(7)ルネサンス時代

 数学的解析(理)と実験的検証(事)という科学的方法は芸術家などを通してルネサンスの時代に開くのでありますが、このルネサンス時代の意味について考えてみたいと思います。

 十二世紀になりますと、アラビアに入ったギリシャ科学が今度はラテン西欧世界に移入されて新しいスタートを切ることになります。十二世紀はアラビア文化圏から西欧ラテン文化圏へと文化的な主導力の転換がなされた時代であり、中世西欧世界における最大の知的回復運動が行われましたのがルネサンスの時代であります。

 ルネサンス運動の背景として、農業革命やフィレンツェ、ヴェネツィアなどの自由都市の勃興と同時にアラビア世界との直接的接触が考えられます。その一つに、十字軍の遠征をあげることもできます。ルネサンス運動が盛んであったのは十四世紀から十六世紀後半であり、十七世紀の近代科学の確立に大きな意味をもつ時代であります。

 この時代の特徴は、まず世界観・宇宙観の変革をあげることができます。有限な宇宙から無限の宇宙へ、天動説から地動説へと世界観が変化します。また、もう一つの特徴は、この時代の芸術家・技術家の活動を媒介とすることにより、従来切断されていた学者的伝統と職人的伝統とが融合され、合理的思考と技術的実践、数学的解析と実験的検証とが結びついた新しい科学的方法が現実に鍛えあげられて行ったことです。このように、ルネサンス時代は単に文芸面ばかりでなく、科学の面においても重要な時代であります。

 現代におきましては、小学校の高学年ともなりますと、地球は自転しながら太陽のまわりを公転しているということぐらいは、少なからず知っております。しかし、前にものべましたように、有限の宇宙から無限の宇宙へ、天動説から地動説へと自然観・宇宙観が変革しますまでには、約一千年という長いときを必要としています。

 十七世紀が近代科学革命の時代と呼ばれていますが、H・バターフィールド氏は『近代科学の誕生』(講談社学術文庫)の中でつぎのようにのべられておられます。

 「およそ天体の物理学であれ地上の物理学であれ、その改革をもたらしたものは、新しい観測とか、新事実の発見とかではなく、科学者の精神の内部に起こった意識の変化なのであった。従来と同じ一連のデータを用いながら、しかも、それらに別の枠組を当てはめて相互の関係を新しい体系に組みかえることであるといえよう。

 それはつまり、いわば新しい思考の帽子をかぶって、今までとはまるっきり違った見方をしてみることである。

 科学革命における最大のパラドックス(矛盾のようで実は正しい説)は、現代のわれわれにとっては自明の事がらが、何世紀にもわたって偉大な知性のつまづきとなっていたという事実である。」

 このことから考えてみますと、我々人間の自然観や思想の転換、固定観念の打破、広い意味での体験執の克服が、いかに困難なことであるかが伺えます。近代科学が誕生します背景をたずねながら、現代的意味を考えてゆきたいと思います。

(8)思想の転換

 近代科学革命をもたらしたものは、思想の転換、すなわち科学者の内部に起こった意識の変化であるということをH・バターフィールド氏の言葉によりながらお話しました。

 世界中のあらゆる人々が、地球は宇宙の不動の中心だと信じていたときに、地球は太陽のまわりを回る一天体にすぎないと主張し、説得するのはどんなに大変なことだったろうと同書の裏表紙にも書かれています。

 現代の我々でさえ、地球が太陽のまわりをまわっているということを自明のこととして、頭の中では理解していますが、ややもすれば太陽が地球のまわりをまわっていると実感しているのではないでしょうか。このように我々は自己中心的な立場から、自己の断片的な経験を通し、それがあたかも連続的な、真実の経験として受取ってしまいがちであります。

 しばらくの間、近代科学の誕生に貢献した先駆者たちについてのべてみたいと思いますが、ここに、リンゴの話で有名なニュートンの言葉をご紹介します。

「世間で私をどう見ているか知らないが、自分自信としては、波打際で戯れる一人の子供のようなものと思っている―それは、真理の大洋がその子の眼前に探求されぬまま無限に拡がっているのに、ときたま普通のよりは、色の鮮やかな小石や美しい貝殻などを見つけては喜ぶ子どものように」

