18. 覚如の意図

 これはやっぱり、覚如上人ほどの頭脳明晰なお方が、こういうふうにまでして位置づけて書いているのですから、それはやはり、そういうふうに覚如上人が書かなくてはならなかったわけです。そういう前後の文章をもって、後序の文を二つに分けて、しかもそれを逆転させてまで位置づけていかなくてはならない理由があったといわなくてはならないのだと思います。それはいったい何かといいますと、一言で申しますと、弾圧下の宗教、したがって限り無く弾圧をされていく宗教というものが、少なくとも、その時代その時代の世俗の状況と手を結ぶことができるには、手を結ぶことのできる決定的な要素がいるのですよ。それがなければ手を結ぶことはできないのです。

 一方は弾圧する側であり、一方は弾圧される側なんですから、弾圧する側

と弾圧される側が仲良くするということはないわけです。理屈としてもないわけだし、事実もないわけでしょう。

 そうすると、親鸞聖人の思想が終始弾圧下に醸成された教学の営みだということは常に、ある意味で社会権力のもとでは、それが正当として認められないものとして、いつでも弾圧の対象とならざるを得ないような性格を本質としてもっているということです。そうすると、そのままでは教団というものは成立しませんよ。もし成立しても、それは成立したとたんに弾圧されます。その一番明らかな例があるわけでして、それが吉水教団の弾圧です。吉水教団は、決してその当時の権力支配のもとに従っていくことのできないかたちで、人間の解放ということを表現した教団だったわけです。だからして吉水教団に対する弾圧は、本当に草の根分けても地上から抹殺するというかたちで行われたわけでしょう。

 これは、西洋の方の宗教史を研究している先生も、それを言うておられるということを聞きました。日本という国の宗教史というものを垣間見ても、いわゆる日本における宗教弾圧のほとんどが、キリスト教の場合のような厳しさではないと言ってもよい。あっても個人に対する弾圧であることの方が多い。そういう中で、本当に希有な宗教弾圧は吉水教団の弾圧だ、ということを指摘しております。

 確かにキリスト教会が、しばしば諸々の国家権力のもとで弾圧されるということがあります。時によりますと、非常に曲ったかたちで、魔女狩りといわれるようなことにまで発展する形の弾圧があるわけです。ところが、日本の風土であるのか、これまでは日本人の風土性とひっつけてしまいましたけど、そういうことではないんでしょう。やっぱり宗教が宗教として自立したとき、その自立は少なくとも人間の世俗の権力と仲良く共存していくことのできないものを本質に持っているということであるわけです。

 とすると親鸞聖人の思想がそういう弾圧下に醸成された教学であり、思想であるということになりますと、これは本願寺教団はどうしたって成立できません。そのままで成立したとすると、吉水教団の二の舞を踏むだけです。とするならばいったいどうすればいいのか。

19. 本願寺を名告る教団

 いわゆる法然上人の正統を受け伝えたかたちで、しかも世俗の中で、本願寺と名告る教団として自己を位置づけていくということになると、これは本質のところでかなり矛盾をもっていることを承知で、一つは正統性をキチッと表現するということと同時に、世俗と共合できるという部分をやっぱり打ち出さなくてはならんわけです。そうなった時、親鸞聖人が一番厳しく問い続けていった事柄が、そこで全部狂っていくわけです。いわゆる伝統相承ということの意味も、きわめて個人的なことになっていき、それが加えて、血脈ということとひとつになった時、その血統ということが、仏法を伝統する必然性があるとは決していえない。これは当然のことでしょう。

 現に、東本願寺がどうだとか、私達の寺がどうだとかいう話をしとるんじゃないんです。当然のことでしょうというているんです。そうでしょう。私の父親が、もし非常に正直に真宗を学び、正直に真宗をうなずいた人だとします。だからというて、その子供である私が正直に親鸞教学をうなずくというふうにはなるはずがないでしょう。なってもそれは、たまたまのご縁です。ご縁以上の何ものでもありません。そのご縁を、あの親父の子だからああなったというふうに見るとすると、それこそ本当に排除の論理がそこから出てきます。この親にしてこの子ありという話になってきます。そんなものが仏法伝達の必然性だというふうに考える論理がそこに持ち込まれたならば、そのことひとつで、すでに宗教性というものは解体していくのです。

 ところが、そのことが一番、ある意味では世俗の中で法灯伝持ということを明確にしていくには、もっとも納得しやすい方法なんです。だから世俗の意識が納得しやすいことは、少なくとも仏法の道理としては、決して納得しやすくならないのが本来なんです。基本的に申しまして、世の中が喝采するような仏法というのは、だいたいどっかあぶないのです。

 そういう意味では今日、私達はいろんな思想の面から、親鸞聖人の思想というものを非常に高く評価し、そして、親鸞聖人の思想というものが、人間解放の思想だというふうにいいます。けれども、それが今日私達に言えるのはなぜかというたら、そういうふうに言うこと全体が今日の権力指向の中で許容量として許されておるからです。

 ところが親鸞聖人自身は同じことをいうてきましたけれど、言うていくたびに弾圧を受けているのです。そして親鸞聖人につき従った田舎の人々もみんな弾圧を受けているのです。とすると、そういう親鸞聖人も弾圧を受け、親鸞聖人の語ることによって、たださえ塗炭のくるしみを味じわって生きなければならなかった田舎の人々がまた弾圧を受ける。しかもその弾圧を親鸞聖人は弾圧されるあなた方の方が正当であって、弾圧する側の方が誤りなんだということを、経典にまでかえして言うていこうとするでしょう。

