平和のうちに生存する権利(日本国憲法前文)

さて、今から、七十一年前に戦争が終わり、私たちの国は戦争の中で得た教訓を新しい憲法の中で表現しました。それは憲法の前文です。この新しい憲法をもって国際社会の中に復帰したわけです。

その前文には、

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

とあります。この前文のキーワードは、最後の一行にある「平和のうちに生存する権利を有する」と、つまり私たちは平和な社会に生きる権利があるという部分です。

この憲法は、学徒動員で若者が血を流し、戦争の中で国民一人ひとりが経験したみじめさ、苦しさ、悲しみの結晶として誕生した憲法です。その憲法の前文に「一人ひとりが平和のうちに生存する権利がある」と謳ったのです。そして、もう一つ日本国憲法の前文が素晴らしいところは、日本国民だけでなく、「全世界の国民が」と、全世界の人たちが平和のうちに生存する権利があると表明したことです。

憲法第九条は戦争を棄てる誓い

さて憲法第九条です。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第九条は何を定めていますか。平和を謳っていますね。でも「第九条は平和を謳っている条文です」という表現では不十分です。第九条が謳っているのは「戦争を棄てた」ということです。
戦争を放棄した。大阪弁でいうと「戦争をほかした」となります。戦争という手段を持たない、棄てたのです。「戦争をしない」ではないのです。「する、しない」ではなくて、戦争という手段そのものを棄てた、ほかしたということです。このことを第九条は誓っているのです。

信じなくてもいい自由(憲法第二十条・第八十八条)

そして今日、この第九条と共にみなさんと共有したいのは第二十条の信教の自由ということです。第九条と第二十条は兄弟姉妹、ペアの関係なのです。そういうことを今日確認したいと思っています。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(前段)
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。(後段)
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

これが信教の自由の条文です。
第一項前段が、全般的・概括的に信教の自由の権利を述べたものです。第一項後段と第二項、第三項では、政教分離規定など、信教の自由の具体的な内容を述べています。信教の自由が侵害される具体的な場合ですので、「してはならない。されない」という禁止言葉の条項となっています。信教の自由というと、信じる自由というふうに思っておられる方が多いかもしれません。何を信じてもいい、どういう宗教を信じてもいい。しかし、それだけではありません。信じる自由と同時に、信じなくてもいい自由も保証しているのです。信じることを強要されない自由もあるのです。信じる自由も、信じない自由もあるのです。何か信じるということを他から、とりわけ国から強要されたり、押しつけられたり、そういうことに従わなくていい、従う必要はないという自由を規定しています。

そしてこの第二十条の信教の自由の条文を、財政のところでも禁止している条文が第八十九条です。政教分離原則と言われます。一九四五年(昭和二〇)まで、靖国神社が陸軍省・海軍省の管轄であったように、多くの神社が国家と不可分でした。国家と宗教を分離するとわざわざ強く言わなければならない歴史があるのです。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

これは、第二十条の第三項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」というこの一項を、財政上からも禁止した条文です。
第九条もそうですが、第二十条においても「してはならない」「強制されない」と禁止の言葉でしめられています。非常にはっきりと厳格に、国家と宗教の分離を言っているわけです。

条件付き信教の自由(大日本帝國憲法)

信教の自由ということについて、明治の「大日本帝國憲法」の中でも規定はされていました。江戸時代から明治維新を経て鎖国を解いた日本が、他の諸外国欧米列強と肩を並べていくためには、江戸時代に禁制としたキリスト教の、その禁制を解かなければなりませんでした。大日本帝國憲法では、次のような条文です。

大日本帝國憲法 第二十八条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

これは諸外国からの要請からできた条文ですけれども、一応の信教の自由が保障されたと言えます。「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て信教の自由を有す」とあり、「安寧秩序」と「臣民の義務」に背かない限りにおいて信教の自由を持っていますよという内容です。

ここの「臣民の義務」とはなんでしょう。そういうことを、少し頭に置いておきながら私たちの宗派・真宗大谷派(東本願寺)の歴史をたどるお話をさせていただきたいと思います。

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Last modified : 2020/04/28 18:00 by 第12組・澤田見(組通信員)