六、請うなかれ求むるなかれ

靖国神社法案を契機として、いわゆる神の問題を考えてみなければならないようになったようです。神とはいっても、私たち日常生活では普通、神・仏として、厳密に区別しないで受けとり「生きている間は神さんに、死んだら仏さんに」ということぐらいの漠然とした概念で接しています。しかし、親鸞聖人は神を天神地祇としておさえられています。

天神とは日、月、星辰、四季の運行など“不思議なもの”としてあがめ、おそれてきました。地祇とは社会をつくるについて山河、海陸などの地勢のめぐみ、それらは山の神、川の神、木の神となり、人びとの幸福と繁栄のために骨を土にした先覚者、産業につくした人とか、戦いに勝って国をまもった人とか、正しい政治をした人などを神としてまつったのが地祇です。

これらをまつり崇めることによって、貧しい生活を精神的に豊かにし、人の心の糧としてきたのであります。それがいつか、人間の我欲によって利用され、除災招福の手段となり、ついに迷信化してしまったのです。仏という場合も、先祖そのものであり、それをまつることは、その霊をなぐさめ、あわせて先祖に守護してもらうための意味にしか受けとられていません。つまり神仏に祈念することによって、自己および家族一同が、難にあわず世俗の幸福感にひたって、楽々と一生をおくれるようにという交換条件から、神社にまいり、神棚をまつり、仏壇をおいたのでありました。

一人息子を戦死させ、家は戦災にあい、そのうえ主人と死別という悪条件の中から仏法に育っていった老婦人がありました。この人が縁あって再婚したとき、夫になる人に、
「私には仏道をあゆむということしか残されていません。聞法のために家を出ることだけは止めないでください。その他のことには無理はいいません」
これがその条件でした。晩年、癌になって苦しんでいましたが、聴聞だけは欠かしませんでした。
あるとき、注射、やいとのあと、シミ、ホクロの醜く浮き出た骨と皮ばかりの手と足を見せて、私に言ったことがありました。
「私はこの手と足を撫でながら拝んでいます。こんなやせた身体であっても、この身があればこそ仏法にあえたのです。私はこのやせた身体にお礼を言っています」
またあるとき、その主人が神棚をこわしているのを見て、
「なぜ、神棚をこわしているのですか」
「お前といっしょに仏法を聞くようになってから、なんだか、神棚はなくてもさしつかえがないように思うようになったのだよ」
その婦人は、そう私に話してくれました。
「それでは、あなたはなぜ仏壇をまつりおまいりしているのですか」
と聞きました。
「聖人の教えにあって、もうたのむことがいらなくなりました。ああなりたい、こうなりたいとあくせくしていた心が、どうなってもよかったと落ちつかせてもらえるようになりましたので、そんな心にまでお育ていただいた仏法にお礼を言っているのです」

見事な独立者、清沢満之先生の「請うなかれ、求むるなかれ、汝何の不足かある」の具現者といってよいでありましょう。

モンテーニュは、「虫けら一ぴきだってつくり出せないくせに、神々だけは何ダースでもこねあげる」と言っていますが、いつか煩悩によって神さまをつくり出し、その神さまの性格まで変えてしまっているありさまです。いのり拝むのは、それに相当するご利益を期待し、いや、それは神信心することにより、心が落ちつき、すがすがしくなり、感謝の心で生活できるからだといいますが、それもそういう心を交換条件として求めているのです。人間の欲望をみたすために神仏まで利用する。その心がますます人間の心を寒々としたむなしいものにしていく、それにさえ気づかないで、あせり狂っているすがた、それを和讃に「三塗にしづむ」と表されました。三塗とは三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)のことですが、ふと“塗”ということを考えてみました。

“塗”とは泥の意味であるとされています。また、塗炭の苦しみということばもあります。泥にまみれ、火に焼かれる状態をいったものですが、豪雨による土砂くずれによって家屋が倒壊する。土砂の中に生き埋めになって苦悶の形相で亡くなられる人びとが毎年でています。あるいは、高層ビルの火災によって、新建材よりおこる猛毒ガスによって窒息状態になり、にげようとしてもにげられない、無残にも焼けたセメントにひっかいた爪のあとがあったというニュースに胸が痛みます。