 そうしますと、親鸞聖人の言葉が、その当時どのように人々の中で生きたかということと、今日親鸞聖人の思想を私達が考える時に、親鸞聖人の思想は非常に深い人間解放の思想だということとは、これは全く違う問題だとして一度キチッと根を切っておかないといけないと思います。今日拍手喝采できるからというて、弾圧下の思想でなくなったというわけにはいかないと思います。なおかつ弾圧下の思想でありながら今日拍手喝采できるということは、それを許容していく今日の社会状勢というものがあるからです。しかし、この許容する社会状勢というものは、許容量が減ってくれば、必ず弾圧の質へ向ってものを言うに決まってますよ。この辺のところがよほどキッチリしておりませんと、親鸞聖人の教学の営みというものは明瞭にならないということです。

20. 勅免下の教学

 私は、あえて今日はハッキリさせるために覚如上人を引き合いに出して、ある意味では申し訳のないことをした部分もありますけれども、特に後序といわれておりますところの言葉が、見事に、弾圧下の教学であることの意味を、むしろ勅免下の教学へと変えていったと言わざるをえません。そういうことをやはり、それがいやであろうがどうであろうが、キチッと認めておかないといけないんじゃないかと思います。

勅免ありといえども、かしこに化を施さんために、なおしばらく在国し給いけり(聖典p732)

という限り、それは勅免下の思想としてまさに叡感と、褒美のもとに成立していく。その思想が親鸞聖人の思想であるというふうに、親鸞聖人の思想の生命を撤回さすことによって、本願寺という教団が成立する。その本願寺という教団の法脈というものは、法然、親鸞、如信そして覚如と、こういうふうに伝統されてくることになった。その如信、覚如あたりのところから、まさに血統ということにつながっていくことになった。そのことを通して、実は本願寺教団という教団が今日に至る一つの歩みを必然していくわけです。

 その間にいろんなことが起こってくるのは、やはりもとへ帰してみますと、「覚如が悪いんだ」と、そういうことを言おうとするのでないのです。もとへ帰してみますと、そういうところの確かめごとのもっている、社会的必然といいますか、社会的にそうでなくては教団は成立しないという意味と、教団が親鸞聖人の思想に正当なかたちで成立していくとすると、弾圧を受け続けたあの関東教団と同じ質のものとして、同じ形態をとらざるをえないわけです。

 しかし、関東教団と本願寺教団はやはり別の教団です。まさに弟子教団と分かれた教団です。分かれることによって、弟子教団の方もまた、その本質を見失うような形で、本願寺教団と形態を同じくしてきます。本来ならば、弟子教団は弟子教団の生命を守るべきであったろうという感じはしますけれど、弟子教団もまた、本願寺教団に右にならってしまいまして、同じ形態になってきます。

21. 血統と法脈の癒着

 結局は、浄土真宗という宗名を名告る教団は十派あろうが、全部血統の上に法脈を位置づけていくことにおいて、その点検はしてはならないことになっていった。まさに、神聖にして侵すべからざる血統ということが、法脈を覆いかぶせることによって決定づけられてしまったわけです。

 こういうことを改めて思います時、やはり私達が今学ばなくてはならないのは、だから教団をどうするということではない。そういう非常に深い負の部分から出発しているということを、今生きておる教団人として、やっぱり自己責任として、それをキチッと受けとめて、それから逃げ出すのでもなければ、それを勝手に自分が外へ飛び出してぐちゃぐちゃ批判するのでもない。それを受けとめながら、親鸞聖人の教学というものは何だったのかと、何をどうしようとしたのかということを明確にしていくということが大切だと思います。そして親鸞聖人の教学が、なぜ弾圧下に醸成され続けなければならなかったのか。弾圧をさけることをなぜできなかったのか。そういうことをやはりキチッと押さえなくてはいけないと思うのです。

 もう一つは、やはり親鸞聖人の教学は何のかんのと申しましても、大乗の中の至極を明らかにする教学です。とすると、大乗の中の至極ということが明らかになるということは、どんな人も仏教において救われていく、まさに全ての人間が真の仏弟子として位置づけられるということです。そのことを明確にしていく教学ですから、そうなると、全ての人々が平等に真の仏弟子となっては困るということが、やっぱり権力社会の一つの方向性でもあるわけでしょう。

 もっとはっきり申しますと、いわゆる一つの権力のもとに社会が構成されていく、国家が構成されていくということの要素はいろいろありますげれども、根っ子にあるのは、やっぱり何のかんのと言いましても、排除と差別ですよ。排除と差別の上にしか成り立たないものなのでしょう。とすると、排除と差別というものは人間を非人間化する、ということを徹底していくことによって、全ての人間が平等に仏弟子として成仏するということを言い切っていく教えが、そういう社会機構の中で受け入れられるはずがありません。

 確かに、七百年という、いろんな歴史をくぐって私達は教団人として生きております。その教団をただ破壊するという意味じゃなくて、その教団の中でやっぱりはっきり押さえていかなくてはならないのは、親鸞聖人の思想というものが弾圧下に醸成されたということのもっている公明正大な意味です。したがって、そのことを明らかにしていくことによって、時によると、排除差別の傾向で、人間社会というものが、非人間化していくという今日的人間状況というものにまで切り込んでいくことが、十分今日的な力として作動していくものだということまで見通していけるような、そんな確かめが必要です。私達は、あまりカッカしないで、冷静にその確かめをしていく必要があるんじゃないかなという気がするわけであります。

 そんなことを申し上げたかったものですから、この前お話をしましたことを少し確かめ直してみたわけであります。

『生命の足音−教化センター紀要1−』(大阪教区教化センター発行)より

Pocket

Last modified : 2014/10/30 22:11 by 第12組・澤田見