四、光暁かむる

智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かふらぬものはなし
真実明に帰命せよ
(浄土和讃・p479)

無量光の徳を表した御和讃であります。

「有量の諸相」に「世間にあることは、みなはかりあるによりて有量という」と、御左訓されています。いかなる人も一回かぎりの、繰り返すことができぬ人生を、独りで歩む、そして必ず終わりがくる、それがある日突然にやってくる、まさに有限にして無常なる厳粛な生の事実を生きているのです。「光暁」の御左訓には「光にてらさるるなり」と、あります。又、「暁」には「あきらか、さとす、つげる」という意味があります。有限無常であることにおちつけない、満足できない、そこで無限に手を出し、完全であろうとする人間に、有量でよかった、有限無常でよかったのだと、有限者としての存在に、異議と場を与え、かわる必要がなかった、私は私でよかったとあきらかに、さとらせ、つげてくれるもの、それこそはかりなき智恵の光明のはたらきであります。

先年、洛東の禅林寺、通称永観堂の「みかえりの御本尊」を拝観しました。何とも童顔としか表現しようのない、あどけない、可愛らしいこの阿弥陀像はお顔を真横にむけておられました。つまり見返られたお姿であります。聞けば永観律師(一〇三二-一一一一)は子が親を慕うごとく、この阿弥陀如来にお給仕申し上げ、毎夜、念仏申しつつ堂内を行道するのが、その日課でありました。ある夜、ふと前方に暗い影をみとめました。狐狸のたぐいかと、思わず立ち止まった永観に、その影はお顔をふりむけ、「永観おそし」と、声をかけられました。眼をこらせば、朝夕お仕えしている阿弥陀如来であります。あまりの勿体なさに、おそれおののき「そのままのおすがたにて、衆生済度の実をお結び下さるように」と、お願い申しましたところ、お顔は見返られたままのお姿になられたということです。

随筆家の岡部伊都子さんは、この「みかえりの御本尊」は、陽の目をみることも出来ず、うづくまっている人、常に人の前に出ることも出来ずおくれて歩む人、ついそのため、ひがみの心をおこして自信をうしなっている人にまで、お顔をめぐらし、いたわりの眼をむけて、共に歩もう、自信をもてと、どこまでも待ちつづけ、信頼していて下さる大悲を象徴したものであると評しています。すばらしい感覚です。

更に言葉を足すならば、得意の絶頂にあって、ついわが身を忘れて走りすぎている人、人を見くだし自分の地位・権力・富をほこって高あがりをしている人にまで、危いぞ、怪我するぞ、有頂天になるなと、ふりかえってまで、素直な自分にかえれと声をかけられる姿でもあります。

自分が自分を忘れて、自分以外のものになろうとする、なれる筈はないのに、人間の眼が外に向かっているところから、ついあこがれるのです。「あこがれる」は「あくがれる」から転じた言葉で、「あく」とは居り場所、「がれる」は離れるということを意味します。だから「あこがれる」とは、自分の居り場所を離れる、幸福をあこがれるとは、自分の居り場所に満足できないで、青い鳥をさがすように外へ外へと追いかけていくことなのです。しかし、どれ程、外へ求めても満足もなければ安心もありません。実は、その自分の居り場所にこそ、阿弥陀の願いの光がかけられてあったのです。

花に酔う胡蝶は胡蝶蓑虫は簑着たるまま春の光に

という歌を見たことがあります。胡蝶は美しい羽根を広げて、花に酔うごとくとび交うまま、蓑虫は簑着た見苦しい姿のまま、その身一ぱいに春の光を蒙っているのです。胡蝶は胡蝶のままでよいのであり、蓑虫は蓑虫のままでよいのです。エビはエビのままでよいのであり、カニはカニのままでよいのですが、戦後ザリガニ(私の方ではエビガニという)というのが出ました。おそらくエビがカニにあこがれてなった姿でありましょう。

数年前、癌でなくなった勝次郎さんのことを想い出しました。
その頃でたストマイで耳がおかされ、それまではその寺の総代や世話方などをしていましたが、耳がきこえなくなって、寺役をすべてやめ、聞法一途の晩年をおくりました。いつも演台の前に座り、首をかしげ、耳に手をそえ、一言も聞きもらすまいと努力していました。毎年の父の命日にお取り越しをつとめ、多くの人びとに案内し、自ら甘酒をつくり、お供養の品々を配ってもてなしました。その時も私の目の前に坐って、きき耳をたてていました。
ある時、私は聞きました。
「勝っちゃん、よく聞こえるのですか」
「聞こえる時と、聞こえぬ時があります。天気のよい日は割合によく聞こえますが、曇りの日、雨の日などはさっぱりです。又、声が大きいからよく聞こえるともいえず、声が低いから聞こえぬということもないのです。不思議な耳です」
「今日はどうでした」
「天気のせいか、聞こえたり聞こえなかったりです」
「それでは法話のすじがわかりませんね」
という、私の愚問に、
「そりゃわかりません。ちぎれちぎれに聞こえてきて、ちぎれちぎれにお念仏させていただいているだけです。でもね、聞こえぬときは、話される方の口もとを見ていますよ。その口から尊い仏法が流れ出ていて下さるのかと思いますと、目からも仏法が入って下さいます。話はわかりませんが、仏法はわからしていただけるようになりました。なあに、よく聞こえていた時でも、こと仏法のことになると、心はあちらにとび、こちらにとびで少しもおちついていませんから、ちぎれちぎれと同じことです」
「それでも、昔のように、もう一度聞こえるようになれたらなあと、思わぬことはありませんか」
「いや、そんなことは思いません。もし、よく聞こえていたら一生寺役ばかりして、人さまの世話ばかりでおわってしまうことでしょう。聞こえなくなったおかげで、我が身の世話をさせていただくことになりました。このままでよいのです。これでよいのです。有難いことです」
少しもかげのない明るい顔で答えてくれました。

私は私以外のものになれるものでもなく、又なる必要もなかったのです。私の人生の歩みそのものがかけがえのない尊い一生であったのです。あれがなければ、これがなければと愚痴をいうこともなく、ああなれたら、こうなれたらと思い惑うこともないのです。すべては今日の私を生み出してくれた仏縁であったのです。どれ一つ欠けても、今日の私はなかったでありましょう。私の一生にお礼さえいえてくるのです。

しかし、人間の迷いの業の深さから、時にはなれぬことをのぞんでみたり、なれぬことに悲嘆してみたりすることもあるでしょう。本願に目覚め、うなづいた心を信心とあらわされました。それは「歓喜地」ともいわれています。単なる歓喜ではなく、「地」といわれた一言に千鈞の重みを感じます。私たちはいかなることがあっても、大地から離れることが出来ぬように、どれ程、自分の居り場所を失った生き方をしていても、いつでも素直な自分、私は私でよかったという、きばることもいらぬ、力むこともいらぬ、両手はなしたままの広大な世界に帰らしめられるのであります。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見