(4)ユーラシア文化革命期

 世界各地で都市国家が発達するとともに、科学と呼ばれるにふさわしい、一貫した物の考え方・見方が発達してくるのです。従来、古代の科学史といえばギリシャ科学に重点がおかれていましたが、古代ギリシャと同時代、いやそれ以前に、他の地域(中国、インドや現在のイスラム地方)でも、科学が非常に発達しており、これらの地域の人類への貢献はみのがせないのであります。古代ギリシャの発展もこれらの地域の影響なくしてはなりたたないのです。

 紀元前六世紀から四世紀を中心とする時期は、人類史上でもわずかなひやくの時期であり、ユーラシア大陸の多くの地域で、学術・思想・文化が格段と発展したのであります。この時期をヤスパースは「枢軸の時代」と呼び、謝 世輝氏は「ユーラシア文化革命期」となづけられています。(『新しい科学史の見方』・講談社ブルーバックス)

 この時期の中国は、ちょうど春秋時代から戦国時代であり、孔子・老子の二大思想家を生み、そののち、諸子百科の学として数多くの思想家が発展してゆきます。インドではバラモン文化が盛んとなりウパニシャッド哲学が生まれ、そののちに仏教・ジャイナ教が成立します。一方、ペルシャ地方では、壮大なペルシャ帝国が樹立され、その後まもなく、ペルシャの雄大・華麗な宮殿文化が開花しています。ギリシャではミレトス出身のタレスに始まり、ヘラクレイトス、エンペドクレス、デモクリトス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの偉人を生んでいます。したがって、今後、この時期の思想を学びながら、それらの思想と科学・技術の発展がどのように関連しているかを少しでも明らかになればと考えています。

 現代に生き、現代に生活している我われは、存在そのものや表現されたものには、必ず背景(因・種)や隠れた意味があり、それぞれの存在が相互に関連しあって(縁)存在しているものだということをよく知りながら、表現されたもの、できあがったもの(結果)、存在しているものの表面(顕)のみをとらえて判断したり、批評したりしています。そして文化的ことがらや文明的ことがらを別個にとりあつかい、たがいに関係のないものと見なしてしまいがちであります。

 古代ギリシャの文化や科学も他国の文明文化の影響にどれだけ多く負うているかをB・ファリントン氏は『ギリシャ人の科学』(岩波新書)のなかで述べられています。

 「エジプトやバビロニアが東部地中海域におこった多くの派生的諸文化を介してギリシャに影響をおよぼしたことをも記憶しておかねばならない。ヒッタイト人の鉄を溶解する技術もそうである。ギリシャ文明が、本来的には一個の鉄器時代の文明であって、ギリシャ型の民主主義は、この鉄を溶解する技術があって初めて可能的となったのである。われわれはフェニキア人の文化もあげねばならない。かれらは音標文字の発明者である。この音標文字がギリシャ語に採用されたのは紀元前八〇〇年ごろにミレトスにおいてであった」

 以上のほかにヘブライ文学の影響やエジプトの暦法・医術・度量衡法などくわしくのべられています。我われ日本人も単に石油だけの関係でイスラム諸国と交流するのではなく、これらの背景を深く考えなければなりません。

(5)コスモスとカオス

 一九八〇年、土星探測衛星ボイジャー一号が土星に接近、数かずの写真とデータを地球に送ってまいりました。天文学者や物理学者はもちろんのこと、一般のひとびとも大変な興味をもって、テレビに見入ったり、新聞を読んだりしたものです。また、農学や生化学の分野で、人工的突然変異とでもいったらいいのでしょうか、遺伝子の組みかえに成功したという報道もされていました。

 科学の発展はいいにつけ、悪いにつけ、人類が未知の世界に対する関心をもつかぎり、宇宙への探求や生命現象への挑戦はとどまることはないのでありましょう。

 ところが、一方、浪人中の青年がバットで両親をなぐり殺すという事件や、借金の返済のためにわが娘に保険をかけ、人にたのんで殺そうとした母親の事件も報道されています。

 これらの報道は現代に生きる我われにとって、どのような関わりをもち、どのような意味をもつのでしょうか。

 宇宙を意味する「コスモス」という言葉はギリシャ語で、宇宙の秩序を意味し、それは、混沌を意味する「カオス」の反対の言葉だそうです。

 「コスモス」という言葉には、宇宙の、複雑で微妙な一体性に対する畏敬の念がこめらているともいわれています。人間の日常生活は混沌そのものであります。しかし、科学者もその混沌のうちから、調和と秩序を求めて、宇宙に向って旅立っている求道者であります。

 多彩な問題をかかえつつ、一九八一年も、はや一ヶ月が過ぎました。昨年、土星探測衛星ボイジャー一号が土星に接近する一週間前から、テレビ朝日系で放送されました「コスモス」の案内役であり、原著者であるカール・セーガン博士がその書物『コスモス』の中(地球のためにという章・朝日新聞社刊)で次のようにのべられています。

「私たちは、宇宙の片すみで形をなし、意識を持つまでになった。私たちは、自分たちの起源について考え始めた。星くず(人類)が星について考えている。百億の十億倍の、そのまた十億倍もの原子の集合体(人間のこと)が、原子の進化について考え、ついに意識を持つにいたった長い旅のあとをたどっている。
 私たちの忠誠心は、全人類と地球に対するものでなければならない。私たちは、その義務を宇宙に対しても負っている。時間的には永遠、空間的には無限の、その宇宙から私たちは生まれてきたのだから ・・・」

 私はこのことばを発見したとき、ふと、『正信偈』の二行が頭に浮かんでまいりました。

 帰命無量寿如来 ・・・時間
 南無不可思議光 ・・・空間

 親鸞聖人御自身の帰敬と人類への願いかけのお言葉でありましょう。二十世紀後半の天文学者もまた、人類への願いかけをもって研究に打ち込んでおられるのです。『願海』誌と同様、私自身も技術者として、ひとりの人間として、宇宙に対する義務をはたすために、学びつづけていきたいと念じています。

(6)文明・文化はめぐる

 科学史の大きな流れをみてみたいと思います。

 紀元前四世紀のアリストテレスにいたり、ギリシャ科学は、壮大な一つの自然科学の体系にまとめあげられ、ここに、古代、中世を貫いて支配するにいたる自然学・宇宙論のすべての基本的骨組がすえられたのであります。その後、紀元前三世紀から紀元後二世紀にいたる間に、ギリシャ科学を引きついだユークリッド、アルキメデス、プトレマイオスなどの人たちによって、アレクサンドリア(現エジプト)を中心とするヘレニズム科学が非常に発達します。しかし、それ以後、地中海沿岸の科学はローマの支配下にあって、理論的独創性を失い、理論科学は実践的なローマ人の気質に合わずそこではもっぱら、科学の実用的側面だけがとりあげられたようです。

 ヨーロッパの科学が連続的な意味において、多くの貢献をはじめるのは、一六〇〇年頃、ガリレオが活躍していた時期から後のことであります。

 また、二十世紀後半には、科学研究の中心はアメリカへ移行するのであります。その間、紀元後五〇〇年頃から一四〇〇年頃の間は、かえって、インドや中国(唐・宋の時代)やイスラム科学が非常に興隆していたのであります。これらのことから考えてみますと、現代、先進国とか開発途上国とか言っておりますが、科学文明の発達はその時代の政治体制の影響も非常に受けていますが、他民族同志がぶつかり、交流した地点で大きく発展していますし、おもしろいことに、北半球をぐるっとまわって来たようにも思えます。

Pocket

Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見