十、仏道をならう

前回につづいて「人間の唄」という竹部勝之進さんの詩ですが、「三歳の童子にも学ぶべきものを学べる人間になりましょう」という一節について考えてみたいのです。学ぶといってもそれは知識の面ということでなく、あくまでも仏道に立ってのことで、道元禅師の有名な言葉「仏道をならうというは、自己をならうなり」とありますように、自己をならうとは、自己を明らかにしていく、これしかないのであります。それは求道という言葉でもあらわせますが、又、換言すれば成仏道ということでもありましょう。

三歳の童子ということは、仏道を立場とするならば、学べるなどと思われないようなことからも、学んでいける。いや、学べるとみられるものよりも、学べそうにもないと思われるものの方が、かえってわたしを教えてくれる、ということをあらわしているようです。親鸞聖人はそれを「よくよく按ずれば」という言葉であらわされました。よくよく思按する。胸に手をおいて按じみるならば、ああそうであったか、こういうことを通して、このわたしを目ざめさそうと呼びかけていて下されたのであったかと、うなずけてくるのであります。

わたしのことで恐縮ですが、長い夏休みを利用して息子がアルバイトに行きました。五時すぎに帰ってきます。ところが注文が多くなって超過勤務になったといって七時すぎになるときもあります。七時すぎの時は、帰るやすぐに食膳に向かいます。

ある日、わたしは家の者と大阪市内まで買物に行きました。ふと気がつくと、もう五時すぎになっています。今から帰っても六時すぎになってしまう。超過勤務のときなら間に合いますが、五時すぎに帰っていても矢張り、おなかを空かして待っているだろう、今から帰って御飯ごしらえをしても間に合わぬ、おすしでも買って帰ればすぎに食べられるだろうと、買物をすませて帰宅しました。その日は五時すぎに帰って、おなかを空かせて待っていました。
「いまごろまで何していたのや、腹すかして待っていたのに」となじります。
「そうか。ついおそくなった。すし買ってきたぞ」
「早くしてくれ、早くしてくれ、待つ身にもなってみよ」
とえらそうにいいますので、ついわたしも腹が立ってきました。
「七時の時もあるじゃないか、五時に帰るなら、五時といっておけ。お前のアルバイトではないか。お前の都合に合わせられるか」
「五時か七時か、会社に行かねばわからん。腹がへったら腹が立つんだ。早くくわせてくれ」
「自分でくえ、あまり勝手気儘なこというな」
と、叱りつけました。実際は、もっとはげしい言葉のやりとりがあったのです。久しぶりの親子喧嘩です。すると息子はわたしをにらみつけて、こういったのです。
「えらそうなこというな。おやじもいつもやっとるじゃないか。帰る時間もいわずに出て行って夕方突然帰り、御飯にせよとガンガンいって、勝手気儘なことやっとるじゃないか」

ガツンと一発くいました。
やっていたのです。全くその通りであったのです。そこには親などと偉そうなことのいえない自分が知らされたのです。家の者に当たりちらしているわたしの相をみて、おそらく息子はやりきれなかったことでしょう。息子はわたしの相をみせてくれたのです。わたしは息子を縁として私に遇ったのでした。そこからお粗末な人間であったな、はずかしいことであったなと一つ学んだことでした。すると息子はわたしにとって、仏であったと見なおしていけるのです。

親鸞聖人は『浄土和讃』の中で、提婆尊者と書かれ、その下に阿闍世王、雨行大臣、守門者と並べて書きそえられています(p483)。悪逆無道の提婆を尊者とされ、悪の加担者、悪にまけた人たちにまで一々の名前をそえられたのは、わたしの仏道を荘厳するのに欠かすことのできない人たちであったという立場で仏道をうけとっていられたのです。どの一つ欠けても邪魔なもの、捨てさるものはなかった。邪魔ものと思っていたものが、かえってわたしの念仏道を明らかにしたのであったとうけとったとき、実はわたしの生涯が学びの道として歩んでいけるのでありました。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見