なぜ念仏なのか

なぜ念仏かということは、つまり、仏教とは何かという話です。それを二つの視点から申し上げたいと思いますが、一番大きいのは釈尊観の違いであります。ここが法然上人・親鸞聖人の仏教と、それ以外の仏教との大きな分れ道です。親鸞聖人からみれば、釈尊は大いに悩まれた人間です。もちろん私たちに教えを説いてくださったお働きという意味で仏さまですが、私たちとは別の、何か特別なスーパーマンという意味ではありませんね。釈尊が救ってくださるわけではなく釈尊が目覚めた世界、これを法といいますが、その法によって救われていくわけです。もう少し言いますと、本当に大切なことが見えないから迷っている、これは法則的です。また本当に大切なことが見えれば、迷いや苦しみを超えていくことができる、これも法則的だと教えてくださったのがお釈迦様です。ところが多くの仏教は、お釈迦様によって助けていただくという思いが強いのです。

親鸞聖人と同時代に明恵上人というお方がおられます。この方は日本に生まれたこと、お釈迦様の二千年もあとに生まれてしまったことで非常に苦しんだ方です。つまり、お釈迦様に会うか会わないかが自分の救いを決める条件のように思っておられたと言っても過言ではないと思います。しかし、親鸞聖人はそうはおっしゃいません。確かにお釈迦様に会えなかったことは悲しい事でありますが、お釈迦様は自分が亡くなった後にも成り立つ仏道を、きちんと教えとして残してくださっているのです。だからお釈迦様に会うか会わないかが救いを決めるのではなく、お釈迦様の残した法の世界、その法に出会うことが救いにあずかることなのだと受け止められています。お釈迦様亡き後でも成り立つ仏道、ここに立ったのが法然上人・親鸞聖人の仏道の、大事な伝統です。私を救ってくださる救世主など、どこにもいないということです。救世主は不要だと言える教えがちゃんとあるわけですね。現代でも救世主待望論というのが大はやりで、いろいろな矛盾が起きれば起きるほど、私たちを救ってくれるスーパーマンは現れないかと待っています。そういうものを待つ必要がないという道を明らかにしてくださった。これが親鸞聖人の大事なところです。

もう一つは人間観の違いです。聖道の仏教では無常なるいのちを生きているということが、往々にして見落とされていくんです。修行は、いつまでやれば悟りに辿り着くか、救いにあずかるのかは保障がありません。ところが生きている命はいつ果てるかわかりません。こういう中で、現在の私の問題にどこで答えてもらえるのか、これが比叡山の修行では見えなかったのが、非常に大きな問題として親鸞聖人にはあったと思います。大変有名なお言葉なんですが、『教行信証』の中に引用しておられます『楽邦文類』の言葉にうかがえます。「ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり、一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれと」という文章です。人生は夢幻の如く真といえない。いのちは「夭」、これに「もろし」と親鸞聖人は左仮名を付けておられますが、いのちは大変もろくて保つことは難しいといわれます。いつ息が絶えるか、これは誰にも決められません。しかも、誰もが必ずそういう形で果てていくわけです。そしてひとたび人間としてのいのちを失ったならば、どれほど長い時間をかけても再び戻ることはありません。ですから「この時悟らずば」と言われます。人間として何が大事かということ、そのことに目を覚まさないならば、「仏もし衆生をいかがしたまわん」、これは仏さまでもどうすることもできないという意味です。仏さまがいるから大丈夫だというのではありません。今、目覚めないといけないのは私たちです。目覚めないものは仏さまであつても助けることはできないというのです。いつまでも生きているというような甘い夢を抱いていて、結局何をしていたのか分からず、後悔や空しさだけが残るような人生になってはいけません。こういう言葉です。ここに親鸞聖人がずっと引きずっておられた課題をうかがうことができると思います。

ややもすると私たちは人生がいつまでもあるように思い、本当に急がなくてはならないことをかえって後回しにすることがあります。十年・二十年後の人生設計も大切ですが、自分の思い通りに十年後・二十年後がやってくるわけではありません。だからといって今さえ良ければ良いという話でもありません。一生かけてでもこれだけはやりたいというものを、今見つけなさいというお言葉だと思います。本当にいつ果てるかわからないが、今日いのち終わると言われてもやめるわけにはいかないような、一人ひとりの仕事をもっているのです。それに目覚めよというお勧めだと思います。そういう仕事に私たちが出遇うことが本当の満足なのではないでしょうか。十年後・二十年後の設計をして一生懸命やっているつもりですが、その通りにならなかったら後で悔やみますよね。こんなことならもっと別のことをしておくんだったと、その時になって言っても、もう間に合いません。

無常という事実、仏教に縁をもっておられる比叡山の人たちが知らないわけではないんですが、自分たちは仏道を歩んでいるという自負のために、その事実を忘れていくのです。そして実際の人間の苦しみ・悩みにどう答えていくのかが見えなくなっていくのです。これが人間観の違いの一つ目の問題です。ところが見えないだけでなく、実際にはいろいろな序列を生むことにすらなっていました。これが親鸞聖人の一番ひっかかったところだと思います。

