹介され、はじめは節分の「鬼は外、福は内」に自分勝手な在り様を見出され、また桃太郎の童話に、私に正義があると主張することの疑わしさ、またご自身の経験を話され、自己中心的な在り様に気づかされたと話されました。

いかに私たちが煩悩具足の凡夫で、誤った判断をすることが多く、自己中心的であるか。そして、そのことに気づき、あさましいと頭が下がるとき(なむあみだぶつ)、煩悩は「真実のはたらき」によって養分に変わっていく、鬼が人間に変わっていくと、具体的でわかりやすくお話し下さいました。(レポート:細川克彦〈佛足寺〉)