あゆみ通信 VOL.165
- 2022年12月21日(水)19:06
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あゆみの会総会、開催
- 2022年12月20日(火)7:47
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去る12月11日(日)、あゆみの会総会が光照寺(天王寺区上汐、墨林浩住職)において開催され、コロナの第8波の中でしたが会員10名が出席しました(委任状17通)。
吉田雄彦副会長の司会の下、真宗宗歌斉唱で始まり、細川克彦会長の挨拶の後、来賓の墨林組長様からご挨拶をいただきました。
その後、議事に移り、本持喜康副会長(会計兼務)が欠席のため、細川会長より2022年度事業報告と同会計報告が行われ、続いて細川孝子監査委員より監査報告が行われました。慎重審議の後、全員の挙手により承認されました。
続いて、2023年度事業計画について細川会長より、第1回例会は3月28日の本山での「宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」参拝を当てることとし、また第2回例会は6月に第2組朋友会とのコラボレーション、第3回例会は9月に2組門徒会研修と合同で行うことを提案、続いて予算案を提案し、慎重審議の後、全員より承認され、以上をもって議事はすべて終了しました。
その後の意見交換では、吉田副会長より、聞法学習とともに推進員同士がもっと和やかに意見交換できるような場造りが出来ないだろうかという問題提起がありました。
休憩の後、墨林浩先生より約1時間、「二尊教の教え」という講題で、ご法話をいただきました。
はじめに「身土不二」という仏教の教えを紹介され、土とは環境を表わし、身と土は実は深くつながっている。場(土)とは心の置き場所を表わし、人は心が落ち着く居場所を求めている。そして、それを真宗では浄土と表わす。
また、真宗は二尊教であると教えられているが、教主は釈尊(人間)であり、救主は阿弥陀如来(擬人化して表現されているが、法、道理法則)である。
世間では一体化して、教祖が救主となっている宗教も多いが、これは人に依存しており、釈尊は「法に依りて、人に依らざれ」と教えて下さっていると。
また、阿弥陀様が私を助けるのではなく、私を助ける働きを阿弥陀と言い、浄土とは存在を存在たらしめる働きであると。
また、ここにいる自分がどれだけのご縁を得てきたかということに気づくことが大切であると。資料も配って下さり、わかりやすく話してくださいました。
最後に、皆で「恩徳讃」を唱和して、閉会しました。(レポート:細川克彦〈佛足寺〉)
あゆみ通信 VOL.164
- 2022年11月25日(金)7:32
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第2組報恩講 執行
- 2022年11月18日(金)17:55
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去る11月9日、第2組 合同報恩講が阿倍野区の即應寺(藤井真隆住職)を会場に、組内の住職、寺族、門徒、推進員ら40人が集い、勤められました。お内陣には13人が出仕され、正信偈、念仏讃、和讃は「弥陀大悲の誓願を」次第6首、そして回向と、全員にて力強く、かつ厳粛に勤められました。
その後、土井紀明先生(第8組 念佛寺住職)より「南無阿弥陀仏の救い」という講題で、ご法話をいただきました。
先生は高校時代から人生に悩みをもち、仏教書にも親しまれ、金子大栄師や清澤満之師の書物にも出会われ、大谷大学に学ばれました。
卒業後、本山研修部に勤められ、同朋会運動の一環である本廟奉仕団のお手伝いをされたり、ご講師方のお話を聴かれましたが、教えが生活の中で実感できず、鹿児島県の甑島(こしきしま)に代理住職として移られました。
先生はそこで毎日、法話をされていましたが、本当に信じてもいない法話をすることが辛くなり、もう辞めようと思われていたある日、風呂からあがって、何となく法話テープを聴いているとき、「凡夫は仏法を聞いても、ちっとも受けつけない、信じられない身である。そんなものを助けるのが阿弥陀様である」というお話を聴いて、涙が流れて止まらないようになった。今まで信じよう、助かろうとしてきたが、信じられないものを救ってくださる、それが「南無阿弥陀仏」であると。
阿弥陀様は私たち凡夫に、助からん者であると知らせて助ける。お念仏のいわれをよく聞き続けてください。あーっ、そうかと肯けるときが必ず来ますからと最後におっしゃられました。
