第12組・澤田見

一楽真先生の講録『生死出ずべき道』を発行

大阪教区第十二組では、一楽真先生講述の冊子『生死出ずべき道―コロナの時代、私たちはいかに生きるべきか』を発行いたしました。宗祖親鸞聖人の生き様を通して、今私たちがどう生きるべきかをお教えくださる、まさに今の時機に応じた内容となっております。ぜひご一読ください。

→こちらより全文が読めます(PDF)

なお、残部を頒布しております(一冊200円)。新型コロナが予断を許さない状況で、ご門徒へ真宗の教えをお伝えする機会も残念ながら減少してしまっています。そんな中、この冊子が少しでも各寺院の教化の一助となれば幸いです。

→ご注文ページ

大阪教区第十二組教化委員会

本日19時より法話生配信!

本日(6月19日)19時より、「東京×大阪 法話セッション「おのおの十余か国のさかいをこえて」のライブ配信を行います。みなさま、ぜひご覧ください。21時すぎごろ終了予定。

1席30分の法話セッションです
【日 時】
   6月19日(土)19時〜
【法 話】 
   大阪 上本賀代子(安樂寺・松原市)、 宮部 渡(西稱寺・門真市)
  東京 土肥真(光照寺・茨城笠間市)、小林尚樹(光明寺・東京江東区)
【主 催】
   大阪獅子吼の会、浄土真宗Live

ちいちの華より新年のごあいさつ

ちいちの華より、新年あけましておめでとうございます。今年こそ、良い年でありますように。ちいちの華では仏華講習会の講師派遣、出張立華を承っております。お気軽にご相談ください。

それでは恒例?の会員のお正月の仏華をご紹介いたします。順不同です。

おまけ

年末にお手入れをした筆者(澤田)の立華の道具類です。こんなのを使ってお華を立てています。

21組法話冊子⑥「いのちはだれのものですか」ジェシーこと法名釈尼萌海氏

大阪教区第21組「推進員報恩講」(2019/12/6 堺支院)の講話録を21組様のご厚意によりアップいたしました。みなさまぜひご覧ください。

21組法話冊子⑥「いのちはだれのものですか」ジェシーこと法名釈尼萌海

→冊子を銀杏通信に公開するにあたって(第21組組長・山雄竜麿氏)

平野修師の本、予約受付中!(2/1発売)

平野修『教行信証化身土巻講義 親鸞の出遇った世界―浄土真宗』(全5巻)の第1巻が2021年2月1日、いよいよ刊行されます。師が病床に伏される直前まで続けられた未完にして最後の大講義です。第2巻は来年の秋頃、以降全5巻を順次上梓していきますので、お楽しみに!

ただいまご予約も受け付けております! 詳しくは、特設ページをご覧ください。

第2回北河内ブロック協議会

【2020/10/14追記】
第2回北河内ブロック協議会の報告書を追加でアップしました。

第2回報告書2020.10.7.docx

本日、第2回の大阪教区北河内ブロック協議会が、天満別院を会処に行われました。昨年12月に開かれた第1回協議会に引き続き開催されたものです。構成する団体は、天満別院、そして第12組、第13組、第14組、第15組で、今回は総勢25名の参加がありました。

内容は、まず始めに別院、各祖より自己紹介、そして教化事業の現況報告として、現在のコロナウィルスが蔓延する状況での教化事業について、それぞれご輪番、組長さんから報告がありました。

続いて事務局8名を紹介させていただき、その後、組教化推進部(教区教化委員会)からの報告として、北河内ブロック担当の小松さん・間口さんにお話いただきました。

さらに休憩を挟み、今後の活動として、来年の2月ごろ、ブロック内の寺族を対象とした研修会を行ってはどうかという提案を事務局からさせていただきました。内容は前期より始まった新しい教区教化体制に関して研修を行っていくという方向を確認いたしました。

獅子吼の会ホームページ公開しました

https://www.shishikunokai.com/

現代法話研究会「獅子吼の会」では、先日ホームページを公開いたしました。今後の「三夜連続法話の会」など主催の聞法会のご案内や、会員の紹介、法話の動画などを掲載しております。ぜひご覧ください。

『真宗門徒のお葬式』発刊のお知らせ

広報・出版部では先日、『真宗門徒のお葬式~真宗の仏事の回復を願って~』ブックレット版を発行いたしました。葬儀についての受け止めや、日頃からよく聞かれる葬儀に関する質問への答えを掲載し、葬儀に関する儀式が何を願われている仏事なのか、葬儀の基本的流れとともにまとめられています。

※2015年にリーフレットとして発行されたものを、ブックレット版として再編集したものです。

1冊50円(送料別)にて頒布いたしております。施本などにぜひご利用ください。

↓見本(PDFで全ページがご覧になれます)