親鸞聖人の伝説で実際の出来事であったかは確かめられませんが、二十六歳のこととして『親鸞聖人正明伝』が伝えているエピソードがあります。親鸞聖人の抱えておられた課題をよく示しています。京都で用事をすませた親鸞聖人が比叡山にお帰りになろうとしたとき、山の麓の赤山明神で女の人に出会われます。その女の人がおっしゃるには、私はかねてから伝教大師を尊敬しておりまして、一度比叡山にお参りしたいと思っていました、道が分からないので案内してほしいというわけです。親鸞聖人は「あなたも知ってると思うが比叡山は女性は入れないんだ」と答えます。「結界」と言って、女人はここから入れないという境を作って、その中だけは穢れのない清浄な区域であると言っていたのです。女性がいると修行ができないといって、女性のせいにしてきたわけですが、実は女性がいて修行ができないのは男の方の問題です。だから結界の中に逃げ込んで、女性を遠ざけその中だけは修行がしやすい状況を作っていたわけです。それに対してこの女性は見事です。「それはおかしいんじゃないですか、伝教大師が教えてくださった仏教というのは、生きとし生ける者はみな成仏する平等の教えだと聞いております。なぜ女は登れないんですか。しかも、山には獣の雌、昆虫の雌もいるでしょう、なぜ人間の女だけが登れないんですか」と言います。この物語の中で、親鸞聖人は一切答えることができませんでした。女の人から玉を一つ貰うんですが、それはこのことを忘れないでくださいという課題を貰ったことを意味しています。これは実際にあった話かはわかりません。しかし、後々の親鸞聖人のお書きものから見ていくと、充分有り得るというか、課題にしておられることです。平等の救いということを親鸞聖人は尋ねていかれるわけですから。

このように、無常という事実を忘れて修行に励んでいるつもりになると、どの辺まで修行ができたか、今度は自負するようになり、修行していない者、山にすら登れない者というふうに人間に序列をつけていくという事が起こってくるわけです。人間を解放するはずの仏教が、逆にいろいろな形で人間を縛っていくことになっているわけです。これが親鸞聖人にとって大変大きな疑問だったと思います。修行して悟りを開いていくことはきわめて真面目な世界ですが、そこに一つ見落とされているのは、そういう修行ができる者とできない者とが、何によって決まるのかということです。

これは後々の親鸞聖人のおことばですが、人間は業縁を生きているという人間観をお述べになっていかれます。どういう事かといいますと、比叡山で修行している人は、自分は真面目でたくさんのお経を読み、修行の段階も上がってきたと思っています。ところが実際は、どれほど仏道を求める心があっても、貴族の家柄に生まれない人は登ることさえ許されていないという状況がありました。また、生き物を殺す事をなりわいとする人たちもだめだと言われました。また、男でなくてはいけないとか、修行のできる体がないといけないとも言われるのです。しかし、よく考えて見れば、体といっても自分で作ったものじゃないですね。男に生まれたとか、貴族に生まれたとかいうことも、決して素質ではありません。たまたまいろいろな縁が重なってそうなっただけです。字が読めるというのも、そういう境遇はたまたまだという話です。個人の能力の話ではないわけです。これが業縁ということにぶつかっていかれた大きなところだと思います。つまり、比叡山の仏教とは、一切衆生が平等に成仏するという理念はあるんですが、実際に広がりを持たなかったのです。いろいろな条件が整った特定の者だけの仏道になってしまっていたわけです。親鸞聖人が山を下りられた根本の原因はこの辺にあると思います。

平等の成仏をとなえる比叡山の仏教が、実際には生きて働いていなかったのです。それはたまたますたれているのではなく、本質的に一切衆生の平等の救いが成り立たない構造を持っているのです。人々を救うという看板を掲げて、人々を絡めとっていくという構造を持っているのです。たとえば、女性に対してどうだったかというと、山に登って修行をするわけにはいかないが嘆くことはない、女性には女性用の道がある、仏さまのお慈悲は有り難いだろうと言うわけです。一旦は除外しておきながら、また絡めとっていくわけですね。いってみれば悪人の救済ということは、法然上人・親鸞聖人だけではなく前からもすでに言われていたのです。大事なのは、悪人あるいは女人に特別な道があるというのが比叡山・旧仏教の救いの理論でありました。それに対して法然上人・親鸞聖人の言う悪人、女人の救済というのは、どんな縁によってどんな生き方をしている者も平等に救われる道です。どういう境遇に自分がなってもなお仏道を歩む、それによって救いを得ていくことは成り立つのだと、これを明らかにしたのが法然上人・親鸞聖人の大事なお仕事だと思います。どんな生きざまをする者も平等に助かっていく道があると言ってくださったのです。修行できない所にも成り立つ仏道がないと、親鸞聖人自身も救われなかったのです。

親鸞聖人は大変性欲が強くて山を下りたとよく言われます。ところが「愛欲の広海」という場合の愛というのは、別に性愛だけではありません。正信偈の言葉を借りれば「貪愛瞋憎」とおっしゃいます。むさぼりという意味の愛です。決して異性・女性への愛ということだけではありません。本当に女性と一緒に生活をしたいというだけなら、比叡山に居ながらしている人もあったのです。山を下りるということは、明日から食べていくことも住む場所もなくなるわけです。

また、比叡山が権力争いの場所になっていて、道を求める親鸞聖人にとっては堪えがたかったと言われる事もあります。これも不充分だと思います。もしそうならば、権力争いを離れてひとり静かに学びを続ける隠遁という道もあるのです。何も下山する必要はないわけです。この意味で、修行して証りを得るということに対して根本的な疑問をもっていたと考えざるを得ません。

親鸞聖人が法然上人をとおして出会った教えというのは、お釈迦様がいらっしゃらない所にも成り立つ仏道であると同時に、救世主を待つ必要もないわけです。いつの時代でも成り立つ仏道、しかもどんな人間においても成り立つ仏道です。これを求めて法然上人に出会われたということがよくわかります。その時、法然上人の説いてくださっていた念仏とは何かという事です。なぜ、念仏が一切衆生の平等の救いを実現するのか、ここが大事になると思います。

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Last modified : 2015/09/16 11:25 by 第12組・澤田見(ホームページ部)