休憩の後、同朋総会となりました。友澤秀三住職(南照寺)の司会で、アンケートの中から、第2組の法話会も高齢化等で、だんだん参加者が減っているが、対策はないのかとか、推進員養成講座を開いてほしいという声や、養成講座の目的である同法の会のイメージがはっきりしないとかの意見を紹介されました。
また会場から、2組において養成講座はそれなりの実績があったと思われるが、他にも教化について何か考えておられるかと住職方に問いかけられたところ、墨林組長はコロナの状況下なかなか難しいが、教化委員会で検討したいと答えられました。
司会の友澤氏より子や孫にどのように法義相続していくか考えてほしいと提言され、同朋総会を終了しました。
最後に、もう一度「恩徳讃」を唱和し、解散しました。(レポート:細川克彦〈佛足寺〉)
あゆみ通信 VOL.163
- 2022年10月24日(月)20:40
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第二組 聞法会を開催しました
- 2022年10月05日(水)19:14
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勤行の後、第四組 正業寺住職 新田修巳先生を講師にお招きし、法話をいただきました。先生は善導大師のお言葉、「もし行を学ばんと欲(おも)わば、必ず有縁の法に籍(よ)れ」(聖典219頁)に最近、特に心が引かれると話され、それは称名念仏であると。
先生は20歳代の頃、お念仏は称えるけれど、なかなか心がついていかず、困って先生方にお訊ねしたと。
はじめに駐在教導として大阪に来られていた長川一雄先生に、口からお念仏が出ないと話すと、長川先生は一例として、登園しない保育園児を連れてきて、両親がこっそりと隣の部屋にいて、帰ると言って泣き叫ぶ子に陰から子の名を呼んでもらったら、びっくりして泣き止み、それからは安心したのか登園するようになったと。「南無阿弥陀仏」は仏様があなたを呼んでくださっている呼び声であると。
また、仲野良俊先生に帰命(南無)って何ですかとお尋ねしたら、弘田三枝子さんの歌っている歌に「いのちをあなたに預けた!」という歌詞の歌があるが、そのように仏様に全部お任せするという意味だと。
また、竹中智秀先生に「阿弥陀様はどういう仏様ですか」とお尋ねしたら、『観無量寿経』に「念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典105頁)とある摂取不捨の心とは「えらばず・きらわず・見すてず」という心であると。
このように3人の先生方からお念仏の意味をくわしく教えていただき、お念仏を申されるようになったと話されました。
休憩後は、如来の大悲のお心について、お母さんがたとえ離れていても、常に子のことを思っている心に譬えられ、親鸞聖人は、その阿弥陀のお心を如来大悲の恩徳といただかれたと、しみじみとお話し下さいました。(レポート:細川克彦)
あゆみ通信 VOL.162
- 2022年09月22日(木)20:17
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第2組門徒会・あゆみの会合同研修会が開催されました
- 2022年09月14日(水)8:20
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2022年9月6日(火)午後1時30分から、天王寺区の光照寺(墨林浩組長)をお借りして、第2組門徒会と組推協あゆみの会合同研修会が開催され、大阪でのコロナ感染者高止まりの中でしたが、10名の参加をいただきました。
真宗宗歌斉唱で開会、中嶋ひろみ会長の開会挨拶のあと、講師の松井聡先生(門真市 心願寺住職)から来年、御本山で厳修される宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要のテーマである「南無阿弥陀仏―人として生まれた意味をたずねていこうー」と題してお話いただきました。
先生は、立教開宗について宗祖は一宗派を独立する意図はなく、「浄土真宗」を浄土の真実を宗とする教えと言う意味で『教行信証』でお使いになられたと。
また「自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり」(清澤満之師)を紹介され、何のために生きているかと人間だけが問う。人が人生に不安を感じたり、空虚感を覚えたりするのは、真実なるものを求めているからだと。「歎異抄」後序の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」を引かれ、念仏だけがまこと(真実)であると。
