意のごとくならず

 同朋ということは、ともに生きるということは、ともに生きるためには、私たち一人ひとりが、自立する、独立する、自分に安心するというか、そういったことがなければ、同朋っていうことは成り立ちません。私たち一人ひとりが、清沢満之先生の言葉で言いますと、「自己の信念の確立」ができるのか。どんな辛いことのど真ん中でも、与えられたご縁を「ナンマンダブツ」と引き受けて、責任もって生きていくということがなければ、本当の意味での連帯ということはないんです。連帯ということは、自立するっていうことと一緒なんです。そういう上に同朋ということが成り立っていく。そのように思います。

 生きるということは、先ほど言いましたように、ただ単に死なないようにするというだけではありません。年を取らないようにするだけ、病にならないようにするだけ、マイナスを出さないようにするだけ、そんなことではないのです。共に生きたということの中には、喜びがあるのです。「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」。東本願寺に掲示してある言葉です。私たちが生まれたことには、意義があるんです。私たちの生活の中には、喜びがあるんです。喜びが隠れているんです。ところが私たちはわがままを通し、自分の都合を通せば通すほど、そういうものから離れていく。そのようなことを思います。

 私たちがもう一度きちんと、ご本尊のある生活ということを、真剣にたしかめなくてはなりません。この自分という未熟に生まれて、ほとんど人に助けてもらってしか生きていけない私が、今、現に生かされて生きている。大きな大きな、生きようという願いのど真ん中で、生活ができているということですよ。そういう本願ということに、安心しなければならない。そういったことを思います。

 私たちが人間に生まれたっていうことは、二つのことを引き受けなければならないと言われます。一つは、「死ぬ」ということです。それを引き受けたときに、はじめて「生きる」ということが明らかになります。すなわち「生きる」とは、死すべき者が生きるということになります。

 それともう一つ。人間に生まれた限り、引き受けなければならないもう一つのことは、失敗するということです。先ほどの発表された方の言葉で言えば、「育児は思うようにいかない」っていうことです。仏教の言葉で言いますと、「不如意」ということです。「意のごとくならず」ということです。思いどおりには、なっていかないんです。思いどおりになっていかない人生だと引き受けたらですね、死も、また思いどおりにならないことも全部、私にとって大事な大事なこと。そういう人生になっていくのではないでしょうか。

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Last modified : 2014/12/21 22:48 by 第12組・澤田見(ホームページ部)