第4部 科学・技術にみる悲願

 (1)科学・技術とは

 新たに「科学・技術にみる悲願」と題しまして、自然科学・技術の分野における悲願の声を聞いてゆきたいと思います。

 読者の皆さん、「科学」という言葉を聞かれて、一体何がまず頭に浮かぶでしょうか。新幹線?人工衛星?自動車?電化製品?原子爆弾?それとも自然破壊でしょうか。

 科学という言葉はサイエンスという言葉の翻訳でありますが、もともとサイエンスという語には「個別的に独立した学科としての学問」という意味はまったくなく、ラテン語をたどれば<知識>という意味を持っているのだそうです。ドイツ語でサイエンスに当たる語でビッセンシャフト、つまり「知ること」だそうです。しかし、現在、科学と呼ばれる分野を大きく分ければ、人文科学、社会科学、自然科学の三つに分類されています。人文科学には、文学、心理学、哲学、宗教学、歴史学などがあり、社会科学には経済学、法学、社会学など、自然科学には物理学、化学、生物学、工学などがありますが、現代では細分化の傾向が著しいのであります。

 ところが、先ほどのように、科学や科学の発達という言葉から皆さんが思い起こされるのはせいぜい、医学分野あるいは工学技術分野における事柄ですが、我々の日常生活と直接の関わりを持っている分野ですので当然のことです。現代、反科学論が叫ばれましても、それは自然科学に対するものでしょう。私自身も一介の電気技術者でありますので、皆様とともに、各分野の先生方の御意見によりながら、とくに自然科学・技術における悲願を尋ね歩きたいと思っております。

 各分野の先生方のご意見によりながら、とくに自然科学・技術における悲願を尋ね歩きたいと述べましたが、さて、どのようなことから述べればよいか困ってしまいました。そこで、まず、今日の科学、技術を生んできた背景を尋ね歩くつもりでおります。山崎俊雄氏は『電気の技術史』(オーム社)の序文に

「二十世紀は『電気の世紀』とも呼ばれ、あらゆる産業と人間の生活に電気が応用され、現代技術のうちで最もめざましい発達をとげている。にもかかわらず電気の知識は難解とされ、国民の多くはその学習を敬遠する。その親しみにくい電磁気学や電気工学といえども、永い人類の日常的な活動の中から生まれてきたものである。けっして大学の研究室や大研究所から忽然と降ってわいたものではない。生産と生活との切実な要求が理論を必要とし、ひとたび確立された理論はまた身近な実践にもどされる。そのような人間の歴史のなかで、電気技術がいかなる役割を果たしてきたかについての知識をいま国民は求めている」。

と述べられています。山崎氏は、自然科学と社会科学の統一をめざす国民の課題に応えたいという念願をもって書物にまとめられたのですが、「科学とは何か?」が真剣に問われている現代、人間はどのようにして自然を認識し、現代科学の基礎を作り上げてきたかを、数多くの科学・技術者は、科学・技術史を通して学ぼうとしているのであります。

(2)科学史の楽屋裏

 現代科学に対する痛み、現代科学の歩むべき方向を問題としつつ、科学・技術史を学んでいるのですが、現代人である我々は、恵み、授かりもの、賜りもの、このような言葉を失いつつあるのではないでしょうか。それは、近代科学が成立してから、一九六〇年代までは「科学万能」「科学の進歩は人間の幸福につながる」ということが信じられてきたことに一因があると思われます。しかし、ちょうど「人類の進歩と調和」というテーマで大阪で万国博覧会が開催されているころに、多くの公害騒ぎが各地でおこり、日本列島沿岸の驚くべき汚濁がつぎつぎに報道されました。

 これらの公害問題を契機として、いまや、近代文明への信仰が大きく揺らいできたのであります。それとともに、一九七〇年代では超能力やオカルトブームが世界中に広がり、現代科学に背を向ける神秘的なもの非合理的なものへの憧れが深まったのであります。しかし、神秘的なものへの憧れで問題が解決するわけでもありませんし、これからの科学・技術の発展を否定することもできません。現代人類の智恵をもってしても、宇宙は神秘的であります。仏教には「無智の智」という言葉があります。人類は人間のおごり、傲慢さ、何事もわかっているという態度をおさえ、問いをもち、何事からも学んでいくという態度、すなわち「無智」にたってこつこつと真面目に歩まねばなりません。

 また、人類には真面目に歩まれてきた歴史があります。恵み、授かりもの、賜りもの、これらの言葉は、人類の「無智」の姿勢から生まれてきた言葉ではないでしょうか。この「無智」に立って人類が歩んできた一側面が、科学・技術の歴史であります。神秘的なものに直結しますと、科学にならないと思います。

 人間の自然認識の歴史が現代における科学の体系をどのように展開し、成立するにいたったか、その道程を明らかにするために、「科学史」を学んでいくのですが、その前にもう一人の方のご意見を拝聴したいと思います。

