政治で神を作るな

これから読むのは、昨日鹿児島県の知覧にある特攻平和会館を訪問して、展示された遺品の中に見つけたお母様のお手紙です。特攻により、十六歳から二十三歳までの若い人たち、陸軍の特攻隊だけで一四〇〇名、海軍の特攻隊は二二〇〇名以上が一九四四年(昭和一九)から一年ほどの間に亡くなっています。特に海軍は沖縄戦を戦うために行っているのです。

この石倉三郎さんという方は、二十三歳で殺されています。石川県の七尾市の出身ということなので、おそらく浄土真宗のお家だと思われます。そのお母様が特攻に向かう息子に宛てたお手紙です。

ばくだんをかかえて行く時は
必ずわすれまいぞ
ナムアミダブツをとなえてくれ
これが母の頼みである
これを忘れないで居てくれたら
母は此の世に心配事はない
忘れなそ となえてくれ
こん度合ふ時は
アミダ様で合ふではないか
これがなによりも
母の頼みである
忘れてはならないぞ
母より

この「母より」の文字を何回も何回もさすった跡がありました。今さらどう考えても生きて帰れない、死地へ向かう息子に宛てた手紙の、こんなに悲しい南無阿弥陀仏はないと思いました。この言葉を書き記したその心を思いました。悲しい南無阿弥陀仏、そういうふうに思いました。

この知覧特攻平和会館を参観した後に思い出した言葉があります。それは蓬次祖運(ほうしそうん)という先生、教学研究所の所長をされていた方の言葉です。蓬茨先生は靖国神社問題に関して論文にこういうことを書かれています。

「普通人ではできそうもない犠牲的精神の発露者」と讃美するとは、なんという残酷な心であろう。
人間の生命よりも国家を至上とする思想にほかならないのであって、むだに死んだと思いたくない、国のために死んだというてほしい遺族の心は同情に値いするが、そのために政治上の神をつくるのは大きなあやまりである。過去の政治家のあやまちを二度と繰り返してはいけないのである。
結論としていいたいのは、ただ「政治で神をつくるな」という一言である。

(「政治で神をつくるな」蓬茨祖運著・『教化研究』五十八号 真宗大谷派教学研究所 所収)

「普通人では出来そうもない犠牲的精神の発露者と賛美するとは、なんと残酷な心であろう」。
私たちは、このような「残酷な心」を持っていないでしょうか。戦争に行かされて亡くなられた方を、あるいは平和維持という言葉で戦地に赴かされた自衛隊の方々が亡くなった時に、こういうことを言いかねないのが私たちです。これは非常に残酷な心だと思います。このことを蓬茨先生の言葉から教えていただきました。

次の世代に

戦う国は祀ります。戦死者を祀る準備をしています。戦わない国は戦争で死ぬ人がいないので祀る必要もないわけです。戦争放棄を謳った憲法第九条と信教の自由を規定した憲法第二十条は、相互に大きな深いつながりがあります。祀ってはいけないのです。ましてや戦争を起こした国が、国家が、個人の信仰や信条に立ち入ってはいけないのです。今日は、そういうことを少し申しあげたかったのです。

今、本当にややこしい時代が来ています。戦争は戦争の顔をしてこないのです。高木顕明さんの時代の敵国降伏祈願、若しくは戦没者英霊の顕彰法要、これらは少しも戦争の顔をしていないかも知れません。むしろちょっと良いことのような顔をしています。しかし、気が付けば戦争につながり、戦争に巻き込まれていくのではないでしょうか。

今、そういうことが私たちの身の回りで起こっていないのか、見つめていくことが大切だと思います。あれだけの犠牲を強いて、それも自国の若者だけでなくアジア太平洋地域の方々の血を流して生まれた憲法です。その憲法の精神をもう一度、今だからこそきちっと真向かいになって、そこからいただいた大切なことを伝えていかないといけないと思います。

