六、分限に生きる

清沢満之師は「我等の大迷は如来を知らざるにあり、如来を知れば自ら分限あることを知る」と、述べられています。如来を知るとは如来に遇うということで、そこではじめて分限が知らされるのであります。分限が知られ、分限にうなずけたということは、如来に遇ったからなのです。

福井の竹部勝之進さんに「分限の唄」というのがあります。

分限を知らしてもらい
自分に出来ることをやらせてもらう
たのしからずや
分限を知らしてもらい
安心して生きさせてもらい
安心して死なしてもらう
たのしからずや

分限を忘れると、出来ぬことまで手を出します。出来ぬことに手を出しますと、必ずそこに苦しみがおこってきます。よい格好をすることはいりません。きばることもいらず、見栄をはることもいらず、背伸びすることもいらず、できることをさせてもらったらよいのです。

さて、わたしの分限は何であったか。凡夫であったのです。「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫」(p629)と、如来よりわたしの分限までいいあてられていたのであります。そして更に「一生凡夫にてあるべきなり」とまで明らかにされていたのです。それを忘れて、ああなって、こうなって、或いは心をしずめて仏に近づこうとし、よいことをして仏に近づこうとし、はからってばかりいるのです。なれぬことを知らずになれることのように思って、もがきあがいているのです。それは如来の分限にまで手を出していることになっているのです。

自分の分限を知らせてもらえば、出来ることだけをさせてもらえます。凡夫にできることは何か。仏に近づくことではなくて凡夫にかえることなのです。煩悩具足の凡夫、罪悪生死の凡夫であることにうなずいていくことしかありません。南無阿弥陀仏と称える、この「称」を聖人は「かなう」とよんでおられます。「かなう」とは適合する、ピタッとあうということ。仏に適合するのでなく、凡夫に適合するのです。してみれば称名念仏ということは、たえず私を凡夫の場に引きもどして下さるはたらきであったと、うけとれるようです。

自分の分限を知らせてもらえば安心して生きさせてもらえるのです。安心して生きるとは、別に楽になることでもなく、苦悩がなくなることでもありません。背負い果たさねばならない宿業はどうにもなりませんが、それを背負っていける私になるということです。果たしていける私になるのです。「重荷背負って山坂すれど 御恩思えば苦にならぬ」と、よんだ人もありました。

自分の分限を知らせてもらって、安心して死なせてもらう、と竹部さんはよんでいます。明治のころ、一青年求道者が死を前にした念仏者に問うています。
「あなたは今にも死を迎えようとしておられます。さてあなたの後生は明るいでしょうか、暗いものでしょうか」
その問いを非常に喜び、こう答えています。
「わたしの後生は明るいようであるし、暗いようでもある。しかし、こちらの方で明るいか、暗いかをきめねばならないなら、無になる方があるでなあ」
明るくしてくださるのは如来の分限で、凡夫のきめることではありません。凡夫は最終臨終まで煩悩が、とどまらず、きえず、たえずの状態なのであります。如来の仕事に手を出してはなりません。ただあるがまま。両手はなしたまま。手ぶらのままなのです。

数年前、大阪国立大学の耳鼻科の教授が、癌になられたとき死を迎える自分の表情を逐一、カメラにとってもらい「ガンかて笑って死ねるんや」と、がんばられましたが、さすがに最期は「きついな、早く楽にしてくれ」と絶叫されたときいています。なにかそこには悲愴感がただよっているようです。わめいたらよいのです。泣いたらよいのです。こわがったらよいのです。

禅者であった博多の仙崖和尚は、死に臨んだとき、弟子から最期に一言と問われて「死にともない、死にともない」と、答えました。あまりにもめめしい言葉に「更に一言を」と、いったのに「ほんまに、ほんまに」と、答えましたが、なにか心にホッとさせるものがあるようです。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見