人格の根幹を取り締まる特高警察

高木顕明さんのことをもう少し見ていきたいわけですが、顕明さんは、罪一等を減ぜられて無期懲役となり、秋田の監獄に収監され、二年後に監獄の中でその命を終えられていきます。縊死(首吊り死)です。本当に望みを絶たれて亡くなられます。教団追放、家族の離散、依るべき場を奪われた末のことでありました。

その顕明さん亡き後の浄泉寺での出来事が記録に残されています。

これから読む、「真宗門徒に対する神棚設置運動の状況」という資料は、『昭和特高弾圧史』に収録されたものですが、その内容は一九四〇年(昭和一五)年六月の『特高月報』の記録です。

大逆事件の後に、特高警察ができました。戦前・戦中の社会を知らない私たちには「特高」という言葉の響きの持つ意味がよくわからないですけれども、戦争を経験した祖父母の時代には、「特高が来るぞ」と聞くと震え上がるくらい怖い存在であったと聞いています。

警察とは、一般的には、交通違反や窃盗や強盗、殺人などの罪を犯した人を取り締まるのが仕事かと思いますが、この特高警察が取り締まったものは何かというと、「思想」です。その人が考えたり、行動の判断基準としたりしている思想とか信条です。何を大事に思うか、どういうことを一番大切にしたいか、行動や判断の基準となるもの、その人の人格の根幹の部分となるものが思想・信条です。それを取り締まったのが特高警察で、大逆事件の後に設置されました。

『特高月報』とは特高警察の報告書で、毎月の成果を月報として報告しています。『特高月報』は戦争が終わった後すぐにはアメリカ公文書館が所有していて、しばらく日本の戦争犯罪の研究調査に利用されていたそうですが、後に日本に返還されて、『昭和特高弾圧史』(太平出版社)という本にもなって、誰でも読むことができるようになりました。

その『昭和特高弾圧史』の中に、宗教者関係が二冊あり、宗教者や寺院や教会等を特高警察が調査した報告書が収録されています。

この資料は、一九四〇年(昭和一五)六月の『特高月報』です。この年は皇紀二六〇〇年の記念の年とされました。日本書紀の神武天皇即位の年を基準とした皇暦(すめらこよみ)で二六〇〇年の年です。皇紀二六〇〇年を国あげてお祝いしたのです。「紀元二六〇〇年」という奉祝歌やその替え歌もありました。この年生まれた方は、「紀子」とか「紀男」とか「紀」という字が使われたとお聞きしたことがあります。

この年、あらためて「大麻(神宮大麻)」が徹底的に配布されます。「大麻」とは、麻薬の大麻と同じ字を書きますが、伊勢神宮のお札です。明治時代になって、伊勢神宮が国民の中心的な神社となり、神宮大麻すなわち伊勢神宮のお札を各家に配布することになったのです。

実は、江戸時代までは、神棚が無いお家も多かったのですが、明治時代になって神宮大麻の配布を明治天皇が指示しましたので、そのお札を飾る場所として、家に神棚が登場することになったわけです。

ところが私たち真宗門徒は、南無阿弥陀仏で、阿弥陀様以外は必要としない、神様を拝まない風習があります。ですから各地で「大麻不受」、大麻はいりませんという動きがおこりました。

とりわけ滋賀県の琵琶湖の周辺や、三河地方の真宗門徒は大麻を受け取らなかったのです。

これから読む資料には「日本主義青年同盟」とありますが、今の言葉で言えば右翼団体でしょう。そのような団体から東西両本願寺に宛てて「どうして真宗門徒は、国の祖霊を祀る伊勢神宮の大麻を、受け取らないんだ」という公開質問状が届いたこともあります。

一九四一年(昭和一六)頃には、大麻をどのように扱うかということが真宗教学者の大きなテーマになったりしました。教団トップは、受け取るような風情をするのです。けれどもご門徒さんたちは、受け取らないのです。今までそんな風習はなかったし、真宗門徒はご本尊だけ、神棚は必要ないというわけです。

