五、十余ヶ国の境をこえて
私の人生
おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり(p626)
という言葉から、『歎異抄』第二章がはじまっています。おもうに関東常陸の国より、京に帰られた聖人をたずねて、四、五人乃至十二、三人の人びとが、いのちがけでたずねてきたその本心は、ただ一つ、往生極楽の道を問いきかんがためでありました。往生極楽の道とは、言葉をかえれば人間成就の道ということでありましょう。
常陸を出発して、下総、武蔵、相模、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、近江、山城の十余ヶ国をこえていくのですが、それぞれの国にはそれぞれの特質があります。人情のこまやかな国もあれば、薄情な国もある、暖かい土地もあれば、寒い地方もあります。風土、習慣、言語、なに一つとして同じものはありません。その未知の国を歩むのですから、その道中どんなことに出会うかもしれません。どれ程か緊張もし、不安も感じたことでありましょう。
そのような求道の先達のすがたを偲びつつ、ふと「十余ヶ国の境をこえて」とは、私の人生でなかったかと、思いつかせて頂きました。苦難、困難、災難さまざまな体験を通して、人間が人間に成っていくのではなかったのか。つらいこと、悲しいこと、嫌なこと、そこを通らぬことには人間が成就しないのではなかったかと、思ったことでありました。
通らねばならない道
一年の四季にしても、春はよいが夏は嫌、秋はよいが冬は嫌と、いくらいってもどうにもならないのです。夏は暑さをのがれられないし、冬の寒さもにげることはできません。夏は汗をながして暑さにうだればよいし、冬は寒さにふるえて身体を固くしたらよいのです。それを今は冷暖房の中に逃げるようになりました。
放し飼いにされている猿の国の見学心得にこう書いてありました。
一、にらんではいけません。
一、にげてはいけません。
一、さわってはいけません。
一、こわがってはいけません。
一、さわいではいけません。
猿に怪我をさせられる人が多いので、つい書かれたものでしたが、私も人生におこるさまざまな出来ごとを、にらんではなりません。取り乱してさわいでもならないし、にげてもなりません。といってこわがることもいりません。「災難にあう時節にはあうがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」といった良寛さんの言葉をかみしめれば、いかなる現実も素直にうけとっていくことが教えられるようであります。
むかし、剣術修業のため入門した武芸者も、決して最初から竹刀はもたされず毎日は拭きそうじ、まき割り、水くみの日課でありました。それが何年間もつづいて脱落する人も多かったようですが、その無駄と思えることが、身体をきたえ心の坐りをつくるためにも、欠かすことができない訓練であったのです。矢張りそこを通らねばならないのです。
人間成就とは
明治のはじめ、税所敦子という歌人がありました。京の仏法者の家に生まれ、幼い頃より歌の道に入り、のち縁あって同門の税所篤之の後妻となりました。一女を得ましたが、夫は亡くなりました。鹿児島に在住している老母をたのむと遺言されましたので、念仏禁制であったその土地に赴く決心をしました。同門の人は念仏者であるあなたには迫害にあいに行くようなものであると引きとめましたが、敢えて幼女の手をひき鹿児島に下りました。二人の先妻の子と、老母の待っている実家は、この人にとって針のむしろであったと伝えられます。人情、風俗の異なる南国の果てで、都そだちのこの女性は、どれ程か心細く淋しさを感じたことでありましょう。連日の苦労も又、並大抵のものでなかったようです。あまりにも姑の嫁いびりのひどさに、遂にその地の人々もたまりかね、税所の鬼婆とののしるようになりました。
わたしのことを鬼婆といわせているのは、おそらくあの嫁であろうと、いきり立つ心をおさえて嫁をよびつけました。
「わたし、いま歌の下の句をつくりました。これに上の句をつけて下さいな」
と、わたされた下の句。
「鬼婆なりと、人のいうらん」
鬼婆といわれるのには、いわれるだけの原因があります。しかし、それを指摘することはゆるされません。お待ち下さい、とさし出した上の句。
「仏にもまさる心と知らずして」
と、ありました。
仏にもまさる心と知らずして、鬼婆なりと人のいうらん
じっと見つめる老母の我執は、この時はじめて崩れ砕かれたのでありました。
彼女はさまざまな苦難を人間成就の道とうけとり、勤めはげんだのであります。
朝夕のつらきつとめはみ仏の
人となれよのめぐみなりけり
つらいつとめをめぐみとうけとって、人間成就の道を歩んだのでありました。
人間成就とは偉い人になることでもなく、人格者になるのでもなく、仏法者、後世者らしくなるのでもありません。自信を深信するめざめた人になることです。それは如来の教法にあってのみ自覚せしめられるのです。一つ一つの出来ごとがすべて自分を明らかにする材料であり、十余ヶ国の境をこえていくことが御縁となっていくのでありました。
光をあおいで
経典に「大海の水の深さは知れても、わが心の深さは知れない」とありますが、親鸞聖人ほど、自分を凝視しつづけられた方はありません。八十五歳になっても
浄土真宗に帰すれども、真実の心はさらになし(p508)
と和讃し、
無慚無愧のこの身にてまことの心はなけれども(p509)
と、悲歎述懐なされました。わが心に蛇蝎をみられて、慄然となされたのです。しかし、この地獄一定の悲しみにおたちになったからこそ、如来の本願に遇いえた慶びも、又一しおであったのです。南無のところに既に阿弥陀仏がおられたのです。光なきもののみが、光を仰ぐことができるのです。
『阿弥陀経』の中に
これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰う(p126)
と、あります。十万億の仏土とは私の一生であり、人間成就ということに目覚めたものには、十余ヶ国の境をこえていくことがすべて、仏土であったとうけとっていけるのでありました。
Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見