四、処を得る

凡夫のことを「異生のもの」といわれますが、異なって生まれ出たもの、業が異なって生まれたものという意味です。実際、この世に生きているもの、同じものは何一つとしてありません。容貌、性格、生い立ち、その人の人生の歩み、それから指紋から声に至るまで、すべて異なっています。まさに「有量の諸相」であります。

同じ親をもち、同じ家庭の中で成長しても、兄は消極的であるのに、弟は積極的ということがあります。姉は温和だが、妹は気性が激しいということがあります。親子であっても、親は商才があるのに、息子はその方は親に似ず、その代わりに学問においてすぐれているということがあります。真似ることもできず、歩みを同じくすることもできません。大経に「無有代者」とありますが、まさに代ることはできません。

色とりどりのチューリップを咲かせている家がありました。赤、白、青、黄、黒と、妍を競って美しく咲いています。赤には赤の美しさがあるし、白には白の良さがあります。青には青の持ち味があるし、黒には黒の重厚さがあります。太陽の光に照らされて、それぞれの花は自分を一ぱいにつくして咲きほこっています。自慢もなければ卑下もありません。まさに「各々安立」であります。

過日、大阪城の石垣を見に行きました。大阪府庁の前から大手門をくぐると、まず目につくのは大手枡形の巨石です。大阪城の石垣の特徴の一つはすべて石で構築されてあることだ、とあります。遠くは備前岡山から、小豆島、家島、近くは御影石から河内近郊の花崗岩までが使用されているとのことであります。この大手桝形の巨石は城中第二の巨石であるとされています。

さて桜門をくぐったところに桜門桝形の巨石があります。備前岡山の大名池田忠雄が豊臣秀吉をおそれて担当したものですが、城中第一位のもので、良質の花崗岩とのことです。通常タコ石ともいわれ、高さ五・五米、幅十一・七米、重さ百三十頓、畳を敷けば三十六帖分の面積であると測量されています。そのタコ石の左側にある巨石は振袖石ともいわれ、これまた城中第三位とされています。

大手門にしても桜門にしてもまず目につくのは、この巨石であります。桜門桝形の巨石の左側には振袖石の巨石があり、反対側の右の方には細長い縦石や、その上には三角の形の石がおかれています。まだその他に大小多くの石が積み重ねられて、この城壁をつくり上げているのです。しかし、私たちの眼につくのはこの巨石だけであって、他の石はチラッと目に入るだけであり、ほとんど注意を払われることはありません。

しかし、この城壁をつくるものはこの巨石ではありません。かえって目につかない三角形の石や、細長い石、小さい石が大事な意味をもっています。これらの巨石でない石たちが、巨石を巨石たらしめ、また城壁の一隅をまもっているのです。これらの石たちはこの城壁をなりたたせているのは自分たちだという誇りさえみえるようであります。目につかぬからといって、小さいからといって、形が悪いからといって、少しも卑下しているところはありません。すべては堂々としています。

巨石が巨石であるのは、巨石の業といえましょう。細長い石も三角形の石もその石の業で、誰のせいでもありません。自らの業を背負って、その業を果たしているのです。その業によって置かれている場所に、上であっても下であっても、真中であっても隅であっても、他をうらまず自らをひがまず、かけがえのない場所であると、その場所に落ち着いているのです。ブロックならかけがえがありますが、この城壁の石だけはかけがえがありません。それぞれがそれぞれの場所に落ち着いて、処を得ているのです。これまた、「各々安立」であります。

この城壁の石からいろいろのことが教えられました。わたしはわたしでよかったのです。わたしがわたし以外のものになることはできませんし、又なれはしないのです。「そのまま」と教えてくれています。それでよかったのだ、そのまま一ぱいに生きていくのだと、この石たちは教えてくれているのでありました。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見