「極秘裏に監視する必要あり」
それでは、『昭和特高弾圧史3』の該当部分を読んで見ます。とても貴重な資料です。

「真宗門徒に対する神棚設置運動の状況」
新宮市○○区は所謂要改善地区にして戸数七十三戸、人口三百三十余名を数へ居れるが、全区民悉く真宗の檀信徒にして阿弥陀如来の信仰極めて強く、為に予てより諸他神仏を祭祀する等のこと絶対になく、各戸神棚等の設けあるを見ざる実情にありたり。然るに同区民にして同市所在日本主義青年同盟の幹事たる○○○○は、斯くの如き伝統的信仰風習は我国固有の惟神道(かんながらのみち)的精神に背き、敬神思想にも乖離してついには国体の本義にも悖るの虞(おそれ)なしとせずとなし、客月下旬以降各戸を戸別に訪問して神棚設置慫慂(しょうよう)の運動を起こすに至れり。

浄泉寺のご門徒は真宗の門徒であって、「諸他神仏を祭祀すること絶対になかった」と、神棚などを祀ってなかったというのですね。

この日本主義青年同盟の人は、「我国固有の惟神道(かんながらのみち)の精神に背いている、神を敬うという思想にも乖離している、そして国体の本義にも悖る」ということで、ご門徒のお家を戸別訪問して「神棚をちゃんと設けなさい」と推進する運動を起こしたというのです。

この「国体の本義」の「国体」とは、「国民体育大会」のことではありません。当時の国の体(たい)、国の形ということです。その当時の国の形とは、現人神である天皇が治める国という形です。それにも悖るということで、神棚を設けなさいという運動を起こしたというのです。

続いて、こういうことが書かれています。

而して右運動に対し一部区民等は旧来の真宗教説を陋守(ろうしゅ)して、「信仰には二心あってはならぬと教へられ、今日迄は只管(ひたすら)阿弥陀仏に縋って来た。我々は斯く信仰上絶対に二心を持たずに来たものに、今更神を祀れと言ふことは直ちに賛同致し兼ねる」云々等、反対意向を漏露するものもあるやの模様なるが、一般には内心的信仰信念は別諭として一応右運動に賛し、漸次新に神棚を設けて新宮大麻を奉斎する者を見るに至りつつあり。因に真宗教義はともすれば斯る偏狭固陋の信仰に陥るの虞(おそれ)なしとせざるものあるを以て、各地に於ける真宗門徒等の信仰状態等に就ては極秘裏に相当査察を加ふるの要あるべしと思考せらる。(昭和十五年六月分)

(『昭和特高弾圧史3ー宗教人にたいする弾圧 上』明石博隆・松浦総三編 太平出版社)

最後の部分に注意してください。青年同盟の戸別訪問によって、真宗の信仰をもつ人たちは偏狭固陋(偏っていて頑固)であって、現在の惟神道(かんながらのみち)には合っていないことがわかった。だから、真宗門徒の信仰状況については、極秘のうちに監視しておく必要があると言っています。
これは青年同盟が言っているのではないのです。特高警察が査察をすべきであると報告をしているわけです。つまり特高警察という思想を取り締まる警察が、監視や査察の対象として真宗門徒を見ていたことが、はっきり読み取れます。

他にもたくさんの資料があるのですが、真宗大谷派(東本願寺)では、二〇一〇年(平成二二)、大逆事件から百年という節目の年に、『高木顕明の事績に学ぶ学習資料集』を発刊しました。戦争する国が、戦争に反対した人たちにどういう処遇をしたのか、詳しくはこの学習資料集を見ていただき、高木顕明さんの事績を訪ねる一助としていただければと思います。

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Last modified : 2020/04/28 18:00 by 第12組・澤田見(組通信員)