「今だけ、ここだけ、自分だけ」が良い生活をしていけば、という自身の在り方を今一度省みて、この憲法の精神を次の世代に伝えいくということが必要だと感じています。

この会場には、人生の先輩があちらこちらにいらして、その方々を前に非常に僭越なことを申しました。意のあるところをお汲み取りいただければと思います。これで話を終わらせていただきます。長い間ご清聴ありがとうございました。

合掌

発刊にあたり

本書は、二〇一六年五月十七日、難波別院において開催された南御堂シアター「第一〇一回南御堂ヒューマン・フォーラム」(以下ヒューマン・フォーラム)の講演記録です。

通常、ヒューマン・フォーラムは難波別院が単独で主催されますが、今回は、私たち大阪教区会議員教学振興委員会(以下教学振興委員会)との共催とさせていただきました。
教学振興委員会とは、真宗大谷派大阪教区会議員の自主学習会でありますが、特に今期は、二〇一五年に当派が議決した『非戦決議2015』を機縁とし、山内小夜子さん(真宗大谷派解放運動推進本部・本部委員)をお招きして、三回の公開講座を開催することにいたしました。本書はその最終回の講演記録です。

ちなみに第一回は二〇一五年九月十五日に「戦後七〇年の今、非戦を確かめる」集いとして開催し、講題は「大谷派における非戦・平和への取り組みについて」でありました。また、第二回は、二〇一六年四月二五日に「戦後七一年の今、非戦を確かめる」集いとして開催し、講題は「歴史の検証と念仏者の責務」であります。これらは、教学振興委員会が独自に開催し、主に当派大阪教区内の寺院関係者を対象として呼びかけを行いました。

私は、この二回の講座を通し、過去多くの方々が親鸞聖人の教えを礎として非戦を訴え、文字どおり生命がけで平和を求めて歩まれたお姿を学びました。そして、このお姿は、他でもない私自身の歩みを問う呼びかけであり、かつ、私が生活する現代社会への警鐘であると受け取りました。

このような経緯を経て、今回は、より多くの方と学びを深めることを願い、難波別院と共催のヒューマン・フォーラムとして開催させていただいたことです。

さて、今回、講師の山内さんからは、「戦争と仏教ー戦争は戦争の顔をしてこないー」という講題をいただきました。内容については本書をご一読いただくのが何よりと考えますが、今回も、先生は、優しい人柄が溢れるように言葉を紡ぎながらも、時折力強い語調でありました。静かでありながら、熱い思いが顔を覗かせるのです。

なお、本書は学習資料としても活用していただけるよう、できる限り講演を再現いたしました。本書が「非戦・平和」の学びの一助となれば幸甚であります。しかしながら、私たちの力量不足は否めません。当日の会場の熱気を含め、お伝えできないことが数多くあることをどうぞお許しください。

最後になりましたが、講師の山内小夜子さんには、大変お忙しい中をご指導いただきましたこと厚く御礼申しあげます。また、ヒューマン・フォーラムの共催をご快諾いただきました難波別院はもとより、ご尽力賜りました関係各位に深く感謝を申しあげます。

合掌
大阪教区会議長 菴原 淳

●講師略歴
山内 小夜子(やまうち・さよこ)
愛媛県生まれ。大谷大学卒業。
真宗大谷派教学研究所研究員を経て、現在は解放運動推進本部本部委員。大谷大学非常勤講師。
論文「近代における真宗大谷派の女性教化組織」(『教化研究』135 号)他。共著に『高木顕明―大逆事件に連座した念仏者』 ( 真宗ブックレット) 『性と侵略』(社会評論社)『加害と赦し』(現代書館)他。

第101回 南御堂ヒューマン・フォーラム『戦争と仏教 ―戦争は戦争の顔をしてこない―』
2017年3月1日 初版発行
講述 山内小夜子
発行編集  真宗大谷派大阪教区会議員教学振興委員会
事務局 〒541−0056 大阪市中央区久太郎町4丁目1–11 真宗大谷派大阪教務所内
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Last modified : 2020/04/28 18:00 by 第12組・澤田見(組通信員)