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コラム法話 #生老病死 中陰のお勤めとグリーフケア【しゃらりん36号】

この度コロナウイルスの広まりによって、私が属している男女平等参画を考える実行委員会も女性住職の会が中止になりました。近年注目されているグリーフワークの学びの一環として『尊厳ある最期を迎えるために』というテーマで講師を迎える予定でした。
このグリーフワークとは、死別したご遺族の悲嘆からの立ち直りのプロセスのことであり、それに関わることはグリーフケアと呼ばれていると学びました。
私は、仏教では古くから優れたグリーフケアのシステムがあると思います。枕経に始まり、お通夜、ご葬儀、中陰、その後に続く沢山の法要のことです。私は生老病死の中で、なぜ死だけこんなに多くの法要があるのだろうと思っていました。

数年前に、母の姉が亡くなりました。クールでユーモアのある大好きな素敵な伯母でした。
その葬儀の時、私は自分だけ時間が止まっているよう感じていました。その感覚は、ゆらゆらと頼りなく、亡くなった現実感がなく、まるで映画を見ているようでした。
その後、普通の生活に戻り、満中陰の案内を受けました。私は「ああ。伯母は亡くなったのだった」と思い出しました。伯母が亡くなったことを忘れていたのです。まだ伯母の懐かしい顔も声もはっきり思い出せました。
満中陰の法要中、「ああ、伯母は亡くなったのだな」と、その死に少し現実感が伴ってきました。
その後も法要の度に伯母の死を思いました。3回忌も終わった頃ようやく伯母の死を受け入れることができたような気がします。
この体験から、私は枕経に始まる沢山の法要は、死の受容に向けての優れたグリーフケアとしてもはたらいているのだなと思い始めました。

昔の先達はこのことをよくわかっておられたのでしょう。近親者であればあるほど失った衝撃と悲しみは深く、死を受け入れるまでの期間は人それぞれです。
その為に沢山の法要があり、ご遺族はその度に死と向きあうことができ、自分のペースで、少しずつ本願のお話を聞きながら死を受容されていくのだと思います。
大谷派の勤行集に記されている中陰中の和讃が、ご遺族の悲嘆の変化に沿って選ばれていることに初めて気づきました。和讃を通して、悲嘆に向き合い、親鸞の示した広やかな本願の世界に気づき、死を少しずつ受容できるように考えられているのだなと感じました。

最近、住職の代わりに坊守の私もこれらの法要に行き、ご遺族とお話する機会が増えました。大切なグリーフケアでもあることを心に留めながら、ご遺族であるご門徒さんと共に本願のもとで生きてゆくということを考えてゆきたいと思います。

(大橋知子/第18組遠慶寺・男女の平等参画を考える実行委員会)

出向く教化―ウェブ会議のお手伝いいたします【しゃらりん36号】

ホームページ実行委員会

もう以前のような生活には戻れない。そんな声をよく聞きます。私たちは好むと好まざるにかかわらず、ポスト・コロナの時代を生きていかなければならないようです。

教務所が閉鎖され、教区の諸会議もすべて止まってしまっていた自粛期間中、ホームページ委員会では「パソコン相談室」(第2・第4木曜)の日に、実行委員でウェブ会議を行ってきました。

少なくともネットに繋がったスマートフォンやダブレット、もしくはカメラとマイクのついたパソコンがあればウェブ会議はできるのですが、さまざまなシステムを試した結果、始めるのにはかなりハードルが高いということが判明しました。

またやはり顔をつきあわせての会議と違って議論やアイデアを出すには向いていないし、非常に疲れるといった、やってみなければわからないことも知りました。

今後、教区での会議も3密をさけるため広い場所で行い、Zoomというウェブ会議システムを使って自宅から参加することも可能になるようです。

あるいは法要や法話、講義などのネット配信や、リモート座談会なども今後必要になってくるかもしれません。

ホームページ実行委員会ではそのようなポスト・コロナ時代の教区・組・寺院の在り方に今後も注目し、さまざまなITを活用した教化活動を実験・試行していくつもりです。

実行委員会や組、寺院から要請があれば、ウェブ会議やネット配信の設定の方法なども、出向いてお教えしていきたいと思っております。どうぞお気軽に教務所(担当・藤井)までお申し
出ください。

(第12組清澤寺・澤田 見)