 このようにのべるニュートンは、地上の物体の運動と天体の運動とを一つの力学的な理論体系のなかに収めたのであります。

 皆様方からされますと「一体何を言いたいのか」と疑問視されていることと思います。私自信も当初からの原稿を読み直してみまして、一貫性もなく、勉強不足のみが感じられる次第です。ただ、現代に生きております我々の宇宙観がどのような経過をたどり生まれて来たのか、また、未来に向かってどのような宇宙観(思想)のもとに歩むべきか、科学・技術の問題を通して学んでゆきたいと考えているのです。これからも統一の取れない文章になってしまうかもわかりませんが読者の皆様方もともにこれらの問題について思索しつづけていただきたいと願っております。さて

「我々人間の思想の根本問題はひとくちに言えば、第一に世界がいかにあるかという問いと、第二に世界の中でわれわれはいかにあるべきかという問いであります。」

と野田又夫氏は『デカルト』(岩波新書)の中でこのようにのべられてから、デカルトの思想について語られています。ここで、第一の問いは世界観・歴史観(二つをまとめて宇宙観という言葉をこれから使いたいと思います)の問題でありましょう。『願海』誌でもしばしば取り上げます「存在の道理・法」の問いであります。第二の問いは未来に向かって我々はどう生くべきかという問いですが、これら二つの問いは宗教の問題そのものであります。とくに『大無量寿経』の釈尊やわが親鸞聖人もこれらの問いを問題としつつ、先人から学ばれていかれたのでありましょう。近代科学思想の原点ともいうべきデカルトをこれから学びたいと思います。

(9)デカルト

 デカルトはいまから三百数十年前のフランス、つまり、近世ヨーロッパの秩序ができつつある時期に現われた思想家であり、日本の歴史にあてていえば、桃山時代から徳川時代にかけて生きた人であります。野田又夫氏は『デカルト』のなかで

「デカルトの思想には、二つの重要な点がある。
第一は、デカルトがはじめて、世界を全体として科学的に見ることをあえてした人である。
第二は、そのような世界を客観的に見るところの主体である『われ』というものをはっきりつかみ、世界において『われ』が、いかなる生き方を選ぶかについて単純かつ徹底した方針を立てたということである。」

と述べられていますが、デカルトが何故このような問題をもったかと申しますと、いろいろな感情や想像に曇らされることのない自由な精神の獲得であります。願往生心であります。また同書のなかにもつぎのように書かれています。

「暗闇をいく者は不安や恐れや妄想にとりつかれる。光を点じていく手を照らすことによって前進が可能となる。自己は光によって自由になる。こういう闇をいく旅人の状況を人間一般の状況と見、世界に光を投じてその中で自己の道を選ぶ、ということが科学の用(はたらき)なのであって、ものを客観的に知ることは自己が妄想を離れて自由を得ることなのであります。」

 このように、デカルトは一方、無限な宇宙を客観的科学的に見るとともに、他方、その中でみずからの自由意志によって善を選ぼうとする態度を、最初にはっきり示した人であります。

 デカルトといえば読者の皆さまも「我考う(思う)ゆえに我あり」という有名な言葉を思いだされると思います。

 デカルトは、一方では、無限な宇宙を客観的科学的に見るとともに、他方では、そのなかで自らの自由意志によって善を選ぼうとする態度を最初にしめした人であります。また、デカルトは、精神を身体からひきはなすことにつとめ、身体から独立した「考えるわれ」の存在を確かめ、心身の実在的区別を明示したといわれています。

 この点について、愛弟子のエリザベド王女は、「考えるわれ」であるところの精神、すなわち身体を客観として意識するところの精神が、どうして身体に働きかけるのか、身体に働きかけうるとすれば、その精神は物質的存在でなければならぬのでないかと質問しています。心身の実在的区別と心身の相互作用がどうして矛盾でないのかという問いであります。このことについて、野田又夫氏は著書『デカルト』の中で

「デカルトの考えは単に、精神と物質とが全く相異なる二種の実在であることを主張するという意味の二元論ではなく、もっと人間的状況に即してみとめられた二元論であります。すなわち、一方自己が世界を客観的に見すえる科学的知性を行使するとともに、他方その自己はそういう世界の中で自由に意欲的に決断する、という、知性的客観性と意志的主体性との二元論であり、同一の主体における知性的認識(知性)と道徳的実践(意志)との緊張関係をあざやかにしめしているのであります。」

と言われています。

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Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見