二、いかがせん

報恩講の結願日中は、声をかぎりに奉唱される恩徳讃をもっておわります。本年も無事につとめさせていただいたという感激にホッとして、お厨子の御真影を仰ぎみ、人生の晩年になっても、根源のいのちの世界を重厚にして格調高く、詠いあげずにおれなかった聖人のお心をお偲びすることでありました。人間の肉体は二十五歳を頂点として、追々と下降線をたどりますが、頭脳は四十二まで上昇し、その人の努力によっては三十年間持続し、七十歳すぎころは次第に衰えを見せはじめるという、医学の発表を見たことがあります。

聖人の仏法のお仕事は、人の心も肉体も衰える時から始まりました。ためにためたものがせきをきって流れ出すように、筆をとりつづけ、しかもそのいのちの若々しさ、みずみずしさ、力強さ、のべずにおれない情熱のほとばしりを、そこに感ずるのです。『正像末和讃』は康元二年聖人八十五歳より稿をおこし、翌正嘉二年九月二十四日に完成しています。そして『末讃』五十八首の最期が、所謂、恩徳讃で結ばれているのです。

しかし、ふと気づいたことですが、「いかがせん」という言葉の和讃が三ヵ所でています。

正法の時機とおもえども 底下の凡愚となれる身は
清浄真実のこころなし 発菩提心いかがせん
(p501)

往相還相の回向に もうあわぬ身となりにせば
流転輪回もきわもなし 苦海の沈淪いかがせん
(p504)

往相回向の大慈より 還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせん
(p504)

「いかがせん」とは、どうしよう、何としよう、何とかならぬか、途方にくれて、あちらを見、こちらを見て弱り果てている状態をあらわしているようです。自力のかぎりをつくし、つくしてみても、清浄真実の心のない、流転輪廻するよりほかない、何れの行も及びがたい地獄一定の身が、はからずも本願に遇いえた喜び、聞きがたくして聞くことを得た感動、もし本願に遇うということがなければ曠劫に逕歴しなければならなかったろうという悲しみ、その相反する真理を「いかがせん」という一語をもって表現された聖人の心境を、ここにみることであります。まことに、家庭問題、経済問題、子供の問題で「いかがせん」と、思い悩んだことは何度かあったことでありますが、生死の一大事について「いかがせん」と命がけの問題にしたことがあったでしょうか。

メッカ殺人事件というのがありました。昭和四年生まれの犯人Sの父は弁護士、母は夫の死後、女学校の先生をして、子供たちに大学卒業をさせました。成績優秀であった本人は中学半ばで結核になり、病弱のため公立高校に入れず、慶應大学経済学部に入りましたが、当時は不治と見なされていた結核のため、いつしかグレだし、ギャンブルにうち込み賭マージャン、競馬などに熱中しました。大学を出て某証券会社につとめましたが、投機をやって会社の金をつかいこみ、その穴埋めのため、たえず情報を提供して金をもうけさせてやっていた株式のブローカーに借金を申し込みましたが、断られました。
怨みに思って、本人は新橋のメッカというバーに誘い込み、バーテンと共謀してロープを首をしめ、鞄の中の四十万円を奪って逃げましたが、つかまりました。生涯の非行はこの一件。前科もないところから裁判官は慎重を期しました。東大の犯罪心理学の権威吉益教授が、その精神鑑定を担当しました。獄中、『黙想ノート』という書を著わし、印税二十何万円かは、役に立つところに名前をいわずに寄付してほしいと申し込んでいます。他の機関誌にも執筆しましたが、稿料は生きている間に一つでもよいことをしたいと、手にしていません。

吉益教授の精神鑑定はきびしいものでした。
「本人の犯行は環境から生まれたものではない。人間愛とか、同情とか、共同感情、博愛といったような言葉で現される高貴感情が本人には欠如している。無情性精神病質者である。しかも、これは生まれつきの素質で、如何なる教養をもってしても、情性の欠如を補なうことはできない」
教育訓練をもってしても、本人を愛情をもった人間にはなし得ないと、断定されたのです。人間に人間の精神鑑定ができるのかと、疑問を感ずるのですが、死刑を宣告された本人に、その時の拘置所長が、この鑑定書の言葉をみせて、この点に関して君はどう思うかとたずねました。その拘置所長が大阪矯正管区長となられて、第十九回近畿教誨師大会でこのことを話されました。本人の答えは静かに深いものであったといいます。

「吉益先生のお言葉、これは私のやった犯罪から見れば当然のことで、それどころか、もっとひどい言葉でムチうたれるのが当然だと思います。ただ、おかげさまで、私はもうくさされても、ほめられても、それで大きく心が揺れるという境地だけはこえることができました」

深い感動が私をとらえました。死を前にして何と崇高な精神に到達したことか。キリストの教えが深く、ここまで浸透したことの尊さに頭下がるばかりです。それにひきかえ、何とまあ私の毎日は散乱放逸の連続であることか。凡夫と仏によばれたこの人間の心の動きは、最期臨終まで、とどまらず、きえず、たえずといった状態から寸刻もはなれることができません。ほめられても、くさされても大きく心が動揺することがあってはならない、それが金剛堅固の信心なのだと教えられたならば、いかがせんという歎きをくり返すより外ないばかりになってしまいます。

ふと、暁烏先生のお歌が目にとまりました。

ほめられてうれしうのぼり けなされて悲しうしずむ めでたきわれよ

なんとかなりたいと力んでいたものが、なんともならないままでよかったのだと、この歌が教えてくれます。何によっても心が動揺することのない堅固な心をもてと、聖人はいわれたのではなかったのです。「仏かねてしろしめして煩悩具足と仰せられた」という言葉にあいながら、少しも遇っていなかったのです。既に見ぬかれ、見透され、知り尽されていた私であったという本願の前に、何をきばることがいりましょうか。両手はなしたままで、煩悩一ぱいを生きたらよかったのです。

「めでたきわれよ」と、自分を見つめる眼、この眼こそ覚めた心、如来の心です。覚めた心がゆるがぬのです。如来よりたまわった信心が金剛堅固であったのです。都合のよい悪しに拘らず、心はどれ程動揺しても、願生浄土の願いの原点に帰らしめられるのです。真実の人間になりたいという願いに引き戻されていく、願い一つが不退転であったのです。

「いかがせん」という心境を通してこそ、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」と、結ばれずにおれなかった聖人のお心そのままが、いまの私の人生に大きな灯炬であったと、しみじみ味わったことでありました。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見