コラム法話 #生老病死 「生老病死」と新型コロナウイルス【しゃらりん36号】

世界中を震撼させた今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの生活に大きな影響を与えました。コロナ禍で個人の抱えている問題に対しては、国の政策はお金やマスクをばらまくだけで、本当に困っている人の生活を守ってくれませんでした。そのことで、逆に一人ひとりが嫌でも自分の問題として考えざるを得なくなりました。「マスク」「消毒用アルコール」を求めて店を彷徨ったり、「コロナ離婚」という言葉が生まれたり、「家族とは果たして何でも理解し合う仲のいいものなのだろうか」、「自分も感染して死ぬのでは」とフッと不安に思ったりしたことはなかったでしょうか。

これまでの私たちは、子育てや教育、防災、ごみの処理から生老病死までをも専門家や行政から提供されたサービスに「お任せ」し、ぶら下がる一方で、それが自分の思い通りに叶わなければクレームをつけるという生き方。自分は責任を放棄して他人にすべて「押し付ける」ような生き方をしていたように思います。また、不安に思うことはよくないことで、求められる「いつも明るく未来を見つめる日本人像」から外れないように細心の注意を注いで生きてきたのです。
そのことが今回の新型コロナウイルス感染拡大で夢を見させられていたことに気づかされたように思えます。

私がハンセン病問題と出会ってから30数年が経ちます。ハンセン病患者とその家族が受けた差別。県からハンセン病=らい病を出してはいけないと、1930年代に「無らい県」運動が全国で進められました。患者は強制的に家族から引き離されて療養所に隔離され、残った家族も、結婚や就職を拒まれるなどの差別を受けました。
患者を排除したのは、「それが正しいこと」と信じた「普通の人たち」でした。ハンセン病回復者の竪山勲さんは「(新型コロナは)ウイルスの全容がわからないことで恐怖が増したのではないか。怖いと思って身を守ろうとする。―中略― 憎むべきは新型コロナウイルスであって、患者ではない」と訴えます。(MBC南日本放送/2020年5月19日)
不安や恐怖からくる、感染者やその関係者に対する誹謗・中傷、インターネット上での差別的書き込みが問題になっています。

人から与えられた夢ばかりを貪ってきたことに気づかされた時、「生老病死」から逃れられない私が見えてきました。すると、「自分も感染して死ぬのでは」という不安や恐怖を抱えたまま「あるがままに生きて行ける道」があるのだと気づきました。そのことは「共に今を生きることの大切さ」という言葉に繋がっています。

(藤井満紀/第17組眞願寺・ハンセン病問題を共に学ぶ実行委員会)

出向く教化―中河内ブロック門徒会【しゃらりん36号】

組教化推進部

「一緒に何かしませんか」。それは、「正副門徒会長協議会」ブロック別意見交換会でのひとことだった。16組・17組・18組・19組の正副門徒会長が「日ごろから八尾別院等で顔を合わすことが多い関係なのだから、一緒に何かできないだろうか」と意見が一致したことが事の発端だった。

また4つの組の門徒会に加えて、八尾別院門徒会も参加。ブロック門徒会への出向く教化は初めてのことなので、組教化推進部が事務局的役割を担い、2019年9月16日に「中河内ブロック門徒会」がスタートした。

日ごろの思いやそれぞれの門徒会の課題、またお寺の未来についてなど忌憚のない意見が出された。「お寺と縁のなかった人たちも来てもらえるお寺作りが必要」「八尾のお逮夜市のようなことができないか」「語り合える場が必要だ」等々の意見が出る中で、「自分は両親や祖父母がお内仏の前に座る姿を見て育っているので、自然にお念仏の教えには触れている。しかし核家族となった今、そんな姿に触れることはない。そう思うと〈私たちは次の世代に何を残していけるのか〉ということが大きな課題になっている」との意見が全体の心に共通した。

「一緒に何かしませんか」から始まった集まりだが、お葬式が簡略化され、法事も質素になり、伝える場面そのものがなくなっている現代に真宗門徒として何ができるか。そんな大きな課題を持つことになった。

まさにこれから始まるブロック門徒会だが、どうなっていくのかが楽しみだ。

(第17組法觀寺・廣瀨 俊)

お寺の未来―寺カフェ・寺キッズ【しゃらりん36号】

第1組勝光寺・地域にひらかれたお寺へ

寺カフェを始めて5年目、寺キッズは2年目になります。

寺カフェは、西区地域包括支援センターが西区内の各連合で開催している高齢者の「立ち寄り処」の民間版です。100円の会費で近隣のお年寄りが毎月最終週の火曜日に本堂に集まり、訪問看護ステーションの作業療法士指導の下、楽しみながら健康体操を行います。元気な人はもちろん、リハビリ中の人もニコニコ笑顔が絶えません。その後、区保健センターや包括支援センターのスタッフ、市内の様々な企業の講演、講義を様々に利用してほんの少し勉強もしています。

