五、浄玻璃の鏡

榎本栄一さんの『群生海』の中に「浄玻璃の鏡」という詩があります。

どこ とりあげても
感心できる自分でない
もし浄玻璃の鏡があって
映しだされたら
恐れいりましたと
頭をさげるほかない

私たちが仏法をきくということは、どこどこまでも自分をほり下げていくことであって、決して向上していく、偉くなっていくということではありません。聞けば聞くほど、感心できる自分でないということが、明らかになっていくということなのです。

よく仏法をきいて、偉くならねばならないとか、信心を得なければならないとか、覚えねばならないとか、喜べるようにならねばならないとか、「ねばならない」という心で聞くのであったならば、おそらくこれは真宗の聞法とはいえないでありましょう。

「なろう」とする心、これは自力のはからいであります。なれはしないのに、なれるように思っているのです。讃岐の庄松に、聞法の帰りに友はいいました。「ありがたいお話であった。日頃の邪見の角が折れたわな」
庄松はすかさずいいました。
「ほう、邪見の角が折れたか。折れた角なら又、生えねばよいがのう」おそらく相手は唖然としたことでしょう。続けて庄松はいっています。
「わしは角の生えたままと聞かせてもらったぞ」
聞けば聞くほど、角の折れぬ自分が知らしめられていく、それしかないのです。角が折れてよくなっていくなどということは、あり得ないことであります。

腹も立たなくなってきた、欲も少なくなってきた、やさしい言葉も出てくるようになってきた、人に親切心で向かえるようになってきたと、聞法によって向上していくのではなく、こんなことに出あったら腹の立つ自分であった、こういうことに出あえばきつい言葉の出る自分であった、あわてふためく自分であったと、一つ一つの出来事を御縁として、自分が見えていく、そして聞けば聞く程、お粗末であった、無能者であったと、恩にかえらしめられていくのが、南無阿弥陀仏のこころでありました。

清沢満之師は自らを「臘扇」と号されました。十二月の扇子ということで、世の役に立たぬものということをあらわします。自らを無能者と自覚されたのは如来にあっての自覚でありました。鏡が遠くにある時は、自分を明確にとらえることはできないが、鏡が近くにある時は、はっきりと自分がうつし出されます。煩悩具足と信知せしめられたのは、如来が近づかれたからであります。

『地獄草子』にみる閻魔のその顔は怒りで真赤になり、その眼は大きく見ひらかれてするどく、口は大きく開かれて、耳もまた大きい。その前に青鬼とか赤鬼が鉄棒をもって、罪人の頸筋をおさえています。地獄におちながら罪人はその悪業をまだ否認しようとするのでしょうか。その前には浄玻璃の鏡がおかれています。どれ程かくしおおせても、水晶のようなその鏡の前に、自分の罪業のすべてがうつし出されてくるのです。そこではじめて、おそれ入りましたと、頭が下がってくるのでありましょう。つまり浄玻璃の鏡を前にして、罪人ははじめて自分に遇うのです。その場所がなんと地獄であったのです。地獄までおちなければ自分にあうことができなかったのです。

『愚禿悲歎述懐和讃』にみる宗祖の言葉―「貪瞋邪偽」といい、蛇蝎とたとえ、無慚無愧といわずにおれなかったその心境は、自己の中に地獄をみておられたのでありました。如来にあうことによって、地獄を蔵した自己であったとまで深まっていかれたのでありました。

浄玻璃の鏡、つまり鏡のあるのは地獄だけであって、他の悪趣には鏡はありません。ということは、餓鬼にしても、畜生にしても、そこでは自己にあうことができないということでありましょう。地獄におちてはじめてすくわれる、地獄の底にこそ極楽の門があったのでしょう。まさしく浄玻璃の鏡を前にして、南無せしめられるのでありました。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見