一、信心の行者

親鸞聖人のお聖教の中に「行者」という言葉がよく見られます。特に『歎異抄』には「一室の行者」「同心の行者」「信心の行者」などと、つかわれています。仏教辞典によれば、「行者」とは、仏道に入って修業する人のことで行人ともいう、いま一つは山伏、修験者の通称とあります。普通、行者といえば後者の場合にとられています。いまそれを特に聖人は「信心の行者」として、浄土に向かって仏になる道をあゆむ者、願生道をあゆむものとしておさえておられます。世間ではよく信者ということをいいますが、聖人では信者ということろにとまるのでなく、生涯、無上正真道をあゆむ行者なのであります。

いま唯円が『歎異抄』において「信心の行者」という言葉をつかっていますのは、仏になる道をあゆみつづけられた祖師聖人が、特に晩年になるほど、旺盛な仏法のお仕事に全力をそそぎつづけられた、そのたくましさ、その情熱、そのおすがたを目のあたりにみていた唯円にとっては、「信心の行者」としか表現することができない聖人そのひとのことではなかったか、と思われるのであります。

さらに、聖人の御和讃にみられる「つつ」という言葉のつかい方。それは「弥陀の名号となへつつ」「真宗念仏ききえつつ」「本願他力をたのみつつ」「浄土真宗をひらきつつ」等々にみられます。「つつ」とは、動作、作用の進行中であることをあらわします。それと共に疑惑和讃には「とまる」と、つかわれています。どこにとまるのか、辺地、懈慢、疑城、胎宮にとまるとあります。

辺地とは辺ぴな片田舎、片隅ということですが、人間のひがみ心、ひねくれ心ということでしょう。仏智不思議を信ずることができず、順逆ともに如来のお育てであることにうなづくことのできぬひねくれた心であります。従ってそこからは、無碍の一道はひらかれてはまいりません。懈慢とはなまけ心、精進の心のない状態をあらわします。鈴木大拙先生が『教行信証』の英訳にかかられたとき、死神と競争してでも、この仕事をなしとげたいといっておられます。先生は昭和三十一年に東本願寺より依頼をうけられ、同三十四年(先生八十九歳)「教」「行」が、同三十六年(九十一歳)に「信」「証」の英訳草稿ができましたとき、ある放送記者が先生にインタビューをしています。(昭和四十八年十一月号『真宗』)

「英訳の動機は何ですか」
「動機も何もありゃしない、これを訳さねばならないというのは、宝がこっちにあるなら、やっぱし世界にみな見せなくちゃならず、ね」
「親鸞の教えを世界にひろめようというような考えはなかったわけですか」
「広める、広めぬじゃないんだ、みなが知っていなくちゃ困る、そういうことになりますな」
「英訳されて、いろいろなご苦労があったと思うのですが、最も苦労されたのはどういうところですか」
「東洋と西洋の考え方が違うから、英語になおすことがむつかしい。一つの言葉を何時間も考えて、それからうっちゃっとく。しばらくすると夜中にふと思うことがあるから、そのときやる。だから夜昼なしだ。それからねむければいつでもねむる。夜中に気がつきゃいくらでもやる。ごはんもなるべくたべないようにしている。食べるとねむくなってな」

九十歳をすぎられた先生の、なんとしてでもやりとげずばという、その熱気がひしひしと感ぜられてきます。

疑城とは、求道には必ず疑いが生ずるものでありますが、世間智を肯定しているかぎり、仏智に対する疑いは生じてきません。つまり仏智を疑っていないという形の疑いをあらわしたものです。胎宮とは無難でとおろうとする心、心中をひきやぶるということがなく、もうすでに精神の老化現象でおどろきのたたない、そのような状態をいったものであります。

「本願を信じ念仏申さば仏になる」(p631)とあります。仏であるとはいってありません。生涯、凡夫の身なるが故に、仏になる道をあゆませてもらうのです。水もとまればくさります。人間が人間を成就していくあゆみをとめたら、も早その人の死であります。仏になるという本願にめざめたところに人間に生まれた甲斐があり、人生の方向が定まるのです。めざめぬ生活には方向がありません。その時その時の、都合によって、自分に都合のよいのが人生の方向になります。健康を目標としたり、それがかなえられると、地位になったり、権力になったり、富になったりしてかわります。仏道とは人間成就道であり、いかなる状態にあっても、その願いがゆるぎもしない、その人こそ信心の行者なのであります。

本願の名号について『歎異抄』に「たもちやすく、となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束」(p630)と、あります。「たもつ」とは、1、手にもつ、2、ある状態をかえずにつづける、3、あるものがほろびたり、衰えたりしないようにささえまもるとあります(広辞苑)。この一道は水火二河貪瞋煩悩に障げられて、かすかなものでありましても、念仏がこの本願にめざめた心を、ささえ、保持し、まもって下さるのであります。

作家水上勉さんが失われいくものの記録の一つとして次のことを書いています。京の三条に岡栄一郎さんという経師屋がおられます。七十何歳かのこの岡さんは日本の国宝級の絵描きさんの書かれた掛軸とか、ふすまの虫食いをなおしておられるのです。この人のつかっている道具の中に、これまで見たことのないものさしが一つ置いてありました。

「古いものさしのようですね」と、きくと、「藤原時代のきれとか、支那の明朝のきれという、一きれ何万もするきれにものさしをあてて、シューと包丁を入れるときの定規です。これは表が桜で、裏が楓になっています」と、いってその訳を話しました。
「桜は日本の堅い木で、年をとればとるほど自分がうつろになって、皮だけで生きていくりっぱな木でございます。その堅い幹の部分をこうしてものさしにしてあるのでございます。ところが、その堅い桜でも、やっぱり桜の曲がりというもんがある。だからもう一つ裏側にこの楓の堅い木で裏うちをしてある。楓一本では又、楓の曲がりというものがある。桜と楓をけんかさしておるわけです。梅雨時になれば、桜はいくらかやわらかくなろうとするのを、楓がブレーキをかけてくれる。また秋口に楓が色づきかけるのを思い出して、やわらかくなろうとするのを、桜は冬を迎えるから堅くなる。そういう性質を利用して、お互いに絞め合わしながら、この定規はまっすぐになっているのです」

仏道にくるいはゆるされません。桜は楓をたもち、楓は桜をたもって、一分の狂いもないものさしになっているのです。ふと願生心のゆるみを念仏がたもって、人間成就を約束してくれるのでありました。磁石の針はどこにおいても、しばらくは揺れていても北という方角を取りもどします。信心の行者とは、どれ程煩悩に狂わされても、狂わせれぬ一点を確保して、仏道をあゆむ人のことをいったものでありましょう。

ひとすじのなみあみだぶつをいただけば
ひとすじみちにまぎれなし
なみあみだぶを道づれに
さいちのこころふかいほど
親のこころはこれにまさるぞ
(才市)

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見