第2部 味にみる悲願

(1)失われつつある家庭の味

 科学が発達し、都市集中化が進むにつれ、食べ物も工業化の波をかぶり、今日では工場で生産された食べ物が、あらゆる家庭の食卓にのぼらない日がない、といっても言い過ぎではないように思われます。著書『味と文化』(講談社現代新書)の中で、河野友美氏は次のように述べられています。

「調理ずみ食品が、いかに人気があるかは、一般によく普及している冷凍食品の売れゆきの伸びをみてもわかる。料理の素材となるようなものの増加はほとんど変化がないのに、調理ずみ食品の方は、うなぎのぼりに増えている。
 ここでいう調理ずみ食品とは、すっかり味までついた料理加工品で、ただ温めるといった、かんたんな操作でたべられるものをいう。調理ずみ食品のみで献立を作ることは、けっしてむずかしいことではない。(中略)・・・ 若い世代の多いある団地で調査したら、まな板、包丁のない家庭が数世帯あった。前記のパターンの食事が日常なので、まな板、包丁は不要なのだ。」

 お年を召された方々は、前記の内容を読まれて驚かれると同時に歎かれることでしょう。このように、家庭の味、季節の味にとって変わって、他人の味(画一的な味)、無季節的な味に慣らされてしまっているのです。

 味は、人間の生命と深くかかわる一方、人間の感情を大きく左右するとも言われています。家庭の味そのものにも、その家庭の歴史と共に歩んで来た味の変遷があるはずです。「味にみる悲願」と題して、私達の日常生活に切っても切り離すことの出来ない<味>(食生活)というものについて考えてみたいと思っています。

 米が、日本人全体の主食となったのは、ずいぶん新しく太平洋戦争後だともいわれています。それまでは米を作りながら、食べれることはまれで、麦や稗や芋を食べていた人も多く、長い間、米は庶民のあこがれでさえあったそうです。それが最近では米が余っているのに米の消費量は年々減っていると聞きます。大塚滋氏は『食の文化史』(中公新書)の中で

「あの電気炊飯器とともに家庭に導入されたのは、めしは簡単に炊けるものといういやにお手軽な考えだろう。洗うのにもしゃもじでぐるぐると洗い、二三度かきまわすだけ、予備浸漬もせず、あたふたとスイッチを入れて、もう忘れていればでき上がる。心をこめて炊け、などというのではないが、ここには米という穀物の性質を無視した大ざっぱさがあるのが気になる。素材の味を生かして、心をこめてつくりましょうなどと教える料理学校だが、めしの炊き方のこのおおらかさはどうしたことだろう。それでいて、ホットケーキでも作るときになると、粉がどうの、こね方がどうのと、うるさいのに。」

と述べられています。副食には手をかけるのですが、主食のめしを炊くのに手をかけないのが現代であると同時に、米が生まれてくる手順(御苦労)や、一粒一粒の大切さを子に教える親も少なくなっているのでありましょう。子をもつ我々親自身の炊き方・いただきかたが問われているのではないでしょうか。米のもつ、なんともいえない<旨味>を再発見しようではありませんか。

(2)日本の味

 日々の食生活においても、私たちは絶えず日本の民族が培ってきた「味の文化」の中に生きているのです。日本の風土の中から生み出され続けてきた<味>は、時代の流れとともにさまざまに影響を受けつつ変遷をとげ、日本の「味の文化」を成りたたしめてきたはずです。そして私たちは、その「日本の味」を日々食しているのです。河野友美氏は著書『たべものと日本人』(講談社現代新書)の中で次のように述べらています。

「日本は海に囲まれた島国であり、気候も温暖であるために、常に新鮮で数多くの恵まれた食品素材が供給可能であったため、素材の味をそのまま生かすというところからアミノ酸(しょう油)文化が生まれたのである。一方、ヨーロッパや中国などの大陸地帯では気候風土が厳しく、新鮮な素材が簡単に手に入りにくいために、油による加工によって、古い素材でもおいしく食べられるように、工夫が必要であるといわれている。
 日本は海に囲まれ、四季の変化に富んだ豊かな風土に恵まれたところから、海外の食べ物をも、さほど抵抗なくとり入れてきたのである。むしろ、海外からの新しいものに飛びつきやすい性質がみられるのである。」

 今日、身のまわりの食べ物をみましてもフランス料理、ロシア料理、中国料理と ・・・、その種類は驚くばかりです。常に新しい素材、料理を海外に求め続けてきたのですが、いつのまにか本来の「日本の味」を見失いつつあるのではないでしょうか。家庭のテーブルに出される食べ物をみてそう感ずるのです。

