第3部 住まいにみる悲願

(1)自然のいのち

 昭和四十八年、私どもの庫裡(寺の家族の居間)を新築してもらったのですが、その工事の中で、大工さんや左官さん、屋根葺きの方などに、それぞれの専門のことについて色々話を伺ったのですが、お聞きしているとあらゆる建築素材にはいのちがあり、生きているんだなということを強く感じました。材木などでも、その土地で育った檜や松などが一番良いとのことです。檜のことについて『日本人の五感』(毎日新聞社刊)のなかで法隆寺第五代宮大工・西岡さんを中心にして述べられていますが、その一部を紹介しますと

「『そうですな、千年の樹齢を持っとる木は千年保ちますな、大和の檜は大和で一番うまいこと生きとります。』
 檜千年、欅・杉は六百年、松四百年という。<木のいのち>のことだ。江戸初期から中期、各地に多くの寺院が建てられた。松材が多い。そのほとんどに寿命がきている。檜は切り倒してから、年がたつほど強く固くなってくる。二百年目くらいに最も強く固くなり、そのあと少しずつ弱くなって、千年余りたってようやくきりたての檜と同じ強さに戻るそうだ」

 このようなことを伺いますと切り倒され、柱になったところから、また新しい檜のいのちが動き出していく、そんなことを感じます。「いのち」って不思議だなぁと思います。このような「いのち」を昔の人達はすでに肌で感じとられ、それを大切にされたからこそ、長い間の風雪に耐えてこられたのだと思います。現存する古い建物を前にして、我々はそのいのちの息吹きを感じとり感動するのでありましょう。

 杉は竹とともに、日本人と縁の深い植物であり、建物にも杉材は多く用いられているようです。その杉材も単に自然の生長を待って利用するのではなく、自然の育成にそいつつ建築用の素材として、人の手を加えながら、育てていくそうです。清水一氏は『すまいと風土』(井上書院)の中でつぎのように述べられています。

「日本の自然は、本質的に、心にやさしい響きを伝える何ものかを持つ。どうしてか、よくわからない。岩一つにしても、庭に据えて眺めたらよさそうなのが時折あるが、アメリカへいくと、沢庵石にでもするより仕様がないやくざな石ころばかりである。
 素朴な自然界にそんな風なお膳立てが先天的にそなわり、その自然の中で成長した日本人が、やがて身のまわりの自然に更に注文をつけ飼育変形する、という風な相互作用が行われて、日本独特の人間と自然の合作による、人工的自然が出来上がっていくのである。北山杉もそれである。」

 北山杉などは若木のときから、枝を切り落とし、成長すれば皮をはぎ、手で磨いて、床柱などに利用するそうですが、考えてみますと、日本庭園にしろ、盆栽にしろ、それは、非常に人間の手を加えた自然であり、そこには自然の美に感動した人間が、自然を受けて新しい美を創造していこうとする限りない人間の意欲、そしてやさしさが感じられるではありませんか。そこには、日本人は、自然を克服するという意識はなく、自然に育てられ、自然とともに育っていくという姿勢が根底に流れているからでしょうか。

(2)作るものと使うもの

 長谷川尭氏は、建築にこめられた多様な表現、ゆたかな情感を読み取るということをテーマにされ、著書『建築有情』の中で、つぎのように語っておられます。

「建築は単に物質の集大成であるだけでなく、その中に作る者の、あるいは使う者のそれぞれの立場から寄せられる感情(願い)とか内面的脈動との相関物であるということである。
 ひとつの家の中には、作る者の身体(いのち)が、柱としてけずり取られ、壁として塗りこまれ、瓦として葺きそろえられているのだ。他方、やがて出来上がった家に住み、それを使う者は、そのようにして、なかにきざみ込まれた肉のぬくもりを感じ、その肌ざわりや形や骨組みのうちで、壁をなで,柱にもたれて,やがて彼の身体とするようになるのだ」

 長谷川氏は生まれた家は、単に作った者のものでもなく、使う者のものでもなく、その時代や環境の影響を受けて存在するものであり、作る者と使う者の出合いの(情を感じ取り合う)場所でもあるということを主張されているように思います。

 現代、我々の生活の中で、住まいがそのような出合いの場所になっているのだろうか、と考えてみるとき、建築機材に工業生産のものが多く使われ、大工も儲け主義に走っている現実を目前に見ます。しかし、そこに工場で生産されたものであっても、一つのもの(表現)を生むときには、それらにたずさわる、それぞれの生命が燃焼されている(けずり取られている)はずです。その出合いの構造を住まいを通して考えていきたいと思っています。

(3)住まいと空間

 仏教に「身土不二」(主体と環境、人間と自然は二つ離れてあるのではない)という言葉がありますように、あらゆるものは、まわりの環境と深い関わりをもちつつ存在し、変化しているのです。

 住まいにしましても、気候風土はもちろんのこと、その他さまざまの影響を直に受けて存在しつづけてきたのです。とくに、日本のように雨や湿気の多い風土では、雨や湿気に対する対策が、常に心がけられてきたようです。しかしそこで注意すべきことは、全面的に雨や湿気を拒絶し、嫌ってきたのではないのであります。それについて清水一氏は著書『すまいと風土』(井上書院)の中で

「日本では燈篭や掛け行燈にも、そして門にも塀にもよく屋根をつける。窓にも専用の屋根をつけた。いわゆる霧よけ庇である。このお陰で蒸し暑い雨の日にも、窓を開けはなして身のまわりに風をながすことができるのである。日本の家そのものが屋根の軒を深くし、すっぽりと笠をかぶせたような姿をしているのは、きわめてあたりまえといえよう」

と述べられています。ところが最近の建物はどうでしょうか、窓に屋根がないというどころか、その窓も扉も固く閉じて室内を人工の空気で満たし、まったく自然を遮断してしまう結果となっています。

 すこしの間、縁、すなわち縁側やぬれ縁について、二、三の方の御意見を拝聴したいと思います。

「座敷から、あかり障子をとうしてみる庭、それは、室内の落ちつきのなかに、四季の変化をたのしむ、日本人のすまいのもっともすぐれた生活空間のひとつの場面だ。また縁側の障子ををあけはなてば、座敷と庭は、縁をはさんでひとつづきのものとなる。夏の午後など、縁側で涼風をうけながら、うたた寝していると、庭の木かげで昼寝をしているのと、つまり、縁側は、もう庭なのである。さらに縁側にすわっていると、通りがかりの人びとの様子をよくみることができる。近所の人とも挨拶できるし、たまには、縁側に腰かけて話しこんでいってもくれる。・・・ 何百年のあいだ、日本の国土と社会のなかに、はぐくまれてきた伝統的な生活空間の数かずを、新しい機械文明のまえに、ただ古くさい(無駄だ)からといって、よくかんがえもせずに葬りさってしまっている例を、私たちの周囲に多くみかけるが、縁もまた、そのようなケースのひとつではないか。仏教では、『縁なき衆生は度し難し』というが、現代の庶民のすまいが、文字どうり<縁>なき衆生になるのでは、こまったことである。」(『日本人のすまい』上田篤著 岩波新書)

「縁は、庭先へ来る人たちや、自然界との交渉の場、屋内で一番動的な空間である。家は縁→縁側→座敷と外から内へ入るにしたがって動から静へと移る。というのが書院造り内での暮しの仕組みだったと思う。」(『すまいと風土』清水一著 井上書院)

Pocket

Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見