お念仏は、私が仏を念じると同時に、仏が私を念じてくださっていると言うことが分れば、お願いの念仏が、智慧や慈悲に対する感謝の念仏に変わると。
最後に、人間に生まれたから仏法を聞くのではなく、仏法を聞くために人間に生まれて来たのであると、締めくくられました。(レポート:細川克彦)
第2組 聞法会を開催しました
- 2022年09月04日(日)8:04
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また王舎城の悲劇などを例にとり、母と子、ひいては人と人との関わりの中で、何でも思い通りにしたがる我々の心の問題についてお話しされました。
(追記)第2組 聞法会「共に学ぶ正信偈」を開催しました
- 2022年07月30日(土)19:30
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7月23日(土)午後2時から、浪速区の唯専寺で第2組聞法会「共に学ぶ正信偈」が、組内の住職、寺族と門徒、推進員15名が参加して開催されました。
墨林浩組長(光照寺)の開会の挨拶、唯専寺の松岡良平法務員の調声によるお勤めの後、講師の新田修巳先生(4組 正業寺)からご法話をいただきました。
先生は前半、思い出に残る多くの先生の教えをいただいた言葉を、懐かしく思い出されながら、教えを共有したいと。和田稠先生、安富信哉先生、松原祐善先生、仲野良俊先生等。
特に20歳の頃に出会った「親鸞教学」(曽我量深先生命名)に掲載されていた安田理深先生の「菩薩的人間」に衝撃を受けたことを。そしてその言葉から宗教に自分自身を探す道があるのだと教えられたと話された。また、先生に「もっともっと悩まなければなりません。悩み方が足りない。」これはすごいショックでした。何故か?「人類の様々な問題が私たちに圧(お)しかかってきているのです。安っぽい喜びと安心感に浸る信仰に逃避していることは出来ません。むしろそういう信仰を打ち破っていくのが浄土真宗です。」と言われました。やっと、目が覚めたという感じでした。そのことから「菩薩的人間」という言葉がしっかり根付いてきました。菩薩と言うのは、もちろん、求道者なのですが、にっちもさっちもいかない中に、立ち止まる人と言うことです。どうしようもない状況の中で、しかも何とかしていかねばならない。松原先生の言葉で表現しますと「業を受けて業を悩む、さらに業を尽くす」と言うことです。そこに菩薩的人間と言うのがあると話されました。
休憩後は天親菩薩の「帰命尽十方無碍光如来」について、「無碍と言うことは『生死即涅槃である』」と。「かくのごとき入不二の法門」(「教行信証」行巻)を引かれ、入は「証入」で悟り入る。「不二」は生死がそのまま涅槃であるということ。こういう法門があると。その法門が帰命尽十方無碍光如来と言うことで表されていると。南無阿弥陀仏と言う称名は、どいう意味があるのかと言うと「誓願をはなれたる名号も候わず候う、名号をはなれたる誓願も候わず候う」(「末燈鈔」)すなわち、名号と誓願は一つであると。
名号は私たち一人ひとりに如来が与えられたもので、信國淳先生(専修学院院長)は「この南無阿弥陀仏は如来自身を自己贈与されたものだ」と言われたと。
先生は最後に、曇鸞大師の「聞光力」を紹介し、聞くことによって力を賜っていく。称える念仏と聞こえる念仏。その聞こえる念仏によって生きる力をいただいていくことができる。そのことが称名念仏に尽きると話されました。
次回の聞法会は8月27日(土)午後2時から、天王寺区の光照寺で開催予定です。講師は広瀬俊先生です。(本持)
あゆみ通信 VOL.161
- 2022年07月23日(土)20:41
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朋友会・あゆみの会合同研修会 開催
- 2022年06月25日(土)20:24
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6月21日(火)午後1時30分から、阿倍野区の即應寺(藤井真隆住職)をお借りして、前回2019年9月24日以来、コロナ感染下で空白であった、第2組青年僧組織の朋友会と合同の研修会が、墨林浩組長(光照寺)と池田英二郎副組長(宗恩寺)並びに同朋の会推進委員の喜左上恵子住職(紹隆寺)と藤井真隆住職、そして朋友会有志と推進員20名が参加して開催された。