寺キッズは、地域の子どもたちとその保護者たちの居場所作りとして始めました。毎月第2土曜日、お昼ご飯にカレーライスを提供しています。年齢に関係なく100円の会費でおかわり自由です。それぞれ食事が終わると100冊程の絵本を読んだり、近くの学童保育所のスタッフの協力のもと、けん玉を習ったり、本堂の内外を走り回ったりと賑やかに遊んでいます。また、幼児を連れた親子が何組も来てくれているのは、嬉しいことです。
寺キッズに、大阪市ボランティア活動振興基金会から助成金をいただいたことはこれからの活動にいっそうの励みとなっています。

町中の小さな寺ですが、息長く地域の中で活動を続けていきたいと思っています。

(第1組勝光寺・足立敦子)

出向く教化―第12組坊守学習会【しゃらりん36号】

私たち第12組坊守会では「定例学習会」として、毎年さまざまなテーマで学びの機会を設けております。今年度は「声明作法」をテーマに、昨年9月と10月の2回にわたり、山名彰英先生(第22組因超寺)をお招きしました。
今回、私を含む若手坊守からの希望で、月忌参りにも対応できるよう、改めて正しいお作法を実践的に学ばせていただきたいとお願いしました。先生は資料をご用意くださり、丁寧にわかりやすく、そしてとても和やかに教えてくださいました。

第1回目の「おつとめの作法」では、「正信偈」の正しい読み方を教わり、改めて日頃の「くせ」に気づかせていただきました。第2回目は、会処寺院のお内仏の前で、お荘厳やお焼香の仕方について実践的に学び、坊守一人ひとりが先生にお作法をみていただき、ご指導いただくなど、とても貴重な機会となりました。

また、先生がご経験された月忌参りでのエピソードも、とても興味深く聞かせていただきました。その中で、お内仏の正しいお荘厳をお伝えすることも大切にしつつ、ご門徒さんの思いに寄り添いながら、お声がけをされているというお話を伺い、坊守としてたいへん勉強になりました。

学習会の後、まだ月忌参りの機会はありませんが、自坊の行事で、ご門徒さんの手本となれるよう自信をもっておつとめやお焼香ができるようになりました。

「出向く教化」を通じて、私たちの思いにピッタリと応えてくださる、素晴らしい学びの機会をいただきました。

(第12組慈恩寺・墨林浩子)

コラム法話 #生老病死 「私」との出あい【しゃらりん36号】

私はつくづく「私自身」に出あいたがっているなぁと思います。そして私以外の方もきっとそうだろうなぁと思うのです。
「私自身」に出あうって、私はいつも私に出あっているし、私のことは私が一番分かっているとおっしゃる方もおられるでしょう。しかし「私自身」に出あうって、中々容易なことではないと、私は思うのです。

先日健康増進のため、万歩計や心拍数等を測る機能の付いた時計が欲しくなったのですが、あいにく新型コロナウイルス感染拡大防止のための自粛で、お店が休業していました。
インターネット通販で商品をみてみると、定価よりかなり安く買えることが分かりましたが、それで購入することにはためらいがありました。
結局お店の再開を待って、お目当ての時計を手に入れたのですが、その時つくづく感じたことは、この時計を決して価格だけでは買わない「私」なんだなぁということでした。実際に商品を手に取ってみて、店員さんとやり取りをして、そこではじめて私が納得し、購入となりました。
こういった経験は内容の違いはあれ、多くの方々が経験しておられることですし、時にそれを「こだわり」とも言ったりするのだろうと思います。

陶芸家・河井寛次郎さんの

物買って来る
自分買って来る

ということばがあります。ここで語られている「買う」は、決して金品のやり取りを言っているのではなく、「物買う」という縁を通じて、「買う」となった「自分買って来る」、つまりそこに自分自身との出あいを表現しているように、私には思えるのです。
そしてここで、私の日常の一コマをことばにさせていただいて、私は「私」に出あわせていただいて、とても嬉しいのです。この誌面を読んでくださる方がいてこそだなと感謝しています。

「南無阿弥陀仏」というお念仏は、阿弥陀様の向こう側からの呼び声を聞くことですし、それは同時に私自身との出あいの場であると思います。
ことばにならなければ、私は永遠に阿弥陀様に出あうことも、自分自身に出あうこともなかったでしょう。ことばになってはじめて、人間は事物を掴むことができ、感情に出あうことができるのです。

新型コロナウイルスの影響で、人と人とが集まる(会う)ことがとてもしにくい状況になっていますが、私が「私」に出あうためには、「私」をそのまま聞いて下さるもう一人の人が必要です。
みんなで知恵を出し合いながら、私が「私」になる会座を見つけていければと、切に願います。

(井関 靖/第10組慶德寺・組同朋の会教導)