「現代科学はその体系化された形態をみると、論理的であり、抽象的であり、数学的である。現代科学の先駆者の一人プランクが自然科学は『人間性を超えるもの』といったのは、それが高度に客観的であり、抽象化される性格のものであることを指摘したのである。しかし、そのことは自然科学が非人間的なものであるという意味ではなかったと思う。実際に自然科学が形成されてきた歴史的過程をみると、そこに偶然もあり、錯誤もあり、逆行もあり、その道筋は決して直線的でなく、論理的でもない。研究者たちはそれぞれのおかれた時代や環境のなかでそれぞれの個性(業)を通じて可能な道をさがし求めてきたのである。天才といわれた人物も師に導かれ、友人や同僚の刺激がなかったならば十分に成長し、成功しなかったであろう。また同じ時代に同じ問題をもったいく人かの研究者のあいだには協力もあったが、競争もあり、論争もあり、歴史的に名をとどめることもなく消え去った人も少なくない。科学史の事例はそのようないわば楽屋裏の出来事をみせるものでなければならない。」

と、玉虫文一氏は『科学史入門』(培風館)の序文に述べられていますが、氏自身、現代の科学・技術に対する痛みを持ちつつ、次代の科学・技術に願いかけられておられるのでしょう。私達は歴史上名をとどめた人たちによって、科学・技術が発達してきたと受取りがちですが、けっしてそうではないことを認識しなければなりません。

(3)古代人の自然観

 便利な道具が身の回りに満ち溢れている現代を我々は文明化社会と呼んでいます。『願海』同人とともに私もアメリカを訪問しましたが、あの遠い国まで十時間程度で我々を運んでくれる便利な時代であります。この文明化の時代を離れまして、数十万年も前の世界に話を移します。

 人類の起源は明らかではないようですが、最も古い化石として、約三百万年前の猿人の化石が発見されています。直立二足歩行が人間化への始まりであるようです。この直立二足歩行から人類はいろいろな自然物を手でつかみ、それに人為的な働きをあたえて道具を生むようになったと言われています。最初の道具は石と木を材料としたものであり、数十万年前のものが見つかっています。

「道具を使っておこなう人間の労働は、手に鋭い感覚を与え、また、視覚と密接な連繋動作を可能にした。そして、それは同時に人間の脳を発達させ、労働の知的水準を高め、共同労働の必要のなかから言語を生み出した。
 人間の脳は長期間における目的意識的な労働と道具の進化とともに一歩一歩前進してきたのである。また、道具が発達したのは、道具が捨て去られずに保存されたからにほかならない。『想いえがく』という知的活動に裏付けられた道具の保存は、人類史における偉大な発展の不可欠の一契機だったのである」

と、鈴木善次氏は『科学・技術史概論』(建帛社)に述べられています。言語・文字の発生や道具の保存そのものに、他の人々や、未来の人間のためにという利他の精神が本質的に宿っているように思います。

 現代の我々日本人は、自然を人間と対立したものとして受けとめています。しかし、日本の民話や和歌・俳句などには、自然とかよい合う世界が表現されてきました。では、狩猟や採集生活を営んでいた原始時代の人類や、農耕生活を営むようになった古代の人々は、自然に対してどのような感情を抱いていたかを考えてみたいと思います。

 原始時代の発掘物やフランス・スペインにみられる洞穴絵画などから、人類が最初にもった自然観は、自然を何か霊的なものとしてとらえる立場であったと考えられます。

 伊藤俊太郎氏(前掲書引用文)によれば、

「原始人の自然観の根底をなしているものは、生命をもち、意志をもち、感情をもつところの彼ら自身の人間の属性を、自然と同一視しているところにある」

と言われています。氏は原始人の自然観をさして、神話的・呪術的自然観と呼ばれています。このような素朴な自然観は農耕生活を営むようになった古代の人々にも継承されているようです。

 有種子農業(穀物栽培)が最初に始まったのはメソポタミア近辺の山麓と言われ、約一万年前のことだそうです。ただ、農耕生活が始まりますと、定住社会が形成されますので、以前の狩猟生活と違って、生産・保存に計画が必要となってまいります。収穫した穀物を保存し、翌年の収穫時までの一年間、計画的に食糧を消費しなければなりません。また、蓄えた穀物の一部分を適当なタイミングをみて、種子にわりあてなければなりません。

 したがって、必然的に、人間の思考が論理的、合目的となり、算術が必要とされるようになってまいります。

 農耕生活をいとなむようになった古代人の自然観も、原始人と同じく神話的・呪術的自然観であったとのべましたが、農耕生活がはじまると集落が形づくられ、しだいに大集落となり、都市国家へと発展していきます。

 大集落から都市国家へと発展していく過程での科学・技術の発展と、社会とのかかわりについて述べてみたいとおもいます。

 農耕がはじまりますと、種まき期や収穫期などの正確なタイミングを知るために、天体の星や月に注意がはらわれ、月のみちかけから一年を、やく十二ヶ月であると考え、星の位置で季節を知るようになったといわれています。これが天文学への芽ばえですが、同時に自然観が呪術的であったために、占星術なども盛んであったようです。

 また、祭祠堂や神殿などの大きな建物が建てられるようになってまいりますと、測量などが要求され、度量衡もさだめられるようになります。

 一方、農耕の発達は道具の発展を不可欠のものとしています。鈴木善次氏は『科学技術史概論』で

「鋤から犁(牛がひくすき)への転化と同時に、人間は自己の筋力以外の自然力を動力源に利用するという、技術史上の画期をも実現したのである。よく馴らされた牛や馬からは、人間のおよそ十倍程度までの出力をひきだすことができるから、生産性を大はばにたかめることに成功した。」

といわれています。農耕や牧畜の経験が蓄積され生産性が増大するにともなって余剰生産物がうまれ、社会的分業が成立して各種の専門家があらわれるにつれて、しだいに都市国家へとすすんでゆくのであります。

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Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見