(13)特殊体験

 地球上の混沌とした場(座標)から宇宙を見るのではなく、無限の広がりを直接肌で感じられる宇宙空間から美しい地球を眺めるという、空間的に異なった場(座標)に立った特殊体験によって開かれた宇宙感・悟りであります。

 しかし、同じ特殊体験(視座の転換)をされた宇宙飛行士がすべて、同じ宇宙観を持ったかと言えば、そうではありません。後にご紹介させていただきますが、地球におられるときに、キリスト教やいろいろな思想家の影響をすでに受けておられます。

 ここで、この宇宙飛行士(ミッシェル)の略歴を述べさせていただきます。

「アル・シェパードとともにアポロ14号の月着陸船に乗り組み、月にその足跡をしるす六人目の男となったエド・ミッシェルは、シェパードとは対照的な男だった。ミッシェルは一九三○年、テキサスに生まれ、子供のときから飛行機乗りにあこがれ、近くの飛行場でアルバイトをしながら、十三歳のころから飛行機の操縦を学んだ。カーネギー工科大学を卒業後、海軍に入り、テストパイロットになる。ソ連の人工衛星打ち上げの成功を知るや、自分も宇宙飛行士になろうと決心する。そのためには、学問がもっと必要だと思い、海軍大学で航空工学を学ぶ。さらに、MIT(マサチューセッツ工科大学)に進学して、航空宇宙工学の博士号を取得。一九六六年、第五期生の一員として宇宙飛行士に採用される。」

 このようにれっきとした科学・技術者であります。また、ミッシェルさんは、テレパシーなど人間の超能力にも関心を持たれています。立花さんは本のなかで、彼の世界観は、アリストテレスのそれにきわめて近いと述べられています。ですから、アリストテレスの影響も受けておられたのだと思います。もう少し、彼の言葉をお聞き下さい。

「人間は物質レベルでは個別的存在だが、精神レベルでは互いに結合されている。さらに進めば、世界のすべてが精神的には一体(スピリチュアル・ワンネス)であることがわかるであろう。スピリチュアル・ワンネスがあるから、スピリチュアルになりきった人間は、物理的手段(話すなど)によらず外界とコミュニケート(通信)できる。古代インドのウパニシャドに、『神は鉱物の中では眠り、植物の中では目ざめ、動物の中では歩き、人間の中では思惟する』とある。万物の中に神がいる。だから万物はスピリチュアルには一体なのだ。」

 また、彼は、イエスにしても、ブッダにしても、モーゼ、モハメッドにしても、あるいはゾロアスターや老子にしても、みな人間の自意識の束縛から脱して、この世界のスピリチュアル・ワンネスにふれた人々なのだと受け取っておられます。

「ティヤール・ド・シャルダンから私は大きな影響を受けている。ティヤールはキリスト教の枠組の中にいた。私も進化の方向は、神との同一性に無限に近づいていく方向にあると思っているが、私の考える神は、キリスト教の神ではない。ちなみに、ユングからも私は影響を受けている。人間が集団的無意識を共有しいるという彼の考えは正しいと思う。しかし、その集団的無意識の根拠は人間が原始時代から蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、エゴから離れた意識の面においては、すべての人間がそれぞれに神につらなっているのだということに求められるべきだろうと思う。」

 彼は科学・技術者ですから、各種の宗教の根源に流れている精神、それを統一的に受け取っているところが非常におもしろいと思います。仏教ではすでに「悉有仏性」と彼の言わんとすることを言い当てています。

 宇宙飛行士(エド・ミッシェル)の宇宙体験を通して、意識の転換(座標変換)について学んでいます。もう少し、彼の話をお聞き下さい。

 「神秘的宗教体験に特徴なのは、そこにいつも宇宙感覚(コスミックセンス)があると言うことだ。だから、宇宙はその体験を持つためには最良の場所なのだ。歴史上の偉大な精神的先覚者たちは、この地上にいてコスミックセンスを持つことができた。これは凡人にはなかなかできることではない。しかし、宇宙では凡人でもコスミックセンスを持つことができる。何しろそこが宇宙だからだ。歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経てやっと獲得できた感覚を、我々は宇宙空間に出るという行為を通して容易に獲得できたのだ。
 進化の方向ははっきりしている。人間の意識がスピリチュアルに、より拡大する方向にだ、つまり、イエスとか、ブッダとか、モハメッドとかは、早くこの進化の方向を人類に指し示していた先導者なのだ。どんな進化でも、種全体が大きく変わる前から、進化の方向を先取りする個体があるのと同じことだ。」