あゆみの会事務局の本持(即應寺門徒)の進行で開会、真宗宗歌斉唱。続いて朋友会会長友澤秀三住職(南照寺)と第2組から池田副組長からご挨拶をいただき、講師の神保朝成先生(憶想寺)から「出遇いの中で気づかされる私」と題してお話をいただいた。
先生は、先日、命終されたお母さんを偲ばれながら、自身が自分の価値観から抜け出させない自分について、恩師に話したところ、「自分自身に問うことを忘れている。もっと自分自身に向き合って考えることだ」と言われた。「なるほど、自身は答えを求めて仏教や真宗に聞いていたのだなあ」と気付かされた。
そして、母は身を通して、人が亡くなると言うことを我々に教えてくれたと。
また、別院でいろんな出会いをしてきたが、世話好きで熱心な念仏者のご門徒さんご夫婦にお育てをいただいたし、當麻秀圓輪番から教わったのは、「寺と言う字は十一寸で構成される。物事をはかるのは尺度(社会の常識)で、一尺は十寸。お寺は世間の価値観を超えた、如来さんの教えをいただく場所だ」と教わった。今後も聞法を通して、ご門徒の皆さんと共に教えにであって行きたいと思うと話された。
最後に、恩師加来雄之先生の言葉「人生の辛さが仏法に遇う縁となり、そのことが人の歩みを深めていく」で締めくくられた。
休憩後は、あゆみの会吉田雄彦副会長の進行で座談が始まり、お寺の在り方について、活発な意見が出された。今後も門徒、住職が共に聞法を重ねながら継続していくことを確かめて終わった。
最後にあゆみの会細川克彦会長により閉会の挨拶があり、恩徳讃を斉唱して散会した。(レポート:本持)
あゆみ通信 VOL.160
- 2022年06月25日(土)19:20
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第2組 聞法会を開催しました
- 2022年06月23日(木)16:34
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梅雨に入り、蒸し暑い6月18日(土)午後2時から、阿倍野区の法山寺(藤原憲住職)で第2組聞法会が開催され、組内の住職、寺族や門徒、推進員17名が参加しました。
池田英二郎副組長(宗恩寺)進行で開会、ご法話の講師は15組西稱寺の宮部 渡先生でした。
先生をお招きする話は、コロナ前に決まっていましたが、やっと今年、実現しました。
先生は、ご自身の予期せぬ闘病の体験もお話されながら、「正信偈」の七高僧のひとりの道綽禅師について紹介され、末法の時代に30歳を過ぎて慧瓉(えさん)に師事されて、戒律と実践に励み一人者に。
48歳の時、玄中寺を訪れて曇鸞の碑文を読まれて、感じられ、自力修行の道を捨て(自力無効)、浄土教に帰依されて「観無量寿経」を学ばれ、のちに善導大師に伝えられるという、大事なお役目をされたお話を教えていただいきました。
次回の聞法会「共に学ぶ正信偈」は7月23日(土)午後2時から、浪速区の唯専寺で開催です。(レポート:本持)
第2組 聞法会を開催しました
- 2022年06月04日(土)8:18
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2022年5月27日(金)午後2時から、天王寺区の了安寺(海老海恵幸住職)を会場に、第2組聞法会「共に学ぶ正信偈」が、組内の住職や寺族、そして門徒と推進員24名が参加して開催されました。
墨林浩組長の進行で開会、海老海恵幸住職による調声で正信偈勤行の後、講師の新田修巳先生(4組 正業寺)から前回の2021年9月24日(土)宗恩寺での聞法会から引き続き「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来 依修多羅顯真実 光闡横超大誓願 広由本願力回向 為度群生彰一心」について、「一心」と「本願力」についてお話いただきました。
先生は、自身の仏法との関りを振り返られ、問い直されながら、その歩みについてお話され、先達の曽我量深先生や安田理深先生の言葉から深く学ばれ、南無阿弥陀仏と言う、何処にあっても如来の呼びかけをこの耳で聞き、その呼びかけに応えて行く私という存在を認識し、頷いていける。そのことによって生老病死を受け止める。そこに本当の救いが実現されると話されました。
先生のお話を通して、曽我量深先生や、安田理深先生、また安富信哉先生、信國淳先生や藤場俊基先生のそれぞれの親鸞聖人からの教えの言葉を、お聞きすることが出来ました。(本持)
次回は、6月18日(土)、会場は阿倍野区の法山寺、講師は宮部渡先生です。