家族の一員

 つい最近、村上龍という小説家が、『教育の崩壊という嘘』という本を出しました。それは九時間も連続して放送され、村上さんも出演したNHKの教育番組がありまして、そのことをまとめられた本なのです。

 番組は、一六〇〇人の中学生にアンケートを採ったという内容でした。アンケートには、例えば「あなたの周りで楽しそうに生きている大人がいますか」というような、いろんな質問があるわけです。その質問の四番目には、「絶対に許せない大人というのは、どんなタイプの大人ですか」っていう質問があるんですが、その一六〇〇人の十何種類かのアンケートの回答をご覧になった村上龍さんの結論はですね、「教育は崩壊していない。若者もこわれていない。何が崩壊しているのか。大人の都合のいいように子どもが育つというシステムが崩壊しているんだ」と。まぁ、そういったことを言われていたんです。

 私は、全面的にその村上さんの答えに賛成っていうことはないんですが、なるほどと思うこともいろいろありました。その本の中に、今ほどの「絶対に許せない大人たちていうのはどういったタイプの人ですか」という質問に対する、子どもたちの答えがたくさん載っています。一番最初は、援助交際する社長さんタイプとか、ちょっと強気に出ている生徒には大人しいが、素直に謝っていると調子に乗って説教するような教師。その次は、子どもに対して無責任というか、自分たちが今の子どもたちを作り上げてきたのに、少年を責める大人。あるいは、社会の病みを他人事にしている大人。あるいは何かにつけて「最近の若い者は」と言ってるくせに、自分自身は若者に誇れるような生き方をしていない大人。あるいは環境に配慮することなく、目先の利益だけを追求する人間。責任を押しつける人。他人のために尽くしていると見せつけて、実は自分のことだけしているタイプ。家族を持ってるのに頼りないタイプ。責任感のない人…。

 つまり、家族の一員としての大人である、という事実があるのに、子どもの前でその責任というものを示さない。我が家の大人たちは示してくれない。そのようなことが一つの例ですが、載っているんです。そういったことが、現実のこととしてあるということを、我々は知らなければならないのです。

 次に、私たちの言葉づかいの問題であります。例えば、ご案内のチラシの中にある「いのちの尊さが見失われている」という表記では、誰が主体なのか、全然わからないわけです。「私がいのちの尊さを見失っている」というのなら、誰の責任かということがはっきりわかるわけです。私たちには、ついついこうした曖昧な言い方をするクセがついています。私たち教団の中にもあるわけですね。そうこうしている間に、具体的な一つひとつがわからなくなっていく、ということがあるのではないかと思うのです。

 それで、私は校長をしておりますから、いろいろと子どもたちに接し、お父さんやお母さん方と接しております。また、その教育の最前線で保護者や生徒と向き合っている先生方の中におりまして、最近、あるいは戦後の日本の教育全般なのかと思いますけれども、今、教育の中で本当にバランスの悪いことが起こっています。それはどういうことかと申しますと、例えばこの同朋大会の「いのちはなぜ大切なのか」ということに対して、まず、一緒に問うていこうということが大事なんですが、それよりも、真宗の答えを早く教えてくれよと、こういうようなものが私たちにあるわけです。

Pocket

Last modified : 2014/12/21 22:48 by 第12組・澤田見(ホームページ部)