 このように三カ月にわたって彼の話を聞いて参りましたが、素晴らしい内容なのですが、聞いてるものにとって、その満足感が伝わってまいりません。何が問題なのでしょうか。

 法性体験、神秘的宗教体験だけだからでしょうか。

 曽我先生(『曽我量深選集』第三巻 彌生書房)は「体験の教証」という論文の中でつぎのように言われています。

「されば如来の本願の性たる慈悲は一如の自然に本有内在するであろうが、しかもその(慈悲の)発起は巳に法性に属せずして方便法身に属する。単純なる招喚でなくして、発遣を通しての招喚である。単なる真実でなくして方便の荘厳を通しての真実である。往相に廻向せんがたために如来はまず還相に廻向し給いた。往還二廻向は廻向表現の相としては還相は往相の利益であって、往相の究極の大涅槃の彼岸から現実界に反影するものであるけれども、もし如来表現の次第から云わば、還相は往相の方便であって、還相廻向に先だち、大行の背景である。如来の願心は広く万行の菩薩の法蔵を開いて、漸次に一如の仏国を荘厳し、以って東岸上から我を発遣し給う。(中略)多くの人々は唯『招喚する如来』と『発遣する釈尊』とを知りて、『招喚せられたる我』と『発遣せられたる我』とを想わない。又何人も招喚と云うを偏重して発遣と云うことを忽諸(なおざりにする)して居るではないか。現実の招喚は『発遣の自覚』の外はないのである。若し現実の発遣を離れて理想の招喚に偏するとき、その信は全く個人的なる定散自心となり、その証は空虚なる自性唯心となる。」

 うまくは言えませんが、ミッシェルさんをはじめ、あちこちでいろいろな方々がいのちの根源の問題や宇宙精神・意志(願)の問題を取り上げられるようになってまいりました。しかし、そこからの出発がないように思います。地上の混沌に染まるとすぐに消えてしまうのではないでしょうか。ミッシェルさんが宇宙でスピリチュアル・ワンネスの体験が可能となったのも、キリスト教をはじめ、シャルダン、ユングはもちろんのこと、地上の混沌そのものから発遣されていた我、しかもその発遣が如来廻向、神の目論見からの働きなのだという再度の座標転換が必要であるように思えてなりません。

