いのちはつながっている

 それともう一つ、この世の中、社会の中で、自分はどういうところにいればいいのか。自分はこの社会全体の中で必要なんだろうか、あるいは要らないんだろうかと、そんなことを思わずにはいられません。最近のはやり言葉で言いますと、「居場所」ということです。そういったものが必要となってきます。これを「外的自我同一性の危機」といいます。外と自己とのバランスが悪い。あるいは接点がうまく見つからない。自分の中ではうまく見つからない。こういう状況の中に子どもがいるにもかかわらず、私たち大人がですね、おろおろして、何もできないまま傍観している。そして最初に言いましたように、メディアが「今のこどもたちはわけがわからない」と報じる。

 そうすると、私たち大人の側が「こんな大変な時代だから、私なんかに何もできるはずがない」と、こういうふうに思う。みんながそうなのだったら、自分もそう思ってもいいんじゃないか、と思ってしまうわけですね。それで結局、他人事にしてしまっているのではないか。

 つまり、子どもの痛みが私の痛みとならない。先ほど「同朋の声」の中にもありましたけれども、私たちのいのちはみんなつながっている。みんなつながっているんです。そうしてつながっているから私たちは、見たこともないパレスチナの人とイスラエルの人が殺し合っているのを聞いただけで、心が痛むのでしょう。自分が関係した人がいなくても、心が痛むんです。

 昨年、日本での自殺者は三万何千人だといわれております。三万何千人の自殺者ということはですよ、例えばこの大阪教区の範囲内で、毎日十人弱の人が自殺していることになるわけです。単純に人口だけのバランスで言いますと。これは、毎日ですよ。兵庫、大阪、和歌山、奈良の人口全部合わせて考えてみれば、そんなには単純にはいかんと思うのですが、毎日十人弱が自殺している。聞けば、心が痛みますね。

 あるいは地球上では三秒に一人、飢えが原因で死んでいってます。この同朋大会が始まってから、今、この瞬間までの間に、とてつもない人が地球上で、餓死しているんですよ。食べ物がなくて、死んでいるんです。そういった話を聞くと、心が痛みますね。

 なぜ痛むかって言ったら、私たちのいのちはつながっているからです。他人を傷つけると言いますけれども、それは実は、自傷なんです。自らを傷つけるといったことと、一緒なんです。しかし私たち大人が安定しない限りは、子どもたちは絶対に安定しない。そんなことを経験といいますか、日常に感じています。

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Last modified : 2014/12/21 22:48 by 第12組・澤田見(ホームページ部)