十一、いのちの底に

親鸞聖人にとって信心とは、かぎりなく内に問い求めていく自己を問題とし、自己をあばき出していく、そして買いかぶっていた自分でない本当の自分、自惚れていた自分でないかけ値のない自分、夢からさめた自分と出あったということなのであります。「決定して自信を深信する」といわれますが、わが身を見きわめたということでもあります。

そのわが身が見きわめられ、信知せられたところに、もう一つ見えてくるものがある。それを「決定して乗彼願力を深信する」という言葉であらわしておられますが、実はアミダの願いがわたしのいのちとなって、いのちの底によこたわっていたということなのであります。そのいのちとまでなって下さったアミダの願いに遇われた、これが聖人にとっての信心の事実であったのです。深くわたしに出あうところに、このアミダのはたらきに目ざめてくる。アミダとはわたしを離れて遠いところにおられたのではなく、近いとも近いとも、実は自分の足の下においでになって、知らずにわたしはそれを踏みつけていたのであります。いかに踏みつけられても、アミダ如来はこのわたしを支え、このわたしを生かしつづけて下されたのでありました。

生涯「根を養えば樹は自ら育つ」という信念で、子供の教育に情熱を注がれた東井義雄先生は、兵庫県のへき村の真宗のお寺の住職であります。寺に生まれたのに神も仏も信ぜられず、この世の中が変革されなかったら子供の幸せも成り立たないといった考え方であったといわれます。

その先生に小学校の高等科の子供が質問しました。
「先生、あーと口をあけると喉の奥にベロンと下った不細工なものがありますが、あれは何をするものですか」
あれは口蓋垂といって、口からたべた食物が胃袋に入る食道の道と、鼻から吸った息が肺の方にいく気管の道と、ここで分れている。その分れ道で食物が道を間違えて気管の方にいくと窒息して死んでしまいます。そういうことにならぬように、食物をのみ込むときにはピタッとあの喉の奥の口蓋垂が気管の蓋をしてくれる。そのおかげで間違いなしに、食物が胃袋に入っていくのです。
これがわからなかったから、先生知らんわい、今日帰って調べてくるでなあ、明日まで待ってみてくれや、ということで家に帰り、いろいろ調べてようやくわかったといわれます。そして、そのような大事な役目を果していてくれるのに、それもわからず、済まんなあと思ったこともなく、有難いなあと思ったこともなく、ごく当り前のごとく思っていたこのわたしが、気づく前から大きないのちのはたらきのなかに生かされていたのであったなあと、気づかれたことでありました。

アミダの願いが、わたしのいのちとなって、わたしを生かしていて下されたのであった。このことに気づいたとき、どのような一生であっても、ありがとうとその一生にお礼がいえるようになってくるのです。人には人さまざまな行き方があります。このことに気づかなかったら、自分の甲斐性でこうなったのだと、おごりたかぶったり、もう駄目だ、自分ほどみじめなものはないと悲観して、自らのいのちを絶ったり、家族を道づれにして一家心中をしたりするようになってくるのです。

わたしのいのちの底にあってわたしを支え、わたしを生かしていてくれた無限のいのちのはたらきに目ざめたとき、わたしはわたしなりに一ぱいに生きたらよかったのです。人それぞれには分があります。分を越えることはできません。分相応に生きていく、それが信心の生活といわれるものでしょう。

金子先生がなくなられる時の最期の言葉を、広瀬先生がテープにとっておられます。
「何か言おうということになると、もうただ、ただ、ただ、ありがとうございますということの他には何もない。自分の気持ちとして素直にいえるのは、このことの他には何んにもない。一生生かしてもろうてありがとうございました」

アミダのいのちに生かされつづけられた信心の行者のすがたを、いまここに見せていただくことであります。

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Last modified : 2014/01/11 18:27 by 第12組・澤田見