 曽我先生が述べられていますように、往相と還相廻向、法性法身と方便法身、招喚と発遣における道理といいますか、論理が現代に要求されている問題だと思います。

(14)科学技術と人間の欲求

 ここはコーヒーブレイクの時間だと思ってお読み下さい。

 石井威望先生の『科学技術は人間をどう変えるか』で人間こそ主役と題した章の中から、抜き書きでご紹介します。

「科学技術の進歩がその裏面で人間的なものへの飢餓感の増大をともなっていることは、しばしば指摘されるとおりである。たとえば医療をとってみても、レントゲンに始まって、最近はCTとか、超音波とか、機械や装置が高度になるにつれて、患者と医者の関係はしだいに疎遠になってしまった。病院にいっても担当医とはほとんど話ができない。自分の前にあるのは機械ばかりで、その機械を動かしている人に尋ねても病気についてはなにも教えてくれない。いったいだれが、どこで自分の体をみているのか不安になってくる。
 いっぽう医者は医者で、毎日レントゲン写真をみたり、プリントされた検査データばかりみて、患者そのものはまったくみていない。まるで工場で製品の善し悪しをしらべているようなものでないか、スーパーマーケットとどこが違うかという感じを抱いている。これは教育についてもいえる。
 テクノロジー(技術)が発達すればするほど、人間的な欠乏感が強まる。その欠乏感を癒すために人々はいろいろなことを試みるが、ジョギングなどはその格好の例ではなかろうか。現代のスポーツは多かれ少なかれ機械文明の発達とともに普及してきたが、ジョギングはその代表で、その人気は自動車の普及と表裏をなしている。人々は車に乗るようになってから、走りたいというターザンのような人間本来の欲望にとらえられたのである。もちろん健康によいという理屈はあるが、走れば気持ちがよいという、自然と共に生きていた古来の人間感覚の回復感がなければ、これほどのブームにはならなかったであろう。
 人間の遺伝子は石器時代にいちばん適応するようにできているという説があるが、案外あたっているかも知れない。走りたいという人間の欲望は、原始時代の人類にとって、走ることと労働とが密接につながっていたことによる。走って食料となる獲物をつかまえていたのだから、走ることが即生きることでもあった。そういう原始の記憶を体の奥深く宿している人間が、車の普及によって、もはや走らなくなったとすれば、どこかでその欲望を満たしたくなってもとうぜんかもしれない。
 このように科学技術が人間生活の中に入り込んでくればくるほど、逆に人間本来の情動的なものが全面に出てくる。それはジョギングのような欲望であったり、芸術的な情熱であったりする。
 科学技術の進歩が人間的欲求を強めていることはいま述べたとおりだが、もうひとつ興味深いものとして、テクノロジーそのものが芸術化していく現象もみられる。たとえば最近人気のあるシンセサイザーなどは、これまでになかった音響をつくりだして、宇宙的叙情とでもいうべき感覚を音楽として表現している。NHKの紀行番組『シルクロード』のバックミュージックは有名だが、あのような美しい音楽を聴けば、電子音楽といわれても、何ら違和感は感じないであろう。」

(15)科学・技術の輸入と翻訳

 文明開花期にあたっては、科学・技術は互いに手をたずさえて日本の人々の前にあらわれたと斎藤先生から学びました。その文明開化期からどのように科学・技術が受け入れられ、発展して来たかを、辻哲夫先生の『日本の科学思想―その自立への模索―』(中公新書)によりながら考えてゆきたいと思います。

「われわれは現在、科学や技術という言葉が、日常語として十分通用する世界に住んでいる。しかし、これらの言葉の、日本語としての歴史は意外に短いものである。五十年、百年と歴史をさかのぼってゆけば、まず技術という言葉が、いずれ科学という言葉も、どこかにまぎれこみ、ついには姿を消してしまう。明治維新のころまでゆくと、もはや科学・技術という言葉の存在しない世界へふみまようことになる。
 言葉の歴史にかぎっていえば、科学・技術はものの百年たらずのうちに、無から有への大変動を遂げたわけである。日本語の文脈の中で、どう表現してよいかわからなかったものが、百年たったいまならば、だれでも気軽につかえる言葉となって定着している。」

 このことと同じで、仏教語においても、我々の日常に同化している言葉は少なくありません。現在の我々の方が、まだ古い時代の仏教語を狭い一宗派の中で多用していることが問題なのかもしれません。佐藤先生も常に、現代語への翻訳が必要ですねとおっしゃっています。

「よく誤解されるように、機械の運転を覚えたり、ものまねをするだけで、日本に科学・技術を受容できたとは、とうてい考えられない。受容の具体的ななりゆきの中では、これらの方便も欠かせない手がかりではあったろう。しかし科学・技術が、たんなる模倣文化として定着・自立することはありえない。日本人みずからが理解しえたのでなければ、科学や技術が、日本文化の自主的な推進力となることも不可能だし、その創造的な成果など望むべくもない。重要なのは、その日本人なりの理解の仕方がどのようにすすめられてきたのか、それをたどりなおしてみることである。
 ここでは言葉の変遷と、その意味内容の変化と、それらが相互に交錯してくりひろげる、科学・技術の文化史、思想史が問題になる。むろんそれも、日本語だけの閉じられた範囲の話ではなく、たえず流入してくる外国語で表現された科学・技術との照応の仕方が、つねに注目されねばならない。科学・技術の受容とはつまり、外国語によって考えられていた思惟内容を、日本語によっても語り伝えるようにするため、さんざん苦労した上でようやくこれを再構成してみせることであった。」