 あらゆるものは悲願をもって生れてきているのです。日本の地に育まれた「日本の味」も、民族の悲願の内から生まれてきたのでありましょう。

「味には、塩・甘・酸・苦の四原味があるといわれる。この説はヘニングが提唱したもので、ほぼ、味の性格をよく表わしている。ところが日本人に独特の味がある。それが<うま味>である。このうま味という概念は、日本人にはたいへんよくわかるのであるが、外国人にはよくわかりかねるもののようである。なぜなら、うま味は日本人の味の中心となっているアミノ酸の味だからである。外国の料理の場合には、このうま味は表面にでない隠された味である。ところが日本では、味の主役となっている。」

と、河野友美氏は著書『たべものと日本人』の中で述べらています。また、<うま味>と同じように<妙味・濃(こく)>という味わいがあります。このような<味>を感ずるということは、単に食べ物を口にいれたときにのみ感ずるのではなく、それを深く「味わった」ときにはじめて感ずるものなのです。すなわち、味覚(舌)の感覚だけで感じられるものではないのでありましょう。日本人が「かみしめて味わう」ときには、その食べ物が自分の口にとどくまでの、さまざまの出会いを ・・・日本民族が求め続けてきた味の歴史を、また、食べ物そのもののいのちを、そして料理をした人との生気の出会いを深く味わっているのではないでしょうか。

 最近、大都会を中心に、食べ物もうま味がなくなったり、人間も味気がなくなったといいますが、食べ物を単に食料品と考えている我われの姿勢が問われているのではないでしょうか。

(3)かみしめて味わう

 日本人が「かみしめて味わう」とき、さまざまの歴史を経て、自然を経て、人の手をわたって届けられてきた日本人の感情と深く出会うのであります。そして、また、その出会いは、新たな出会いを無限に生んでいくのです。

 自然の流れ、移り変わりに身をおき、そのままに生きてきた日本人は、あるがままの自然をたたえ、あおいできたのです。移りゆく季節に身をたくし、移りゆくままにその感情は、さまざまに色彩られていくのであります。四季おりおりの草木が千変万化に移りゆくように ・・・、「味わう」という感情も千変万化に色彩られていくのでしょう。

 自然の芳しさを味わい、その香りを味わい、そして流れゆく風流を味わい楽しむのです。自然の流れの細やかさを、身いっぱい・全身で受けとめてきた日本人の純粋感情が、日本の味の文化を成りたたしめてきたのであります。

 それとともに、日本人は食べ物を食する場合だけにとどまらず、絵や音楽をも「深く味わう<賞味>」という感情をもっているのです。また、「あの人は味のある人だ」(情味)というように、人情をも味わいます。さまざまの出会いのなかに生かされてきた日本人は体ごと、とっくりと受けとり味わっていくのです。

 味の四原味に、塩・甘・酸・苦という味があげられていますが、味わうということは、ただ単に舌の先で感じたものではなく、体じゅうが味わっている、感動しているのです。

 年末になりますと、あちこちの家からおせち料理の臭いがただよってまいります。やはり、日本人は昔からあわただしい思いをしても、おせち料理を作り、その臭いをかぐことによって、新しい年をむかえるという実感をもつのかもしれません。

 お正月のおせち料理の「三種」について辻嘉一先生は、次のように述べられています。

「おせちの三種とは、叩き午旁に数の子、ごまめです。いずれも固いもので、よく噛まなければならないものですが、噛めば噛むほど旨さが出てきます。一年の最初の日の朝にこれを食べるというのは、日本はよい国であるけれども災害が多いので、災害に備える人生を噛みしめていけという教えだということを、あるお年寄りに聞いたことがあります。餅にしても、お雑煮に使うのは、おおかた保存しておけるものです。これはやはり災害の多い国に生きる人々の生活の知恵というものでしょう。」

 現代は核家族化というせいもあるかもしれませんが、このような料理のいわれ、生まれてきた願いの意味などを、お年寄りの方々からお聞きすることが、あまりにも少なくなってきていることを悲しく思います。ふだん何気なしに料理しているその素材にも、作り方のひとつにも、祖先の祈るような願いや知恵がこめられているのではないでしょうか。そのように、明日の生命を生んできた「食生活」の大切さを、一年を見おくり、新しい年をむかえようとしているこの年の瀬の一時に、「味にこめられてきた人類の悲願」を、ひとつひとつかみしめながら ・・・、そこに、後の人にこれだけは伝えなければならないという願いが、新たに生まれてくるのではないでしょうか。

 ところが、昨今ではこのおせち料理も百貨店やホテルなどで予約販売をしており、年末に配達されるそうです。奥様方はなにをされているのでしょうか ・・・。

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Last modified : 2014/10/31 11:22 by 第12組・澤田見