息がしたい、息のできるところにのがれたいと苦しみもがいている、無間地獄は阿鼻地獄ともいわれますが、阿鼻とは鼻がない、息のできない状態、これほどむごいことはないでしょう。しかし、その道がわからない。神仏を利用してまで、自己の煩悩を満足させたいと、息づまるようなあがきをくり返している、そして、ますますそれに気づかず、迷いを深めていくすがたに、道すでにあり、自己の根元のいのちの願いにかえれと示されたのでありました。

蓮如上人は、

それ、一切の神も仏ともうすも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神、もろもろのほとけとあらわれたまう(p789)

と言われ、また、

信もなき衆生の、むなしく地獄におちんことを、かなしみおぼしめして、これをなにとしてもすくわんがために、かりに神とあらわれて、いささかなる縁をもって、それをたよりとして、ついに仏法にすすめいれしめんための方便に、神とあらわれたまうなり(p780)

と、とりわけ神をあがめなくても、ただ弥陀一仏をたのむうちにこもっていると、明示しておられます。
長い間の日本人の心情の底に習俗化してきた神仏に対する考えというものは、一朝にしてとり除けるものではありません。いわば生活の一部にまでなっている、その心を、弥陀たのむ=本願をたのむ=ことによって、迷信盲信化した心が明らかに知らされてくるのです。つまり、神とは、私の弱い心、すがる心、たのむ心を知らしめ、独り立ちをして光に向かって歩めということを知らしめてくれるための神、私の浅い心を知らさんがために、かりに神とあらわれたのでありました。

金子先生が『大智度論』の一節を引いておられます。ある長老が若い比丘をつれて歩いていました。比丘は羅漢である長老の荷物をかついで、後についていました。比丘は、私はこうして荷を背負って歩いているが、この長老のように生涯、羅漢で果ててはならない、仏になるための菩薩道をあゆまねばならぬと、ふと思いました。長老は足をとめ、
「荷物を私にかせ、そしてお前は私の前を歩け」
若い比丘は長老の心をはかりかねましたが、その通りにしました。比丘はまた、考えました。菩薩道をあゆむということは、なみたいていのことではあるまい。この偉い長老ですら羅漢どまりではないか、わたしも羅漢ぐらいで満足しておこう。すると、長老は、
「待て、お前はこの私の荷物をもって私の後からついてこい」
長老はさっさと前を歩きはじめました。二、三度そういうことが重なりましたので、長老は年もとられ、気ままになられたなと思いました。そこで思いきってたずねました。
「どういうわけでありましょうか。私の荷物をもって後からついてこられたときがありました。また、しばらくして私に荷物をもたせて、先をあるかれました」
「わたしが荷物を背負って、お前を先にあるかせたときは、お前が大菩提心をおこして仏になろうという大願をおこしている。そういう人物には、私は長老であると、いばっておられぬ。そこでお前の荷物をもって、後からついていこうとしたのである。ところが、その菩提心がくずれて弱い心をおこし、羅漢で満足しておこうといいう心をおこした。羅漢でよいというのなら、私はすでにお前より先になっているから、お前は私の荷物をもって、後からついてこいといったのである」
と、こたえました。若い比丘は深く感動して大菩提心をおこしたとあります。

大菩提心をおこして仏道をあゆむものは天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することができないのです。本願にめざめた心には、いかなるものもたのむこともいらず、なにひとつおそれることもないのです。たのめばたのんだものにしばられる。しばられることによって、自由をうしない、果てはその顔色までうかがわねばならなくなって、その心は常に、不安と動揺、そして焦燥をくりかえしていくことになるのです。

天神地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念仏のひとをまもるなり
(p488)

と、和讃されていますが、自己の煩悩のつごうのよいようにまもられるのではありません。あくまでも本願にめざめた真実信心を守護されるのであります。

すでに明らかにされている神の問題、そして仏のことも、あらためて、いま一度、お聖教に照らしてたしかめなおす必要があるのではないかと思われます。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見