と述べられた上で、つぎに、科学・技術は翻訳文化として日本に成立したことをはっきりと指摘され、概念の翻訳と題してつぎのように言われています。

「翻訳とは、要するに言葉の翻訳なのだという見解が優先しやすい。むろん言葉の正確なおきかえこそが、翻訳の出発点となるにはちがいない。しかし、翻訳の核心をなす部分、したがってその作業の真の困難さとなるものは、実はその先にまっている。言葉の背後にある意味、つまり概念の翻訳がそれである。ここにいう概念とはしかし、一つ一つの単語をさすだけでなく、それをささえている理論の枠組みまでを含めて考えねばならない。日本語だけをつかって、体系的な理論の説明までできるようにすることである。」

 文明開化から現在まで、たかだか百二十余年しかたっていません。その日本が科学・技術の分野で世界のトップレベルにまで現在発展してまいりました。確かに、その創造性の問題は残っておりますけれども。

 日本の科学・技術がどのような背景で、あるいはどのような思想展開のもとで、今日のように日本に根づき、発展して来たかをたずねてみたいと思い、辻哲夫先生の『日本の科学思想』を中心に学んでいます。

 「翻訳」ということについて、先生のお言葉をお借りして述べましたが、もう少しお聞き下さい。

「未知の科学的な抽象概念を日本語で表わしていくには、日本の学術用語の転用、転釈がぜひとも必要になる。その用法がまずく誤解におちいることもあるだろうし、そうでなくとも、なにほどかの意味の変更は結局避けられないであろう。翻訳とはあくまでも、原文を別の言葉で再構成することである。だから科学の翻訳も、日本語をつかい、日本語の思考法にしたがった、学問的知識の再構成にほかならない。
 伝統的な日本の学問と、科学の相関関係は、けっして単純なものでなくなってくる。伝統的な学術の方はもともと非科学で、科学をうけいれるのに邪魔にしかならぬなどと、一方的にきめてかかることはもはやできない。伝統的な学術が、(西洋)科学を受容して再構成する上で、まったく役立たないのであれば、科学の翻訳はいっさい不可能である。日本語によって科学を理解可能なものに再構成しうるのであれば、日本の伝統文化が潜在的にその可能性を秘めていたのにほかならない。この可能性を手がかりに、概念の翻訳がすすみ、科学の受容を実現できたのである。
 それにしても、こうして日本語の文脈にとりこまれ、転釈されてきた科学は、はたしてもとの科学とまったくおなじものでありうるだろうか、科学の生みの親である西欧文化と、後から科学を受容したにとどまる日本文化と、その本来の異質性こそがここで思い起こされる。これら異質文化の間で、科学は少なくとも伝達可能ではあったが、しかし伝達することによって、その内容が変質することはないだろうか。さきに科学・技術は翻訳文化として日本に受容されたといったのも、その裏ではすでに、翻訳という概念の手続きを通すなら、科学も変容されうることを暗示したいからであった。」

 西洋科学を受容し、日本語によって理解可能なものに再構成しうる潜在的な能力を、日本の伝統文化の中に秘めていたからこそ、概念の翻訳がすすみ、科学の受容の実現ができたのだとおっしゃっています。

 先日、韓国の朴○祥先生(東亜大学教授 経済学博士)はじめ「念仏信行会」(在家仏教青年会)の方々がこられ、その研修会の中で朴先生が通訳をされていたそうです。『願海』同人の八神兄、小林兄などが何げなく日本人として日常使っています言葉で説明されますと、そんな言い方は韓国にないので翻訳できないとおっしゃっておられたと聞いております。

 小生はその研修会には参加していませんでしたので、詳細は知りませんが、聞きかじりの部分をお話します。

 一つは、韓国には受身の言葉がないということです。
 例えば、「至心に廻向したまえり」という意味をそのまま、韓国語には翻訳できないのだそうです。日本人は日常でもよく受身の言葉を使用します。

 また、自然に対する感じ方、思いも違うらしく「自然からそのいのちの声を聞く」などと言いましても、理解できないのだそうです。ですから韓国では、一般家庭にも庭がないそうです。家庭といえば家と庭ですのに。伝統文化が異なりますと難しいものですね。

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Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見